迎え火
紫野晶子
第1話
時代は歴史の転換点、町ゆく和装の人々の中に、洋装の者が混ざり始めた頃、今宵も木造長屋が並ぶさびれた裏通り、提灯の下、あるいは赤レンガの官舎、石畳の上、ガス灯の下かもしれないが、怪しげな半紙の蝶が1羽、ひらひらと所在なさげに飛び回る。そうしてこの日も、この怪しげな蝶は、ある1棟の、江戸時代から続く年季の入った長屋の、ある一室の前で止まると、地面に降りて、その羽を休めるのであった…。
――やはり、今日も眠れそうにないな。
この部屋の住人で、流行作家の
やれやれ、今日もダメだったかと嘆息しながら、巽は薄暗い部屋の中、布団にもぐったまま、自分が眠れなくなった原因について思いを巡らせた。
事の始まりは、7年前、巽の父親の事業が失敗したことだった。倒産によって借金を背負うことになった当の父本人は、己の行く末に絶望し、服毒によってあっさりと自ら命を絶ってしまった。ともにその事業を営んでいた長兄は、身内を失った衝撃と、借金の額の大きさに圧倒され、父の葬式から一月もしないうちに行方をくらませる。あとには年老いた巽の母と、生活費を稼ぐ手段を持たない兄の妻、そしてその幼い子どもたちが残された。
そうした経緯をたどり、父の借金を返済し、残された母と兄一家の生活費を稼ぐ厄介な役割は、長兄の次に年長の子どもである巽に託されることとなった。おかげで、巽がそれまでコツコツと貯めてきた中学教師時代の給金も、小説書きで稼いだ原稿料も、このときの返済のためにほとんど消えてしまった。せっかく手に入れた持ち家さえ例外ではなく、借金を返すために売り払い、自分はこの貧乏長屋に越してくることになった。そうした生活上の苦悩や憤りから、巽はだんだんと寝つきが悪くなり、夜中に突然目が覚めることも多くなっていったのだ。
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