第4話 世界的なパンデミック
ここ数年において、大きな社会問題となっていたこととして、
「世界的なパンデミック」
というものがあった。
これは、非常に恐ろしいもので、最初は、某国のある大都市で発生したものだったが、あっという間に全世界に広がった。
「正体不明のウイルス」
ということで恐れられ、元々発生したところでは、死者数もそれなりに出たことで、世界は、その恐怖に晒されることになった。
日本政府は相変わらずの無能ぶりを発揮し、
「小中学校を、全国的に休校にする」
という大切なことを、勝手に独断で決めてしまったくせに、何と、まだこの期に及んで、パンデミックを引き起こした某国の、国家元首を、
「国賓」
として招くというような暴挙を考えていたのだ。
さすがに実現はしなかったが、何と言っても、これはありえないだろう。
某国というのは、日本の主権を脅かし、国際法的にも、
「日本の領土」
になっているところを、
「勝手にパトロールと称して、国境侵犯を平気でお子会っているのだ。
そんな国の国家元首を、そもそも、
「国賓で招くなんて」
と、開いた口が塞がらないとは、このことだった。
さらに、伝染病対策として、何をおいても最優先で行わなければならない対策というのは、
「水岩対策」
というものである。
つまり、まるで、
「鎖国」
のように、
「入国を制限する」
あるいは、
「必要最低限のもの以外の入国は禁止する」
というものである。
つまりは、
「海外にいる日本人であっても、入国を禁止する」
というくらいのことをしないといけないということである。
考えてみれば、鎖国対策を行った江戸時代であっても、世界的に流行した、
「コレラ菌」
というものが蔓延したのだ。
「鎖国しているのになぜ?」
ということであるが、それは当たり前のことであり、何と言っても、日本は、
「貿易を、長崎に限る」
という意味で、長崎でのオランダだけとの貿易になったのだが、その長崎に、オランダ人が感染させるのだから、どうしようもない。
長崎からどんどん流行し、
「鎖国しているのに、パンデミックが起こる」
というとんでもないことになったのだ。
どれだけのひどい状態だったのかまでは分からないが、少なくとも、歴史に、
「コレラ菌の大流行」
という歴史が残っているのだから、相当なものだったのだろう。
現在のパンデミックというのは、
「菌」
というものではなく、
「変異を繰り返す」
という、
「ウイルス」
によるものである。
つまり、波はいくつもあり、今回の
「世界的なパンデミック」
においても、波というものが、少なくとも、8回くらいを3年くらいの間に引き起こし、約3回くらい、大きな変異を繰り返していたのだった。
そんなパンデミックであるが、今では、あくまでも政府が言っていることであるが、
「ワクチン接種も行き届き、特効薬もできた」
と言っているが、実際には、
「若者のワクチンへの信頼度がまったくないことで、最初の2回までは、ほとんどの人が打っているが、そこから先は、若者はほとんど打っていないというのが、事実のようだ」
ということは、ワクチンに関しては、
「政府の言っていることは、いい加減だ」
ということである。
さらに、特効薬の件であるが、政府は、
「できたから安心」
などと言っているが、実際に使われたことがあるのだろうか?
どこの病院にどれだけあるのかということが、まったく分からない。
何といっても、今回政府が、
「今回の伝染病は、季節風インフルエンザ並みになった」
といって、ランクを下げたが、その理由は、
「ただ、金を出したくない」
という理由でしかない。
今までのランクであれば、
「治療費も、ワクチン代も、すべてが、国家の費用だったのだが、今回からは、保険の範囲内での、国民の負担ということになる」
というのだ。
今回のパンデミックをそんな状態に国家はしたのだが、実際に、病院に行くと、その対応はひどいものだった。
今までであれば、
「伝染病を治療する病院は限られていて、治療に従事してくれた病院には、補助金を出す」
ということであったが、実際に、携わった病院とすれば、
「そんなはした金でやらされるのは迷惑だ」
というものである。
世間で、
「あの病院は、パンデミックを引き起こした患者を受け入れている」
ということになれば、一般患者が激減し、病院経営が行き届かなくなるのは当たり前のことだった。
しかし、一度変異を行ったウイルスは一気に最強になり、
「医療崩壊」
は引き起こすは、何人の人が、救急車を呼んでも、
「受け入れ病院がない」
ということで、病院にも行けずに死んでいったことだろう。
それを思うと、
「政府の言っていることは、どれだけ甘いのか?」
ということである。
だから、今回のランクを下げたことで、余計に患者に対して、病院は、
「悪魔の対応」
といってもいいだろう。
実際に、伝染病になって、熱が出て、苦しんでいる人に対して、驚いたことに、
「家で、なるべくどこにもいかず、ゆっくりしていてください。数日で治りますから」
というだけであった。
何と、解熱剤も、頓服も貰えるわけではなかった。要するに、
「病院は、完治しない」
ということだろう。
他の患者に、
「パンデミック患者を診ている」
ということを知られると、
「患者が逃げていく」
ということになるかも知れない
ということであろう。
病院とすれば、
「国が勝手に、ランクを下げて、我々病院側の痛手をお考えないようにしているのであれば、病院も病院で考えがある」
とでもいいたいのだろう。
国と病院側で勝手に喧嘩するのはいいのだが、肝心の患者に対してひどい目にあわされるということであるのであれば、それこそ、目も当てられないということになるのであろう。
それが国というもののやり方で、病院も、国に対して、露骨に敵対心を持っているのだろう。
そういえば、あれは、パンデミックがまだ、その正体も分からず、ワクチンもなかった頃のことであったが、
当時ある程度の、マニュアルめいたものが、厚労省から、病院に通達されていた。
その中に、
「微熱が4日間続いたら、近くの保健所に連絡を取って、それから病院に通う」
というマニュアルになっていたのだが、実際には、
「3日までのうちに、病状が急変し、亡くなった方がいた」
ということがあった。
そこで、責められた、当時の
「厚生労働大臣」
が、言いだしたことが、常軌を逸していた。
「私は、病院への通達において、このマニュアルはあくまでも、マニュアルというだけのことなので、病院側で、臨機応変にやってほしいと、前から通達していた」
などと、記者会見で言いだしたから大変だった。
何を言っているのかというと、
「責任をすべて病院側に押し付けて、自分には責任がない」
と言いたいようだ。
「おいおい、待てよ。指示を出したのであれば、それがちゃんと実行されているのかどうかということまで含めたところで対応したといえるのではないか。お前はただ指示を出しただけで、ボールをただ投げただけで、それが実行されているかどうかの検証をやっていないということを言っているだけじゃないか」
と国民は思ったことだろう。
「指示するだけだったら、誰にだってできる。最後まで面倒見てこそ、政治家と言えるのではないか?」
ということなのだ。
それができてもいないのに、
「自分は指示を出しているのに、従わなかった病院側が悪い」
というのは、あまりにも無責任だというものだ。
病院側にもそれなりに事情があるだろう、それを無視して、すべてを病院側に押し付けられたら病院もたまったものではない、
一般の会社でも、
「対応するのは、部下の仕事で、上司の仕事は、責任を取ることだ」
と言われているではないか。
それなのに、政府がすべての責任を、国民や病院に押し付けてどうするというものである。
だからといって、病院もあんまりである。
その時の恨みのようなものを、今度は、何の罪もない患者に向けられるというのは、
「本末転倒、甚だしい」
と言えるのではないだろうか・
だから、病院も、その時の厚生労働大臣の無責任な言葉があることで、完全に、
「大臣は、病院や医者全員を敵に回した」
という意識があるのだろう。
そうなってしまうと、もう、誰も、病院側を抑えることなどできるわけもない。
だから、政府が今度は勝手に、
「後は、国民と病院に任せる」
ということでの責任転嫁をしたのだ。
その大義名分として、
「これまで抑えつけてきた経済を、回さなければならない」
という、政府によって、都合のいい言い訳ができたことで、
「自分たちに都合のいい、病気のランク下げができた」
ということであろう。
「大義名分は恰好がいいが、実際には、自分たちのことしか考えていない」
ということになる。
人によっては、
「かの大東亜戦争の時の日本政府や軍部と似ている」
という人がいるかも知れないが、
「日本国や、国体を守る」
ということを考え、自分たちの保身を冠が合えたわけではない当時の政府は、今の、
「自分のことしか考えていない政府」
に比べれば、どれだけマシだといってもいいだろう。
そういう意味で考えれば、
「怖いのは、病気もそうだが、政府が本当は一番恐ろしい存在なのかも知れない」
と言えるであろう。
大日本帝国という国は、今と違って、
「立憲君主国」
だった。
今の主権は、国民だが、当時は、
「天皇」
だったのだ。
天皇が、
「国を統治する」
というのは、最高法規とされる憲法で決まっていることであり、そのため、国防に一番大切な、
「軍隊」
というものを、国家元首である天皇が、直轄で管理していたのだ。
その間には、何人も入り込むことができず、政府と言えども、軍には口出しはできないし、戦争を初めても、首相は、戦争責任者でも何でもないのだ。
これが一番の当時の問題であり、
「大日本帝国」
では、
「国家元首は天皇であり、天皇に、戦争責任があるかどうか?」
ということが、敗戦後に問題になったのだった。
そもそも、日本は、
「無条件降伏を受け入れた」
というわけなのに、誰も、
「敗戦」
という言葉を使わずに、
「終戦」
という言葉を使う。
さらに、
「大東亜戦争」
という言葉も、戦争開戦の時の閣議で、
「盧溝橋港事件に端を発した、シナ事変から以降を、総称して、大東亜戦争と命名する」
ということになったはずで、確かに、敗戦から、占領時代にかけては、
「大東亜戦争」
というのは、封印すべきであっただろう。
なぜなら、
「欧米の支配から、東アジアを開放し、日本が中心になって、東アジアだけで共存共栄という形の、
「大東亜共栄圏」
を作り上げるというのが、戦争のスローガンだったわけで、このままなら戦争の大義名分は日本にもあるということになり、占領時代には、許されることではなかったといってもいいだろう。
それを考えると、
「占領時代だけでも、別の言葉で」
ということで生まれたのが、
「太平洋戦争」
という言葉だったはずだ。
日本は、
「サンフランシスコ講和条約」
において、独立国として成立したのだから、その時に、それまで制限されてきたものを開放してもいいはずなのに、なぜか
「太平洋戦争」
という言葉だけが、残ってしまった。
これでは、あの戦争は、
「日本が大義名分もなく、ただ、私利私欲のために引き起こした侵略戦争」
ということになり、
「本当にそれでいいのか?」
ということである。
ナチスにしても、確かに、侵略戦争で、
「領土的野心」
というものを、ヒトラーが、完全に持ったために、世界から、バッシングを受けたのだが、彼らにも彼らなりの、大義名分があった。
それは、
「ドイツ民族の栄光」
ということであった。
確かに、ユダヤ人迫害などという、
「消せない悪夢」
を引き起こし、アウシュビッツを中心とした強制収容所で、
「ホロコースト」
と称して、-
「民族迫害」
というものを、大々的にやっていた。
しかし、それは、ヨーロッパのような陸続きの国において、一つの民族が独立国家を築くというのは、正直難しい。
ヒトラーのようなことをしないと無理かも知れないということであれば、
「いくら、人道に反する」
といっても、仕方のないところがあったのではないか。
それを考えると、
「人種差別」
の正当性を考えると難しい。
何と言っても、ドイツと敵対していた、
「連合国」
というのは、世界各地に、
「植民地」
を持っていて、
「それこそが人種差別と言えるのではないか?」
ということなので、
「欧米の国」
は、自分たちのことを棚に上げて。他の国が同じようなことをしたとしても、そこには、何とか自分たちの正当性しか示さないということになるのではないだろうか?
そんなことを考えると、
「第一次大戦から、こっち、ドイツばかりを見せしめにしたことで起こった戦争だということを、誰も意識していないのだろうか?」
ということである。
世界大戦が終わると、今度は、
「東西冷戦」
というものが巻き起こり、
「世界というものは、結局、歴史に何も学んでいない」
と言えるのではないだろうか?
それと同じことで、今回のパンデミックは、政府が、結果として、政策の間違いやトンチンカンな政策をぶちまけたことで、
「政府が、関係各位、さらには、国民一人一人を相手に、喧嘩を仕掛けている」
という風にしか見えてこないのであった。
それを考えると、このパンデミックという状態においては、
「何が正しくて、何が悪いのか?」
ということが、混沌としてきていて、それが、カオス状態になっているといってもいいだろう。
それを考えると、
「結論として、政府は、ポーズだけで、国民のためを一切思っていない」
ということであり。
「ポーズをとるためだけに、協力してもらわなければいけないはずの関係各位を敵に回して、孤立している」
といってもいいだろう。
何と言っても、前のソーリの時の、オリンピック問題からして、とんでもなかったではないか。
「国民の、7,8割が、中止にすべきだ」
と言っているのに、強引に強硬した。
そもそも、日本というのは、
「民主主義国家」
ではなかったのか。
少なくとも、
「過半数に達してさえいれば、それが一番強い」
というのが、民主主義の鉄則だったはず。
最初に、選挙を行って、誰も、過半数に届かなかった場合は、
「上位二人で、決戦投票を行う」
というのが、当たり前の方法ではないか?
「二人での決戦帳票であれば、まったくの同数でもなければ、必ず、決するわけだからである」
だから、
「投票者を奇数にして、棄権ということ、白紙での投票を禁止するか」
あるいは、
「もし、棄権や白紙を許して、同数となれば、再度違う方法で決める」
という形もありではないかということである。
同じ立場の投票者を募ればいいだけで、そこまでしてこそ、
「それでこそ、民主主義国家の決定方法だ」
と言えるのではないだろうか?
それくらい当たり前のことを、しようともせずに、
「民主主義の基本」
というものをひっくり返し、自分の都合を押しきろうとするのだから、
「これは、もう民主主義ではない」
と言えるのではないだろうか?
ここまですれば、さすがに支持率は最低となるのも当たり前。
自分の党員からも、
「あなたの下では、選挙に勝てない」
といって、若手が、騒ぎ出す。
それはそうであろう、
今まででも、
「政府与党」
という名のもとに、ギリギリ、比例代表制のおかげで、何とか、国会議員に残れていた人にとっては、支持率がそのまま選挙に影響してくるわけなので、
「あなたの下では選挙を戦えない」
ということになる。
だから、若手からの支持はまったく得られず、それを見ていた政党内の重鎮から、
「今回の総裁選には、出馬しないでほしい」
という、最後通牒のようなものを言われて、結局、退陣するしかないという状況に追い込まれ、
「内閣解散」
というようなことになるのだった。
そのあたりから、どうも、
「政府の独断専行というものが許されるのではないか?
という風潮が出てきたのか、その次に、ソーリになった男は、マジ、
「史上最悪:
だったのだ。
ソーリになって、1年とちょっとで、どれだけの独断専行を行ったというのか?
考えてみれば、かなりのことをやっている。
「戦争をしている国に対して、日本という平和憲法を持った国は、最低でも、中立を保たなければいけないのに、片方の国に、無償援助をして、片方の国に経済制裁をする」
というのである。
確かに、
「侵略をした」
ということでは、責められるべき国なのだろうが、それも、あまりにも、ピンポイントで歴史を見ているからで、
「その間の歴史や、交渉の事実を知らないのか」
それとも・
「知っていて、その事実が自分たちに都合が悪いということで、国民を欺くために、片方の国を悪ものにしよう」
というのか、あるいは、
「日本を属国扱いしている国に、忖度して。まるで、隷属国のように、その国にへいこらすることで、このような対策しかできない」
というのかである。
実にそのどれをとっても、情けないではないか。
どうしても、日本は、その国に従わざるをえない。
何といっても、その国の、
「属国なのだから」
ということである。
日本は建前上は、
「独立国」
ということになっているが、国家のトップである政府が、その国の属国として、日本を収めているのだから、しょうがない。
その国は、
「武器を買え」
といってくれば、それを無視することはできないということで。日本は、逆らうことができない国になっていた。
そういう意味で、最近は、SNSなどで、
「陰暴論」
というのが、実しやかに囁かれている。
「某国から、日本人全滅計画を立てられている」
というようなものである。
実際に、どんなくらいのことなのか分からないが、言われてみれば、
「確かに、日本という国は、いろいろな国から狙われていて、それをどうすることもできない絵憲法になっている」
と言える。
本来であれば、世界でも、
「永世中立国」
というものが存在し、
「彼らと日本とは、どこがどう違うのか?」
と聞かれて、どう答えていいのか分からない。
しかも、そん、
「永世中立国」
というのは、平和憲法ではない。
そもそも、軍隊もあり、さらには、最新兵器だって持っていて、戦えば、かなり強いことだろう。
そもそも戦争を起こした国があれば、他の国は、
「どちらかに加担ですか」
あるいは、
「中立を表明するか?」
になるのだから、永世中立というのは、いちいちその時に、中立を宣言しないでもいいというだけの、
「戦争反対の、平和国家」
ということではないのだ。
ということであった。
今のソーリの独断はそれだけではなかった。
「国葬問題」」
も、本来であれば、
「国会を開いて、国会議員でしっかり話をして、それを政府が決定事項を実行する」
というのが当たり前のことであるのに対して、
「政府は、国会の開かずに、独断専行」
として行ったのだ。
さらに、一番ひどいのは、
「自分たちの支持率が下がった」
ということで、政府は、
「何とか、支持率回復」
ということで、その方法として、
「少子高齢化問題」
に首を突っ込んだのだった。
「子育て支援」
というものを行えば、子育て世代の票が得られるということで、実際には、少しだけ支持率が回復し、
「政権維持ギリギリのラインだった」
というところから、
「支持、不支持が同じくらい」
というところまで回復したのだが、そこから、また下降してくるのが見えてきたからだった。
それは、本当にバカな政策で、
「やってます」
アピールと、
「政策のひどさ」
というものが、あからさまになってきたことからも問題であろう。
どういうことかというと、今でも、子育てには支援金が出ているのだが、今回の問題としては、
「第三子からは、少し高い給付金を与える」
というものであったのだ。
それを、
「いかにも、政府が思い切ってやっている」
かのようなアピールをしてくるが、
「第三子のいる家庭など、最初から少ないわけ」
なのだが、さらにそこに、おかしな条件を付けてきたのだった。
というのも、
「第一子が、高校を卒業すれば、その子は、第一子としてカウントしない」
というものだった。
つまりは、
「高校を卒業しようとしている家庭があり、第三子が生まれたのと同じ頃に、第一子が高校を卒業でもすれば、第一子は、第一子ではなくなり、次男がスライドしてくる形で、第一子と計算するということになるので、今度生まれた子供は、第二子ということになり、支援金は受けられない」
ということにあるのだ。
それこそ、ただでさえ少ない第三子の括りをさらに、拡大しようというのだから、
「これほどひどいものはない」
ということである。
さらに、この問題で、もっと大きなことというと、
「そもそも、視点が違っている」
という話である。
問題は、
「少子高齢化」
ということであり、
「子供の数を増やさなければいけない」
というのが当たり前ということである。
もっといえば、
「第三子に補助金をやったからといって、第四子を作るのか?」
ということになるわけで、普通に考えれば、そんなことをする親が、どこにいるというのか?
ということなのである。
そう、そもそもの問題は、
「支援金を与える相手が違っているのではないか?」
ということなのである。
どういうことなのかというと、まず、前提として、
「これは皆に言えることではないか」
ということを大々的に言っておく必要があるのだが、そもそも一番の問題は、
「少子高齢化」
というものを何とかするということなので、その優先順位としては、
「子供をたくさん作る」
ということである。
そうなると、
「今子供を育てている人に支援金をやるよりも、子供がほしいのに、諸事情で作れない人に上げる」
という方が、いいのではないかということである。
つまり、
「子供がほしいのに作れない人の一番の理由は、お金がないということに掛かってくるのではないのだろうか?」
そもそも、子供のいる人は、
「子供ができても、やっていける」
と考えたから作っているのであって、子育てする金くらいはあるはずだ。
「想像していたよりも、金がかかる」
というのは、それだけ無計画だったともいえるかも知れない。
もちろん、今のように物価が上がっているというのは、そのほとんどの原因が政府にあるおだから、
「子育ての人に少しでも補助を」
というのは当たり前のことで、元来、これと、
「少子高齢化問題」
とは別物のはずなのだ。
それを、政府が一緒にいうから、支援金の正当性をさらに高めることで、
「国民に恩を売る」
とでもいうか、
「票を少しでもキープできる」
ということでの、
「やってますアピール」
というものなのだ。
そんなものに、国民は引っかかって、最初は支持率が増えていったが、実際には、
「国民もバカばかりではない」
ということで、やっと、ソーリのバカさ加減に気付いてきたことで、支持率がまた下がり始めたというものだ。
「あんな、あさとい性格を打ち出すのだから、それは当たり前というものだ」
ともいえるだろう。
政府というものが、そんな情けないものだったということに気付いた国民が支持率を動かすことで、最初は、
「解散総選挙」
をもくろんでいた政府も、支持率下落で慌ててしまい、
「やっぱり、やぁめた」
というような、子供の発想をしているのだから、
「これほど情けないものはない」
ということになるだろう。
結局政府内でも、
「ソーリに引っ掻き回された」
と思っている人も少なくはないだろう。
これが、政府与党の内情であり、
「いつまで、こいつに反りをやらせるんだ?」
ということになる。
どうせ、誰がやっても同じなのかも知れないが、どんどん悪くなるのは、どうしたものだと言えばいいのだろう。
そんなソーリだが、言葉では、
「少子高齢化政策」
といっているのだが、これは元々、
「物価上昇」
という状況に陥ってしまったことで、下落してしまった支持率を。。
「何とかしよう」
としての
「急場しのぎだ」
ということであろう。
とりあえず、問題になっているところ、そして、それが、票に結び付く可能性があり、しかも、一番騙しやすいところということを考えると、
「子育て世代の主婦」
ということになるのだろう。
現実の目の前のことで、
「どうしていいのか分からない」
という人たちで、普段から、政治にまったく興味がない。
つまり、
「盲目の人間を洗脳する」
ということが、一番手っ取り早いということになるのだ。
それを考えると、
「騙しやすく、さらに、少子高齢化ということとも、接点がある」
ということで、支持率上昇を狙ったのだろう。
最初は、それが功を奏したというのか、計算通り、支持率を上げてくれた。
それによって、いろいろ精神的に余裕が出てきた。このソーリは、
「これなら騙し続けられる」
とでも思ったのか、
「第三子の補助金を上げる」
と言ったことで、さらなる、支持率の上昇を狙ったのだろうが、
「そうは、問屋が卸さない」
ということになる。
確かに、第三子のいない人は関係ないと思っているだろうが、実際に第三子が生まれて、それが、長男が高校を卒業したとたん、
「第二子に昇格」
ということで、
「補助金なし」
と言われたとすれば、その主婦はどう思うだろう。
「騙された」
と思うに決まっている。
なぜかというと、女性というのは、現金なもので、都合のいい時は何も考えずに、支持をするが、逆に、何かあった時は、
「すべてを相手の責任にして、自分の正当性を考える」
となると、
「すべてを政府のせいにして、政府批判を始めれば、団参し問題で対象者もさることながら、第三子に関係のない主婦までも、政府のあからさまなカラクリに気付くことになり、これまで、支持率を上げてくれた人が、全員敵に回ってしまうと、政権維持ギリギリまでに落ちるだろう」
ということだ。
しかし、もっと言えば、そこから拡散されていくわけだから、
「政党を昔から支持している、固定票」
しか残らないとすれば、もうその時点で、
「政府は終わり」
なのだ。
見かけは、20%以上の支持率があっても、実際には、限りなくゼロに近いのだ。
ということは、
「どうやったって、それ以上下がることはない」
というところなので、そこまで下がって、それ以上下がらないということは、
「最低ラインに落ち込んだ」
ということを示しているのだった。
清川という男は、あまり人とかかわりがない。それだけに、ニュースを結構見たりするのだが、そのせいというか、
「おかげ」
もあって、政府のいろいろなウワサであったり、どれだけの状態が、今巻き起こっているかということも分かっていた。
「世界的なパンデミック」
によって、世間は、人と会うことを禁止されたり、出社もできないという状況から、精神的に病んでいく人を見ることもあった。
それを考えると、
「却って、今の方が自由なんだ」
と思うようになったが、ニュースではロクなことを言っていないので、将来に対しての不安や、不満というのも大きくなってきている。
そんな毎日が、子供の頃からあった自分だったが、このパンデミックの間には、余計にひどくなってきたような気がするのだった。
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