恐怖の大王

 話を始める前に、自己紹介をさせてくれ。

 私は佐藤。全国どこにでもいるありふれた名前だが、そんなことはどうか気にしないでもらいたい。

 次に我々の星、地球についてだ。

 この星は今、滅亡の危機に直面している。

 オーストラリア大陸が蒸発し、世界中にその余波が伝播した。

 そして地球の至るところから火の手が上がり、人類は絶滅の危機に瀕している。

 そんな被害の中、僕はとあることを思い出した。それはあの天災が起こる数か月前、僕が入院する病院の話だ。


 ――数か月前。

 それは窓からの日光を遮り、僕の鼻に人間の肌の質感を伝えてくる。

 

「佐藤くーん、起きろー」

 

「んがががが! 息が……!」

 

 思わず目を開けるとそこには、質素な患者の衣服に袖を通す少女だった。

 長い黒髪が陽の光を反射して僕の視界をくぎ付けにする。

 

「なーに、どうしたの寝坊助さん? もう広場空いてるよ?」

 

 彼女はそう言って僕に歯磨きと廊下の朝食を取りに向かわせ、僕が食べ終わると同時に手を引いて目的地へと共に向かう。


「ねーねー。今日はどんな私を描くの?」

 

「今考えてるとこ」

 

「焦らすねえ。佐藤くんて、もしかしてそういう接待がお好みだったり?」

 

「怒るよ?」


「すいやせーん」

 

 広場の中、噴水の前にて会話する僕達。

 病院の広場はガラスの天蓋に煉瓦の床、緑豊かな雑草や観葉植物が所狭しと並んでおり、目の保養にもなる良い場所であった。

 そんな僕はこの広場で絵を描いていた。

 何の絵かというとそれは――

 

「ねー佐藤くーん」

 

「……」

 

 黙り込み、彼女の眼前にペンを突き立てながら、デッサン対象を観察する。

 

「佐藤くんてさ、やっぱりえっちだよね」

 

 すんなりとこういうことを言うのは、長年の付き合いだからこそ繰り出せる彼女の大技だった。

 僕は死角からの発言(そげき)で、集中が途切れ、腰掛けていた広場の噴水に後頭部からダイブ。

 

「なんでそんなこと急に言うかな、屋久子(やくし)さんは」

 

 彼女の名前は屋久子冥(やくしめい)。

 この病院に3年ほど前から通っているという、いわゆる常連さんだ。

 

 

「それで惚気る程度じゃ、君にこの絶世の美少女、冥ちゃんはいつまでたっても描けないよ」

 

 ちなみに最初声を掛けてきたのは彼女。何かと突っかかってくるせいか、よく見ると綺麗な見た目のため、仕方なくデッサン対象にしようという提案を僕が飲んだ形だ。

 ただこの1年。なぜか彼女を完璧に描くことができていない。

 絵の神の悪戯か、はたまた僕の凡才のせいか、どちらにせよ理想の彼女の絵を描けたことはなかった。

 

「佐藤くんはさ、きっと体に力が入り過ぎてるんだよ」

 

「力ってどこに?」

 

「うーんと、肩? 腰? 指? 眼? 多分どれかだよきっと」

 

 彼女のこういう腑抜けな感じこそ、理想の絵画完成の妨げとなっているのではないかと思う日もあったが、それでも相変わらず彼女の絵はうまく描けない。

 

「はあ。とりあえずじゃあ、2枚目書かせてよ」

 

「いや、もう今日で終わり」

 

「え?」

 

「私の絵を描くの、今日限りで終了」

 

 唐突だった。僕は意味が分からずにすぐさま聞き返した。

 

「どういうこと?」

 

「まあそう慌てないでよ。昔さ、恐怖の大王の話をしたの覚えてる?」

 

 それは約1年前。僕と屋久子さんが初めて会った時のことだった。

 この時点で彼女を警戒すべきだったが、時の流れとはどこまでも残酷で無情だ。

 

『ねえ佐藤くん。ノストラダムスの大予言って知ってる?』

 

 当然のごとく知っていたが、あえて知らないと口にした。彼女に許す心の余裕はないほど、病院生活は疲労と隣り合わせだったからだ。

 

『いくつかあるんだけどさ。その一つに、1999年7月に恐怖の大王が降りてくるってゆー予言があるんだけど、あれ実はもう降りてきてるらしいよ』


『何が言いたいの?』


『別に。ただ面白そうじゃない? 誰も知らない予言の事実が、見知らぬ少女の口から急に紡がれたら……』

 

 ふふふと、笑みを浮かべながら話す彼女の口調は、どこか自分の事を話すかのように自慢げだったのを覚えている。

 

 

「そんな昔の話と、デッサンに協力できない話に何の関連性があるの?」

 

 僕は少々苛立ちを隠せないまま彼女を問い詰めた。

 

「だから、佐藤くんにだけ話すよ。耳貸して」

 

 屋久子さんは僕の隣まで駆けてくると、訳の分からない僕に息が掛かる距離間で耳元に囁いた。

 背中と胸に電撃が走ったが、同時に脳の理解(キャパ)をはるかに超えた内容が頭を駆け巡った。

 

「う、うそだ……そんな話、信じられるわけない」

 

「佐藤くん」

 

 彼女が口を開く。僕の知る屋久子さんとは違う彼女が話をしているようだった。

 

「ほんとだよ」

 

 彼女の瞳はどこまでもまっすぐで、笑顔で、その顔こそ僕が描きたかった彼女のすべてだとこの時ばかりは実感した。

 そして彼女は翌日、病院から姿を消した。

 

 

 数か月後――


 空から舞い降りた恐怖の大王は天地を抉り、この星に厄災をもたらした。


 あの時の耳打ちの内容は、星を巡った衝撃波と共に僕の意識へと数か月ぶりに流れ込んできた。

 

「私が恐怖の大王だ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る