第47話 新米幽霊Qさん
こんにちは。閻魔通信社の凶ちゃんです。
本日の企画はズバリ、「新米幽霊の一日に密着!」。
生者の方々はご存じないでしょうけれど、霊界は多くの霊を現世に派遣しています。
これは、生者の方々に霊を意識してもらうためなのです。
どうして意識してもらう必要があるのかって?
もしも霊の存在が忘れられてしまうと、現世が荒れるからです。
ご先祖様を大切にしなくなったり、霊験あらたかな神社仏閣を軽んじたり、心霊スポットでいちゃいちゃしたり、「あいつがくたばったら墓にクソぶっかけてやる!」などと叫ぶレスラーが現れたりします。
現世が荒れると、人がたくさん死にます。そうなると霊界がキャパシティ的に辛くなると予想され、サービスの質が低下する恐れがあるのです。
つまり、生者が霊の存在を忘れずにいる状況こそ、現世にとっても霊界にとってもウィンウィンなのです。
そのため、霊界は各地に幽霊を派遣しています。
今日は新米の派遣幽霊であるQさんにご協力いただき、その一日に密着させてもらいました。Qさんの奮闘ぶりを、とくとご覧いただきたいと思います(ちなみにQさんというのは仮名ですから、あのQ太郎くんとは無関係です)。
「今日はよろしくお願いします」
深夜十二時。待ち合わせ場所である人気のない公園に、Qさんは現れました。
黒髪のボブヘアーで、膝までの白いワンピース姿。生者であれば二十代前半と思しき小柄な女性で、人なつこい笑顔が印象的な人です。
「どうですか? 勤務一日目の心境は」
「どきどきですけど、研修で習ったことをしっかり活かせるよう頑張ります」
丁寧な受け答えをしてくれるQさんは、見るからに真面目そうな人でした。
しかし、その瑞々しい真面目さが、後々彼女を苦しめることにもなるのでした。
「研修ではどういうことを習ったんですか」
「まずは心構えですね。霊の存在を生者の方に、きちんと知ってもらう。そのアピールができるかどうかが大事だって、繰り返し指導されました。形どおりだと最近の生者は驚かないから、自分なりのアレンジを加えるのも大事だって。難しそうですけどね」
Qさんとあたくしは、暗い夜道を歩いていました。街灯がぽつぽつとあるばかりで、人通りの少ない道です。幽霊が出現するには格好の状況でした。
けれどQさんは、まだまだ新米。
気持ちにも余裕がないみたいでした。
「夜道ってこわいですよね。人を驚かせちゃったらどうしようって心配で」
「え? どういうことですか?」
あたくしは少し意外に思って尋ねました。Qさんによると、驚かせること自体は目的ではないそうです。いかに印象づけるか。それが幽霊の大切なポイントなのだと習ったそうです。
「驚かせてもいいんじゃないですか。そのほうが印象に残るはずですし」
あたくしの言葉に、Qさんは笑みを浮かべつつも、自信なさげに見えました。
そんなとき、一人の男性が歩いてきました。
あたくしの姿は生者には見えませんし、幽霊のQさんも同様です。ですからQさんは、全身に力を込めることで、意識的に姿を見せることになります。がんばって、とあたくしは少し距離を置いて、彼女を見守ることにしました。
向こうから歩いてくる男性は、大学生のようでした。Qさんは電柱の陰に立ち、相手を待ち伏せするようにじっと立ち止まっていました。
二十メートル、十メートル、五メートル……。
二メートルほどの距離に縮まったところで、Qさんは男性の前に立ちはだかりました。
「お、お、おばけだぞー……」
ひどくか細い声でした。それはそれで幽霊っぽくてよいのですが、問題は。
「おば、おばけだぞー、こわいんだぞー……」
男性は一瞬驚いた様子を見せ、Qさんから離れました。そのまま、立ち止まりもせずに歩き去ってしまいました。
落ち込んだ様子で佇むQさんのもとに、あたくしは駆け寄りました。
「Qさん、今のはどうかなと思いましたよ。おばけだぞーなんて言いながら出てくるおばけ、いないですよ」
「自分なりのアレンジのつもりだったんですけど」
変質者と思われたかもしれない、と泣きそうな顔で言うのでした。幽霊にとって、変質者と間違われるのは最悪の失態です。それにしても、大切な第一声が「おばけだぞー」はひどい。申し訳ないけれど、あたくしはそう思いました。
「せめて、うらめしやーとかのほうがいいんじゃないですか」
「うーん、でも、古典的すぎませんかそれ」
Qさんの切り返しに、あたくしは少しイラッとしました。おばけだぞーよりは、いくらかマシでしょう。まずは定番で勝負してみてはとあたくしは言い、彼女は頷きました。
「あっ、来ましたよ」
あたくしは遠くの人影を指さしました。「今度は若い女性ですね」
Qさんと同じボブヘアーの人でした。大学生か、若いOLさんにも見えました。
Qさんは先ほど同様、電柱の陰に隠れました。
徐々に距離が縮まっていくのを、あたくしも緊張しながら見つめていました。
目の前に立ちはだかるより、背後から声を掛けるのが効果的かもしれない。
直前に立てた作戦を実行するように、Qさんは女性が通り過ぎてから背後に歩み寄りました。そして、一度目よりもはっきりした声で言いました。
「うらめしやー」
女性は気づいていないのか、立ち止まろうとしません。なおもQさんは、うらめしやーと繰り返します。何度目かのうらめしやーで、女性は振り返りました。すっと足を止め、びくっとしたように肩を揺らしました。
やった、と思ったのは一瞬でした。
女性はイヤホンを外し、「何ですか?」とQさんに尋ねました。
「うら、うらめ……」
声がうわずるQさん。「うらめしやー」
「ごめんなさい。英語わかんないんで」
なんたることでしょう。Qさんのうらめしやーは意味が通じなかったらしく、英語と勘違いされたのです。女性は軽く会釈をして、すたすた歩いて行きました。
「ごめんなさい」
あたくしはQさんに駆け寄って謝りました。「最近の若い人には、うらめしやーが通じにくいのかもしれません」
二度の失敗で、すっかりしょげこんだQさん。
あたくしは少し責任を感じたので、ひとつの提案をしました。
「事故物件に行ってみたらどうですか?」
「事故物件?」Qさんはへの字の眉のまま言いました。
「そうですよ、あたくし、リストを持ってるんです」
「でも、事故物件には、もう別の幽霊さんがいるんじゃないですか」
「聞かされてません? 事故物件であっても、幽霊がいないところもいっぱいあるんですよ。そういうところを狙ってみればいいんです」
事故物件の住人を狙おうと考えたのには訳があります。普通の物件に住んでいる人は、幽霊を見ても怖がらない恐れがあります。「こんなところで幽霊を見るわけがない。なぜなら普通の物件であるから」と。
しかし、事故物件に住んでいる人はどうでしょう。彼らの多くはきっと、「幽霊が出るかも」という意識を持って生活しているはずです。Qさんを幽霊として正しく認識できる人も多いに違いありません。
あたくしとQさんは近場の事故物件をピックアップし、さっそく出向いてみることにしました。
「だけど、なんか申し訳ない気もします。気持ちよく眠ってるところに押しかけていって、嫌な思いをさせるみたいで」
他人への気遣いができるQさんですが、それが彼女の弱点なのかもしれません。
「いいんですよ、気にしなくても。まずはぶつかってみましょうよ」
あたくしとQさんは宙を浮遊し、とある十階建てマンションの七階に目を付けました。
以前、部屋の中で男性の首吊り自殺があったそうですが、当の男性はすでに成仏済みとして霊界リストに登録されています。今は独身の若い女性が住んでいるようです。
部屋はカーテンが閉め切られ、真っ暗でした。
時刻はすでに深夜十二時を周り、格好の時間です。
「じゃあ、行ってみましょう!」
Qさんといっしょに、あたくしはガラス戸とカーテンをすり抜けました。
「ケヒャケヒャケヒャケヒャ!」
真っ暗な部屋の中に、女性の甲高い笑い声が響いていました。
あたくしもQさんも、暗闇の中で目が利きます。長い黒髪を振り乱した全裸の女性が、けたたましく笑いながら壁に何かを書いている場面に出くわしました。
「ケヒャケヒャケヒャケヒャ!」
白い壁には黒や赤のマジックで、あれこれと書かれていました。
「カクテル電気に革命を」「警察暴力の半分は血のクラゲ」「おぼりかぼべら」「武蔵小杉のエイリアンも犠牲者」「ぞぞく食べた 二十万払ってぞぞく吐き出す」「姉にノーベル賞盗まれた」「もずもず」「佐藤の息子は犬」「返してよあたしのこども返してよ」「骨と腸はマイクロトモアキが純情の腐乱」「ペギー」「火星があたしをいじめたので村を焼く一人で泣く」「豚のおまえの金賞パンチ」
などなど、かなりのコクと脂身がある文言で埋め尽くされていました。
ふと気づくと、Qさんの姿がありません。
外に出てみると、宙に浮かんでしくしく泣いています。
「イヤです! 幽霊より怖い! 取り憑かれてる!」
「取り憑いてる霊はいないようですよ」
あたくしは背中をさすってなだめました。「生者にはいろんな人がいるんです」
一軒目のインパクトが強すぎたのか、「やっぱり事故物件はいやだ、こわい」などと言い出しました。
「はじめのうちは路上のほうがいいんだと思います」
あたくしの見せたリストをしばらく眺めたあとで、ため息交じりに言いました。
「ありがとうございました。もう大丈夫です」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、あたくしにリストを返すのでした。
先ほどとは違う夜道に佇み、生者を待ちました。
けれど、すでに深夜一時近くになっており、人の姿もほとんどありません。
こちらからアプローチしなくちゃダメですよね、と自らを奮い立たせるように言って、別の路地に向かいました。
そこで、一人の男性を見つけました。
背広を着た大柄の男の人が、背を向けて歩いています。
Qさんは、彼のもとに忍び寄っていきました。
おばけだぞーもうらめしやーも言いません。ただ静かに、近づいていきます。
それでいいのよ、とあたくしはまるで保護者のような気持ちで見守りました。
Qさんは生者の目に捉えられる姿となり、少しだけ宙に浮かんで、顔の高さを相手に揃えました。曲がり角にさしかかったところで、男性の右肩にそっと手を置きました。
男性は、ぬっと振り返りました。
頬に大きな傷のある、強面の男性でした。
「なんやワレ、コラ、あぁ?」
男性は正面に向き直りました。金色の柄物シャツがあたくしの目にも映りました。
「どこの誰や? タマ取りにきたんか? あ? いてもうたるぞコラ!」
ドスの利いた低い声が、夜道に響きました。
「何を黙っとんのや? あぁ? 喧嘩売んねやったら肝据えてこいやボケ!」
ぺっ、と吐き捨てたつばがQさんの体をすり抜けて、地面に落ちました。
男性は、彼女を顧みもせず闇に消えていきました。
「こわい……」
Qさんはとうとう大粒の涙をこぼし、あたくしに抱きついてきました。
「ヤクザこわい!」
恐怖心をどストレートに表明しました。
「ヤクザこわい! こわかったよぉ! うわーん!」
うわーんと言って泣く人、もとい、幽霊をあたくしは初めて見ました。
どうしようかと戸惑っていたところで、あたくしの正面に、人影が見えました。
曲がり角から出てきた若い男性でした。
彼はQさんに気づきました。反社会系の男性に迫ったあとも、Qさんは「生者から見える状態」をキープしたままだったのです。
あたくしが目で合図すると、Qさんは振り返りました。
すると、男性は顔を引きつらせ、逃げるようにして走り去りました。
彼の背中を呆然と見送ったあとで、Qさんは突如、上空へと飛びました。
「もうダメです!」
慌てて追いかけるあたくしに向かって叫びました。
「ただ泣いてるところを生者の人に見られるなんて! 幽霊失格です!」
よっぽど屈辱を感じたのか、あたくしも追いつけない速度で飛び去ってしまいました。
どうしよう。
あたくしもまた、辛い気持ちでした。
ずっと一緒にいたあたくしの責任であるような気もしました。
そこからの数日間、彼女とは連絡が取れなくなりました。
ですが、意外な事実が発覚しました。
Qさんを目撃して去った男性が、幽霊を見たと周囲に言いふらしたそうです。
可愛げのある泣き顔の幽霊として記憶に残り、「よく考えたら怖いのかどうかわからない」ともやもや感を残した結果、霊の存在を強く印象づけたようでした。
そしてQさんは見事、上司にお褒めの言葉をもらったそうです。
失敗の連続と思っても、思いがけないところで成果を残せることもある。
この仕事はとても面白いものだとわかった。
Qさんは後日、あたくしにそう語ってくれました。
まだまだ苦労は多いと思いますが、新しい幽霊の門出に立ち会えたことは、あたくしにとっても大きな悦びです。Qさんにあらためて応援の言葉を贈りたいと思います。
がんばれ! 新米幽霊!
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