第45話 白球の行方
僕たち高校野球部は、今年の夏、ある悲劇に遭遇した。
部員の一人であるSが、車にはねられて亡くなったのだ。
僕とは同級生で、入学以来、クラスもずっと同じだった。一緒にジョギングをして、一緒に先輩にしごかれた。一緒にノックを受けて、一緒に監督からどやされた。
誰よりも早く練習に来て、誰よりも遅くまでグラウンドを走っていたS。
近くの河川敷で、雨の日も風の日も欠かさずバットを振っていたS。
一、二年の頃はベンチ入りさえできなかった彼は、最後の大会でようやくレギュラーの座を掴み取った。ショートを任された彼は、守備の要としてチームを支えた。六番の打席を与えられた彼は、クリーンナップのつくったチャンスを自分が得点にするのだと、打撃練習にもいっそう熱を込めていた。
高校最後の大会に向け、努力を重ねた彼はもう、この世にいない。
ベンチの外に置かれていた頃も、チームが負ければ誰よりも悔しがった。自分の応援が足りなかったせいだと涙を流す姿は、試合に出ていた先輩たちが恐縮してしまうほどだった。誰よりも勝ちにこだわり、審判が微妙な判定を下したときには、帰りにその審判を捕まえて抗議に行くほどだった。さすがにその行動は監督からお叱りを受けたのだけれど、そんな彼の情熱を咎められる人間は、部内に誰もいなかった。
彼のためにも、僕たちは勝たなくてはいけない。
「よっしゃー! 行くぞー!」
キャプテンのかけ声に、円陣を組んだ部員たちが呼応する。オー! と野太い声がグラウンドの隅に弾け、僕やほかのメンバーは一斉に駆け出していく。
円陣の一角には、Sの顔があった。
女子マネージャーが遺影を持ち、輪に加わっていたのだ。
グラウンドに散らばった仲間を、ベンチの中からSが見守っていた。
絶対に負けるわけにはいかない。
僕のみならず、監督も選手もマネージャーも、同じ思いだ。
包み隠さず言ってしまえば、僕たちは弱小野球部である。
二回戦止まりがせいぜいで、この三年間は一回戦負けの連続。甲子園なんて口にするのもおこがましいレベルだけれど、弱気なことを口にすればきっと、Sは怒り出す。部員はみんなわかっている。彼の葬儀に出て以来、卑屈な発言をする者は誰一人いなかった。
絶対に勝つ。その意気込みを胸に、僕たちは一回戦に挑んだ。
試合はぎりぎりの攻防が続いた。
そして迎えた最終回。五対六。一点のビハインド。裏の攻撃。
ツーアウト一塁で、バッターは僕だった。
絶対に終わりたくない。見逃し三振なんてあり得ない。
つなぐバッティングなんて余裕はない。長打で一塁ランナーを帰すのだ。
ツーストライクまで追い込まれた僕は、渾身の力を込めてバットを振った。
確かな手応えとともに、白球がライト方向に飛んだ。
しかし、打球の勢いを目にした瞬間、僕は絶望した。
高く飛んだ打球は、とてもじゃないがヒットコースではない。相手チームの外野選手が捕球に動く姿を見て、駄目だ、と僕は思った。エラーしてくれと一心に願い、ファーストに向けて精一杯走った。
その直後だった。信じられないことが起きた。
ふらふらと上がった打球は、突風に流され、なんとライトフェンスを越えたのだ。
逆転サヨナラホームラン。
あまりの驚きに、あやうく一塁ベースを踏み損ねるところだった。
仲間のベンチから上がる声にさえ気づかぬまま、僕はぼうっとした頭でダイヤモンドを回った。ホームベースを踏んだ瞬間、試合終了の宣告がなされ、僕たちは相手選手への一礼のあとで歓喜に沸いた。
仲間たちにもみくちゃにされながら、ふとSの顔が目に飛び込んだ。
遺影に映る彼の笑顔を見て、僕は涙が止まらなくなった。
「奇跡だよ奇跡」「Sが勝たせてくれたんだよ」「あいつがくれたホームランだ」
帰りのバスの中でも興奮は冷めやらず、部員のみんなはSの遺影に手を合わせ、感謝の言葉を述べた。
ありがとう、S。
僕も頭を下げ、次も勝つぞと誓いを新たにした。
そして、僕たちは勝ち続けた。
二回戦では地区の強豪とぶつかり、〇対四と追い込まれたものの、最終回で同点満塁ホームランが出て、そのままの勢いで勝ち越した。そのホームランもまた、一回戦同様、奇跡的な軌道を描いてフェンスの向こうに吸い込まれた。
三回戦では県下随一の強豪と対戦したが、先発のピッチャーが一球目で肩を壊し、二番手、三番手のピッチャーも大乱調になった。僕たちは八対七で勝利した。
準々決勝では、相手チームの部員全員が食中毒にかかり、不戦勝。
準決勝では、相手チームの監督が暴力事件を起こし、失格となって不戦勝。
いよいよ迎えた県予選決勝では、審判が僕たちに有利な判定を下し続け、抗議に次ぐ抗議で大騒動になるも、結果は覆らずに僕たちの勝利。
その頃には全員が、確信を持って気づいていた。
Sのやつ、やってんな………。
ついに僕たちは甲子園出場を勝ち取り、そのまま決勝戦まで進んだ。
試合はぎりぎりの攻防が続いた。
そして迎えた最終回。五対六。一点のビハインド。裏の攻撃。
ツーアウト一塁で、バッターは僕だった。
どうにでもなれという気分だった。
勝ち進みながらも、部員の誰しもが何とも言えない気分でいた。
これでいいのだろうか……。
いや、駄目だと僕は思った。心の中で、Sに呼びかけた。
勝ちにこだわるおまえの気持ちはわかった。でも、もういいんだ。せめて最後は、俺の実力で勝負させてくれ。もし負けたって何の悔いもないんだ。
相手ピッチャーの剛速球が、一直線に飛んでくる。
速い。とてもじゃないが打ち返せない。だいたい、実力は段違いだ。相手はプロ入り内定も同然の、超高校級。メジャーのスカウトも、スタンドのどこかにいるに違いない。
一方の僕なんて、地方の弱小高校の冴えないバッターなのだ。
かまいやしない。どうせ負けるなら、全力で振ればいい。
ツーアウトまで追い込まれた僕は、渾身の力を込めてバットを振った。
手応えはなかった。
けれど、信じられないことが起きた。
バットをすり抜けたボールは、キャッチャーミットの前で止まっていた。
なんだ、これ……。
甲子園中の時が止まった。ボールは宙に浮いたままだった。
その直後、僕ははっきりと見た。僕だけがはっきりと見た。
青白い光を放った半透明のSが現れた。
彼はボールを持ち、そのままライトスタンドに飛んでいった。
やりやがった。
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