第44話 苦しまぎれの長話

 刑事さん、少し長い話になるんですが、聞いてください。


 あれは、中学三年の春でした。僕と同級生のAくん、Bくんは、休みの日に廃墟探検に出掛けたんです。学校から自転車で十五分ほどのところに、廃園になった保育園がありましてね。別に肝試しってわけじゃないんですけど、興味半分で訪れたわけですよ。


 その保育園ってのが、一階建てで、上から見るとT字型をしてるところなんです。Tの下の部分が玄関で、廊下の両脇に幼児の遊ぶ部屋とかが並んでる感じですね。さすがに怖かったもんで、まだ日の出てる間に入っていきました。

「ここって、なんか怖い噂とかあったっけ」

「さあ、別に聞いたことないな」

「あ! 覚えてるなあこの部屋。ここ、お昼寝部屋だったんだよ」 

 Aくんはそこの卒園者だったらしく、ぼくたちと比べて楽しげでした。別段、荒れ果てているという感じもなく、整然としすぎてて、今思い出すと不気味です。

「確かこっちにトイレがあって、友だちの子がうんこ漏らしてさー」

廊下の突き当たりで左側を示しながら、懐かしそうにAくんは言いました。

「あっちは何があったの?」

 Bくんが右の廊下を指さしました。するとAくんは「あれ?」と素っ頓狂な声を出しました。

 その理由はすぐにわかりました。

 廊下のいちばん奥に真っ赤なドアがあったのです。

「あんなのあったっけ。まあ、ずっと前のことだからなあ」

 勝手知ったる調子のAくんに比べて、僕は少し緊張していました。そのドアが、妙に浮き上がって見えたのです。近づいてみて、そのわけもわかりました。廃園になった施設ですから、当然掃除などはされていません。壁や床はくすんでいたし、風雨にさらされた窓は汚れています。そんな中で、そのドアだけが異質だったのです。まるでこまめに磨かれているかのように、艶めいて見えたのです。


 このドアを開けてはいけない。


 虫の知らせというやつでしょうか。ひどく不吉な予感が頭をよぎりました。僕は二人に言ったのですが、彼らは聞く耳を持ちません。

「何だよ、びびりだな」「物置かなんかだろ」

 そう言われてはっとしました。ほかの部屋の入り口には「はなぐみ」とか「おゆうぎしつ」とか掲示があるのに、その部屋には何の表札もないのです。ただの物置なのか。僕も一瞬そう考えました。彼らと一緒にドアを開け、中を覗き込みました。

 

 …………気づけば僕たちは外に飛び出し、夢中で自転車を漕いでいました。

「間違いないよな!」「やばいよあれ!」「あーっ! 最悪だ!」

 ドアの向こうの残像が、大人になった今でも脳裏にこびりついています。

 そこには、首吊り死体がありました。六畳ほどの部屋の真ん中で、中年男性がだらりと首を伸ばし、床から足を浮かしていたのです。

ああ……今、思い出しても……ごめんなさい、続けます。

 少しでも保育園から遠ざかろうと、当て所もなく走っていた僕たちは、その道中で知っている顔を見つけました。僕たちの中学で社会を教えている、C先生です。

「先生! 今、あの、あの!」

 先ほどまでの余裕を完全に失ったAくんが、必死に訴えます。

 C先生は学校の近所に住んでいるらしく、たまたま散歩をしていたようで、足下に小型犬を連れていました。きょとんとしていたC先生の表情は、呆れ顔に変わりました。

「何を馬鹿なことを言ってるんだ」

「本当なんです、三人とも見たんです!」Bくんはもはや半泣きでした。

「事件ですよ! 警察を呼ばないと!」

 僕もすがりつくようにして状況を伝えました。

「仕方ねえな。ちょうど散歩コースだから、見てきてやるよ。嘘だったら覚えてろよ」

「警察には?」

「余計なことはすんな。俺が見てくるから」

C先生は犬を連れて、僕たちが来た方向へと歩き出しました。

 ついていくかどうか迷いましたが、目に焼き付いた死体の恐ろしさに負け、その日は解散して家に帰りました。


 翌日、僕は学校に行って、始業前にC先生に確かめました。彼は不愉快そうに答えました。

「なかったよ、何も。赤いドアの部屋自体がなかったじゃないか」

僕は驚いて教室に行きました。Bくんはお休みでした。

 今聞いた話をAくんに告げると、彼は首をかしげて言うのでした。

「保育園? 何のことだよ」

 僕は一瞬、彼が何を言っているのかわかりませんでした。

「昨日、行ったじゃないか」

「昨日だ? 俺、サッカー部の練習試合で、一日出掛けてたぞ」

確かに彼はサッカー部でした。そういえば、サッカー部が別の街まで練習に行くというのも、ほかの友人から聞いていたような気もしました。僕が言葉を失っていると、Aくんはクラスメイトのサッカー部員、Dくんを呼びつけました。僕がおかしなことを言い出したと、Aくんはあらぬ発言を重ねるのでした。

「保育園って、どこの保育園だ?」Dくんが僕に尋ねました。

「どこって……名前はよく覚えてないけど、そうだ、A、おまえが行ってたとこだよ!」

AくんとDくんは目を見合わせました。

「あのさあ」

 Dくんは肩をすくめて言うのでした。



「俺もそこ行ってたけど、取り壊しになってるぜ。だいぶ前に」



 僕はもう何が何だかわからなくなりました。ほかのクラスメイトに尋ねても、Dくんの発言が上書きされるばかりでした。僕は放課後、真っ先に学校を飛び出し、保育園へと走りました。

 僕は呆然とするしかありませんでした。そこは空き地になっていたのです。売り地という看板が立ち、ささやかな柵に守られて、ぼうぼうと生え放題の雑草があるだけだったのです。


 どうしたらいいのだ。僕の頭がおかしくなったのか。

 僕は家に帰り、欠席したBくんに電話をしました。今日、学校であったことの顛末を伝え、保育園がなくなっている事実も告げたのです。Bくんの答えを耳にして、僕は驚きという感情さえも忘れていました。

「悪いけど、おまえの言ってることがよくわかんないんだよ。俺は今、風邪で寝込んでるんだ。そんな場所に行くなんてあり得ない。それと」

 彼はひとつ咳をして、苦しげに洟をすすりました。



「C先生とか、Dとかって、誰のことなんだ?」



 ……中学卒業から五年後、成人式後の集いの折り、僕は周りにこの話をしました。

あの電話の翌日、C先生とDは、学校から忽然と姿を消したのです。僕たちに社会を教えてくれるのは別の先生でしたし、Dくんの名前は名簿から消え去っており、誰に聞いてもBくんと同じことしか言わないのです。Aくんにしても同様でした。

「ほんと、今思い出してもあれは何だったのかと思うぜ。みんなからしたら、あのときの俺がおかしく思えたんだろうな。覚えてるだろ?」

その場にいた数人の男女は、揃って困ったような顔をしていました。

「ごめん、そんな話、まったく覚えてない」「俺もだ」「あたしも」「あったっけ? そんなこと」「あったら覚えてると思うんだ」

 和やかだったはずのムードが、一気に冷えていくのがわかりました。一人の女子が、僕に向かって言うのでした。

「ところでさ、話に出てきたAくんとBくんってのは誰なの?」

「え?」

「AくんとBくんもいませんでしたって、そういうことなの?」

 訝しげな彼女を見て、ぼくはさらに訝しげな顔をしていたことでしょう。

 AくんとBくんは、存在する。その前提で、僕は喋っていたわけです。

 それすらもここに来て、覆されてしまったのです。

 集まっていたうちの一人が、卒業アルバムを取り出しました。そこには、AくんもBくんもいませんでした。この日の会合にも来ておらず、二人を知る人間もいませんでした。


 次々に人が消えていく。あったはずの出来事がなくなっている。

 僕はこの恐ろしい体験について、大学当時に付き合っていたFさんに話しました。

 その後に別れてしまったのですが、ぼくは最近、彼女の存在が気に掛かりました。

 今頃は、どこでどうしているだろう。

 懐かしく思って連絡を試みましたが、つながりません。

 さてはと思い、別の友人に電話しました。僕と彼女の共通の友人です。

 もはや、案の定というべきでしょう。

「カノジョ? おまえ、恋人なんていたの? F? 誰のことだ?」

 僕は深く追及しませんでした。

 彼が消えてしまわないよう祈って、電話を切りました……。




「……とまあ、そういう話なんですよ、刑事さん」

「取調中に長々語り出したと思ったら……結局君は、何が言いたいんだい?」

「ええ、ですから、相手の女性なんて、存在しないんじゃないかと思いましてね。犯行の事実なんて、ないんじゃないですか」









「あいにく、被害届はきっちり出されているよ。酔っ払った君が、見知らぬ女性に抱きついたのは紛れもない事実だ。潔く認めるべきだ」

「そうですか」

「今の話は、全部嘘だね」

「……はい」 


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