第42話 取り憑かれた友人

 おれが居酒屋でバイトしてた頃の話だ。

 バイト仲間の男二人と、ある廃トンネルに行くことになったんだ。

 その廃トンネルは、一度入ると幽霊に取り憑かれるって噂があったのさ。


「マジで俺一人かよ」

「約束しただろ。嫌なら一万円払えよ」

 廃トンネルに行こうと言い出したのは、タケシだ。あ、一応これは仮名な。

 ほいで実際に入ることになったのは、これも仮名で、ユキオってことにしておこう。

「やっぱ三人で行こうよ」

一人でトンネルに入れと言われ、ユキオは大いにぐずった。

「びびってんのかよ」

 ぐずるユキオを、タケシが笑った。

 言っておくけど、別にいじめとかそんなのじゃないぜ。トンネルに来る前、三人でパチンコ屋に行ってて、そこでユキオが派手にスッちまったんだ。このまま帰ったらアパートの家賃が払えなくなると泣きついてきた。タケシはその日、当たってたから、儲けた一万円札を得意げにぴらつかせて言ったんだ。

「これ、返さなくてもいいぜ」

「ほんとか!」

目を輝かせるユキオに、タケシは交換条件を出した。

「ただし、廃トンネルに入ることができたらな……」


「軽いもんだろ、それだけで一万円なんだぜ」

「こういうとこ苦手なんだよ俺」

 ユキオはどちらかっていうとオタクっぽいやつで、度胸もない。ぼそぼそした声で喋るから、居酒屋の従業員の中でも暗い男で通ってて、怖い客に絡まれたらすぐにおれかタカシを頼ってくる。一言で言って、気弱なタイプだ。

「いいな、奥まで行って、証拠の写真撮ってくるんだぞ」

 タケシは王様にでもなったような高慢な態度で、ユキオに命令した。

 ユキオはしぶしぶ、廃トンネルに向き直った。

 おれたちはタケシの運転する車で、山中にあるトンネルまでやってきた。ヘッドライトが照らす外壁はコンクリートで塗り固められてて、真ん中に真っ黒な口が開いてた。今は使われてない場所だから、中に照明はない。どれくらい続いてるのかもわからない。ユキオはゆっくりと、闇のほうへ歩き出した。


「でも、少し可哀想な気もするな」

 おれは言った。おれ自身、この手の場所は苦手なのだ。

「じゃあ、おまえもいっしょに行くか?」

「勘弁してくれよ」

 変な展開になったらまずいと慌てて答えたら、タケシはさも愉快そうに笑った。

「陽気な幽霊だったら、むしろ取り憑かれたほうがいいかもだぜ。知ってるか、あいつ、二十五なのに童貞なんだ。陽気な霊に取り憑いてもらえば、彼女の一人もできるかもしれないだろ?」

 遠ざかっていくユキオの背中を眺めながら、タケシはこっそりと軽口を叩いた。ユキオはスマホのライトをかざし、ゆっくりと奥深くに進んでいった。


しばらくすると、ユキオの姿が見えなくなった。


 スマホの光が小さくなって、ついにはそれすら消えちまった。

「相当長いんだな、ここ」「タケシが行けって言い出したんだろ」「どうしようか、マジで何かあったら」「だったらおまえが連れ帰ってこい」

初めこそ暢気にしてたタケシが、時間が経つにつれ不安げな呟きを漏らすようにもなった。本当に帰ってこなかったらどうしよう。外に残ったおれたち二人が、そんな心配を共有し始めたときだった。

 タッタッタッ、と足音が響いてきた。

 スマホの光が大きくなり、ユキオが姿を現した。

「よかったよ、無事で」「ちゃんと撮ってきたんだろうな、証拠写真」

 間近に迫ったユキオにおれたちは問いかけた。

 ユキオは息を切らしながら答えるのだった。



「ちょっと勘弁してえやマジで。むっちゃ長いやんけこのトンネル」



なぜか口調が変わってた。

「途中で自分ら変なことせえへんかった? なんか女の声みたいなん、ウワーゆうて聞こえてん。前から聞こえてんのか後ろからなんかわかれへんくて、どないしたらええねんゆうて」

 やたらと口数が多いのは、不安から解放されたせい。

 というわけでもないだろう。

 なにしろぜんぜん口調が違うのだ。

「ユキオ、おまえって関西出身だっけ?」

「おお、関西やで、大阪大阪」

タケシの問いに平然と答えたが、嘘に決まってる。生まれも育ちも関東の学校で、「西には岐阜までしか行ったことない」などとユキオ自身が言ってたのだ。

「タケシ、ちょっと」

 おれはひそひそ声でタケシに話した。「もしかしてユキオのやつ、幽霊に取り憑かれたんじゃないか? 大阪じゃないよこいつ」

「ふざけてるだけじゃないのか?」

「マジで取り憑かれてると思う」

 ユキオはこんな風におちゃらけたキャラじゃないし、おれたちに逆ドッキリを仕掛けるようないたずら心も持ってない。

「じゃあ、大阪人の幽霊に取り憑かれたってのか? ここ東京だぞ」

「事情はわかんないけど、そう思うんだ」

 おれとタケシはある相談をかわし、ユキオに向き直った。証拠写真を撮ったかと尋ねると、「撮ってへんよ」とあっけらかんと答えた。それでは駄目だ、もう一度行けと強引に押しやり、大阪人憑依のユキオは「やっぱ東京の奴らあかん、好かん」とぶつくさ言いながらトンネルに戻っていった。



 あれは何だったのかと思いながら、二十分ほど待ったあとで、ユキオが戻ってきた。

ユキオは胸のあたりをぽりぽり掻きながら言った。

「おまんら、ちっくと待ってくれや、二往復もさせるゆうがは、まっこと鬼ぜよ」

だいぶ土佐感の濃い人に取り憑かれてきた。

このままでは居酒屋のバイト中、カツオのたたきばかりお勧めする人になってしまう。

 いや、そんな場合じゃない。もう一度行かせることにした。

 もとのユキオに戻ってもらわねばならないのだ。



 土佐感の濃いユキオを押しやり、またしばし待つ。

 次はどこの方言だ? 東北か? 沖縄か? 外国語だったら聞き取れないぞ。

 再び姿を見せたユキオはなぜか、背筋を正してきりっとした顔になっていた。

「腰の物を下げておらぬと、いささか心許のうござる。物の怪の類いと相まみえれば、さしもの拙者とて心の臓が冷えようというもの。しようがないので、刀代わりにこの鉄棒のようなものを拝借してきたのでござる」

だいぶお侍感の強い人に取り憑かれたみたいだ。

途中で拾ったらしい鉄パイプを満足げに携えてるが、スマホを持っていない。

「スマホとは何でござろう。あいにく拙者、学問はからきし不得手ゆえ」

このままでは、武士の世が終わりを告げた街の様子を見て卒倒してしまう。

いや、そんな場合じゃない。帰ってきたはずのユキオが帰ってこない。

お侍感の強いユキオには、もう一度戻ってもらうことにした。



 そしてついに、まともな口調のユキオが帰ってきた。

「マジでびびった! ずっとハラハラしどおしだったよ!」

 証拠写真なんてもうどうでもいい。疲れた。

 異変が起こらないうちに、おれたちは街に戻ることにした。

「ウエーイ! チョイチョーイ!」

「うわっ、何だよ、やめろよ」

 ユキオははしゃぐような声を上げ、車へと向かうタケシの尻をぱんぱん叩き始めた。タケシが逃げると今度はおれを標的にして、逃げ回るおれを見ながらけらけら笑った。

「妙にテンション高いな、ユキオのやつ」おれは言った。

「解放感じゃないか。まあいいよ、とりあえず」

 一番乗り気だったはずのタケシも疲れてるらしく、そそくさと車に乗り込んだ。

 車中でも、ユキオの様子は普通じゃなかった。

「なあなあ俺、トンネルの途中でギャグ思いついたんだ」

「ギャグ?」助手席のおれは、振り返って目を丸くした。

「見てろよ。トンネルネルネル、飛んで寝る! ぴょーん! ぐーすぴー!」

後部座席で腰を浮かせたかと思ったら、両手を合わせて右の頬に当てる。目を閉じる。呆気にとられる俺を尻目に、「トンネルギャグ第二段!」と目を見開く。

「ネルネルネルネのトーンネル! こっちが入り口、こっちが出口。ネルネルしちゃってわかんない! どっちがいりぐち~? どっちがでぐち~?」

腕をグルグル回しながら、一人ではしゃいでいる。


「おい、これって、もしかして」おれは暗い予感を口にした。

「ああ、たぶん、そうだよな」タケシは暗い顔で応じた。


「陽気な霊に取り憑かれた、ってわけでもないよな」

後ろを振り返ると、ユキオは元気いっぱいに手を挙げた。

「替え歌歌いまーす! とんねるずの『ガラガラヘビがやってくる』の替え歌です! 聞いてください! トンネル抜けてもトンネルル~♪ あっちもこっちもトンネルル~♪」

 奇妙な歌唱に苛まれながら、おれはため息をついた。

 運転するタケシも、自分の仕掛けた遊びを後悔しているようだった。

 おれの感じていたことを、頭を抱えたタケシが適切に代弁した。










「取り憑かれてるよ。『ぜんぜん面白くない人』の霊に……」

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