第25話 禁じられた行い

 ぼくと友人の飯島が、その廃村を訪れたのは夏の日のことだった。車を降りたぼくたちは、蝉の音が入り混じる林道を歩いた。舗装された道路はひび割れ、落ち葉に彩られている。人の気配がない朽ち果てた集落が、すぐ向こうに見える。 


「悪いけどその日は無理。バイト」「おれも今回はパス」「ガチヤバ系はスルーなんで」

 わずか五人のサークルメンバーのうち、三人が同行を拒否した。

「何だよ、オカルト研究サークルが聞いて呆れる」

 華やかなはずの大学生活において、女っ気ゼロの我らがサークル。オカルト研究を旨とする男臭い集まりだ。部長を務める飯島が今回企画したのは、「U村の禁忌に迫る」というものだった。

「今回ばかりは本物だぜ。この前、バーで偶然、出版社の人にあってさ……」

 飯島がメンバーたちを口説き始める。U村というのは、オカルト好きなら誰もが知る、いわくつきの場所だ。端的に言えば、廃村。隣のM県に実在する。

 しかし、ただの廃村ではない。九〇年代末からネットでまことしやかに語られる、ひとつの都市伝説があるのだ。


「U村の石碑の前で、『禁じられた行い』をすると、何かが起きる」


 発端となったのは、なんとも漠然としたこの一文。

 だが、そこにさまざまな尾ひれが付いて、ゼロ年代には一大論争にまで発展した。 

 いわく、「お札を並べて三回柏手を打つと、幽霊に遭遇する」

 いわく、「深夜零時ちょうどに大声で叫ぶと、霊界の門が開く」

 いわく、「ラジオ体操を逆の順番ですべて行うと、過去に戻ることができる」

 真相は不明だ。最近でもネットに噂は絶えない。実際に現地へ出向き、各々の信じる方法を実行した動画も、ユーチューブには数多くアップされているのだ。


 そして、こんな風説もネット上には伝えられる。


「『禁じられた行い』は、確実にある。だが、本当に危険なので皆が避ける」


 世間の心ある常識人なら、まず見向きもしない。けれど、オカルト研究をしようという人間は、心ある常識人ではない。ゆえに、こうした言いぐさについ惹かれるのだ。

「じゃあ、その『禁じられた行い』って何なんだよ」「それだけ教えて」「プリーズ」

 三人は少しだけ気のあるそぶりを見せたが、飯島は一蹴してしまった。

「現地に行ったら、そこで教えてやる。今は言えない」

 こうなると三人は興味索然の状態に戻り、結局パスしてしまった。

 というわけで、ぼくだけが飯島に同行し、M県のU村へと旅立つこととなったのだ。


「あれは嘘だとか言うなよな、ここまで来て」

「これはマジ。編集者の人が、あえて載せずにいるんだって」

「ヤバイことは起きないよな。死んだりしたら意味ないんだぞ」

「そういうことじゃない。ただ、『一度しか許されない』ことだ」

「何だそりゃ。意味わかんねえ」

「そのうちわかる」

 飯島はカメラで風景を撮影しながら、訳知り顔で野道を歩いた。廃村だから当然、人が生活する気配はない。集落全体が傾斜した山の中にあり、長細い道の両脇に打ち捨てられた民家が並ぶ。家屋が密集しており、手入れのない木々の梢が鬱蒼と茂って、昼間なのに薄暗いのが不気味だ。民家はどうやら、例外なく木造であるようだった。

「いきなり神社まで行ってもつまらないし、廃墟探検しようぜ」

 石碑の場所は、集落の最奥。そこに神社跡があって、鳥居の奥に石碑がぽつんと建てられているのをネットで見た。飯島は枯れた低木をかき分け、民家へと踏み入っていく。

「ごめんくださーい、入りまーす」

 誰がいるわけもないが、一応の断りだ。家の中は朽ち果て、荒れ果てていた。もとの居住者のものとも、外来のものともつかぬ物品が散乱し、ガラス窓は割れている。古い雑誌、割れた茶碗、衣服の山、なぜか部屋の真ん中に倒れている洗濯機。懐中電灯を持つぼくは、細かな品々のひとつひとつに目を奪われた。

「うわっ!」

 ぼくは思わず声を上げた。奥の部屋のふすまに、文字が書かれていたのだ。



「カエレ」



 大書された赤文字に、背筋が震えた。慌てて飯島を呼ぶも、彼は平然としていた。

「どこかの物好きがいたずらしたんだろ。ユーチューブの動画でも見たよ」

 そう言われれば、周囲に比べてくすみ方が薄い、気がする。霊的なものでないならありがたいが、ドッキリめいたからかいなら、書いた人間を呪いたくなる。

 その後も、飯島とぼくの廃墟探検は続いた。

 坂道の石垣や家の塀、門や側溝はどこも苔生していて、枯れ木の枝が道に伸びまくっている。ここが廃村化したのは三十年近く前のことだそうで、自治体もろくに管理していないらしく、家を枯れ枝に覆われたようなところもあった。道幅は竹藪と草葉によって狭められていた。自然が長い時間を掛けて、集落全体を飲み込もうとしているように思えた。

「うわー、こっわ!」

 一軒の平べったい民家の前で、飯島がかがみ込んだ。彼がカメラを向けたのは、一体のキューピー人形だった。裸のキューピーは、右目の部分が抜け落ちていた。人形を手にした飯島が、にいっと笑ってぼくに示す。またもやぼくは背筋を震わせる。



「クルナ」



 キューピーの背中に、赤文字でそう書かれていた。いたずらにしては悪趣味だ。人のことを言えたものかは知らないが、気分はよくない。

 と、ぼくは一瞬息をのんだ。

 民家の玄関。曇りガラスの向こうに、人影を見たような気がしたのだ。ダン、と足音も聞こえた、ような気がした。ぼくはいまさら、ここに来たことを後悔し始めていた。

「なあ、やめないか」

 ぼくの言葉に、飯島は顔を曇らせた。

 彼の目にも迷いが生じているように思えた。

「誰もいねえって」

 強がるように言い切って、「誰かいますかー」と民家に向かって叫んだ。蝉の声と葉擦れの囁きが聞こえる以外は、何の物音もしなかった。ぼくたちは先ほどより少し慎重に民家を探索したけれど、飯島の言うとおり、予期せぬ類の遭遇はなかった。 

 集落の奥へと歩を進める途中、路地の奥まった場所に飯島がカメラを向けた。

「おい、見ろよあれ」

 二十メートルほど先。幅の細い納屋のような建物が見えた。そこの戸には、



「ハイルナ」



 と書かれていた。これほどわかりやすい警告があるだろうか。

「だけど妙だな」

 飯島があごをさする。「動画でもブログでも、あんな文字は見たことがない。見てたら絶対、印象に残ってる」

 企画の提案者としてリサーチを積んだ飯島が言うのだから、いよいよ気味が悪い。

「入るのか」やめておこうぜ、に重心を置きつつ、ぼくは尋ねた。

「入るっしょ」飯島はぼくの期待を速やかに裏切った。

「嫌だよ」

「もしも一緒に来たら、『禁じられた行い』のヒントを教えてやるぜ」

 絶妙の誘い文句だ。ぼくは彼に連れられるまま、納屋の前に来た。木造の建物で、窓はないようだった。「ハイルナ」の文字を無視し、飯島はドアノブを回す。きいっと乾いた音を立てて、押し戸が開く。

 中はひんやりと湿っぽい。薬品のようなにおいが一瞬鼻を掠める。奥に細長い木箱のようなものがあって、ぼくたちは吸い寄せられるように近づいていった。


 そのときだった。

 入り口の戸が、突然に閉まったのだ。納屋の中が暗闇に包まれた。

 慌てて木戸に迫るも、「開かねえ!」と飯島が焦ったように言う。ぼくは懐中電灯で手元を照らし、代わりにドアノブを回そうとしたが、やはり無理だった。

「どうなってんだよ……」

 ガタン! と突然、屋内に音が響いた。

 奥に光を向け、ぼくは総毛立った。

 木箱の中から、何かが出てきたのだ。震える手を押さえ、光を当てる。そこにいたのは、人の形をした漆黒の影だった。いや、影と呼ぶにはくっきりとしすぎていた。恐怖でまともに照らすことさえできなかった。

 

 黒い人型は頭をもたげ、真っ赤な目がぼくを捉えたのだ。


「開けろよ早く! 早く早く!」

「畜生!」 

 飯島が戸に体当たりを繰り返す。カメラが床に落ちる。

 何度目かの衝撃で戸は開き、ぼくたちは外に出る。

 そこで、目を疑った。空が真っ赤に染まっていたのだ。

 あり得ない。先ほどまで昼間だった。青空が広がっていた。なぜ夕方に。いや、夕方じゃない。こんなに赤い空など、今まで一度たりとも目にしたことがない。

「逃げるぞ!」

 人型に怯えたぼくが先導し、納屋を離れる。飯島は納屋の影を見て、カメラの回収を諦めた。来た道を戻ろうとした直後、ぼくは全身が凍り付いた。集落の入り口へと続く道。そこに無数の赤い目が光っていた。門の陰から覗く者もいれば、民家の二階から見下ろす目もあった。視線のすぐ先に、先ほど見かけたキューピー人形が浮いている。落ちくぼんだ右目だけ、赤く光っている。

「何だよこれ……」

 ぼくが狂っているわけではない。飯島も同じものを見ている。



「バカダナ」「ハイルナッテ」「イッタノニ」「シネ」「シネ」「シネシネシネシネ」



 蝉の音はもはやなかった。呪詛と嘲笑だけが響いた。二つ並ぶ赤い目の下に、にやっと笑う口が見えた。聞いたか、とぼくは尋ねる。聞こえた、と飯島は答える。

 どうするのかと訊く前に、飯島は山の奥へと走り出す。ぼくも彼に続く。

「どうなってんだ!」「知らねえよ!」「なんで奥行くんだ!」「戻れるかよ!」

 振り向くと、黒い人型は群れとなってこちらに迫っていた。

 捕まれば二度と帰れない。直感でわかる。獣道を懸命に駆ける。落ち葉の積もる坂道を駆ける。この先に石碑があるかどうか、そんなことはこの際どうでもよかった。コロセ、コロセ、コロセと迫る悪霊から逃げるだけだった。

「『禁じられた行い』を教えとくぜ!」

「何だよこんなときに!」

「あれは一種の呪文なんだよ! 石碑の前で唱えれば助かるかもしれない!」

「かもしれないじゃ困る!」

 道とも呼べぬ坂を駆け上がりながら、飯島はその「呪文」を教えてくれた。聞き間違いだとぼくは思った。そんな馬鹿な呪文があるか。文句をぶつけようとしたとき、背後の空気がずんと重くなった。振り返れば、すぐ間近に黒い人型が迫っていた。

「うわっ!」

 飯島が切り株の根につまずいた。名前を呼ぶ間もなかった。彼は無数の黒い人型に覆われ、飲み込まれてしまった。助けられる状況ではない。背後を見れば死だ。ぼくは必死で走り続けた。やがて平地に出ると鳥居が見えた。灰色の鳥居だった。

 その奥に、一本の石碑がある。

 あそこに辿り着くしかない。辿り着けばなんとかなる。半狂乱でぼくは走り、鳥居をくぐった。石碑の前で、ぼくはその呪文を口にした。




 ……何の変化もない。

 嘘だろ。

 ぼくは夢中で、同じ言葉を繰り返した。全身が、ぞおっと冷たくなった。

 黒い影がぼくの周りを覆い尽くしていた。ぼくを飲み込もうとしていた。

 ぼくは目を閉じ、意識を集中させて、その言葉をゆっくりと唱えた。

 禁じられた行い。一度しか許されない。

 いや、一度だって許されるかわからないこの方法。









「なんだ、夢だったのか」






 

 目を開けたとき、ぼくは自宅のベッドの上にいた。爽やかな朝日が、カーテンに漏れていた。スマホにラインが届いている。飯島からだ。

「次の企画について相談なんだけど、いよいよあのU村の謎に……」

 ぼくはすぐさま、「行かないよ」と返信した。 

 なぜか不思議と、誰かが怒っているような気がする。飯島ではない誰かが。


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