第24話 捉え方はそれぞれに

 これは僕が高校時代に、実際に体験した出来事です。

 夏休みの始まった七月末頃、所属するサッカー部の合宿で、G県のとある民宿に泊まっていました。都心部からはだいぶ離れた田舎町で、夜遅くまで蝉の音がうるさかったのを覚えています。

 当時の僕はレギュラーにあと一歩というところで、合宿の間になんとか実力を伸ばしたいと考えていました。そこで、練習のない夜の時間も有効に使いたいと思い、近所へジョギングに出ることにしたのです。ほかの部員たちはわずかな自由時間を楽しむため、携帯ゲーム機で遊んだりエロ話をしたりして過ごしていました。夜間は外出禁止だったのですが、僕は彼らの目を盗んで玄関へと降りました。

「外、行くのか」

 靴を履いていると、声を掛けられました。ぎくっとして振り向くと、同じ部員のDが立っていました。みんなには内緒にしてくれと告げると、自分も付き合うと言って靴を取り出しました。Dとは同級生で仲も良かったし、彼もまた熱心な部員でしたから、僕は心強く思って一緒に外へ出ました。暗い夜道を一人で走るのは心細くもありましたし、いざ見つかって顧問に怒られても、二人で罪を分かち合えるような気がしたのです。


 民宿を出た先の道路には、取り立てて目立つものもありません。道路の片側は石垣の急斜面で、反対側には田んぼが広がり、道はゆるやかにカーブしていました。街灯がぽつぽつとあるばかりで、空を雲に覆われた星のない夜でした。

 翌日の練習のことも考え、ペースを落としながら走っていると、Dが思いがけないことを言い出しました。

「なあ、知ってるか、この辺りには昔、殺人鬼がいたんだよ」

「殺人鬼ぃ?」

 ぼくはぎょっとして彼を見ました。

 吐息を弾ませながら、彼はにやりと笑いました。

「嘘じゃないぜ、俺、猟奇事件のサイトとか、見るのが趣味でさ」

「悪趣味なことだ」

「まあ、そのとおりだな」

 彼は楽しげに口の端をつり上げました。頼みもしないうちから、事件の概要について話し始めます。「その殺人鬼は、三十歳の男だ、女を強姦して、殺したんだ、その数は、確か八人、被害者は、バラバラだ、風俗嬢だったり、女子大生だったり」

 バラバラの意味が、すぐにはわかりませんでした。

 職業がバラバラという意味か、もっと物騒な意味なのか。

 尋ねる前にDは答えました。

「その男は、犯して、殺したあとで、死体を山に埋めた、女の首を、切り取って」

「首は、どうしたの?」

 いつしか、走るよりも聞くほうに意識が向いていました。

「それがな、家で、ガラスケースに入れて、飾ってたっていうんだよ、八人分をだぜ、そいつ、その首を見て、しこってたんじゃねえか」

 怪談話を披露し、下ネタを交えて得意げなD。一方の僕は、その様を想像してぞくりと鳥肌が立ちました。実に恐ろしい話です。

「殺人鬼は、逮捕されたんだよね」

 僕は尋ねました。その直後、尋ねたことを後悔しました。

「いや、そいつ、最終的には自殺したんだよ、それがちょうど、この辺の道なんだ」

 Dによると、殺人鬼は自らトラックの前に飛び出し、死を選んだというのです。

「それ以来、この辺りでは、目撃談がたくさんあるんだ、殺人鬼が、道端に、立ってるって話がな」

 殺人鬼が死の直前、道に置いた鞄には、殺された女性の首が入れられていたと、余計な情報をDは付け足します。僕はすぐにでも引き返したくなりました。この夜道に同伴者がいるのを喜ぶような、それがこの男であるのを悔やむような、複雑な気分でした。

 その後、五分ほど走ったところで、僕たちは来た道を戻ることにしました。

 道路には時折、車が走り抜けるだけでした。僕たち以外に歩行者の影はありません。うっかり目撃してしまったらどうしよう。僕の足は自然と速まりました。

「何だよ、まさかびびってる?」

「別に」

 すねたように言い、ごまかすので精一杯です。

 正直なところ、とても怖かったのです。


 そして僕は実際に、目撃してしまったのでした。

 殺人鬼の霊ではありません。ある意味で、もっとおぞましいものをです。



 点在する街灯の下だけが、ぽっかりと明るい夜道。その光の中に何かが転がっていました。ちょうどサッカーボールくらいの大きさでした。

 往路では見かけなかったはずと思いつつ、十メートルほどの距離まで近づいたとき、僕はすっと足を止めました。


 そこにあったのは、女性の首でした。


 髪の短い女性の生首が、こちらを向いていたのです。慄然と息をのむ僕の目の前で、信じがたいことが起こりました。女性の首が動いたのです。断面部を地面につけたまま、そばの石垣を滑るようにして上っていったのです。首が見えなくなってからも、目の中に焼き付いて消えません。思い返すと、女性の首の下からは無数の触手が生えていたような気もします。その触手によって、さささっと這い上ったのです。

「おい! 大丈夫か! おい!」

 気づけば僕はへたり込んでいました。瞬間的に失神したようです。Dが僕を抱き起こし、しっかりしろと頬を叩きました。

「今の、見たか?」

 僕は尋ねました。

「ああ、見たけど」

 Dは答えます。その口調は、僕の驚きと不釣り合いに涼しげでした。あろうことか、彼はへらへらと笑っているのです。

「何だよ、びびりすぎじゃね?」

「おまえ、怖くないのか。幽霊を見たのに」

「別に怖くない」

「なんでだよ? あんなものを見て、どうして平気でいられるんだ」

 動揺しきりの僕に対して、Dはけろりとした口ぶりで答えるのでした。








「だってあれ、殺されたほうのやつだろ?」


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