第16話 反転世界
「幽霊タクシー」っていう都市伝説を聞いたことがあるかい?
それに乗ると、異世界へ連れられるっていうんだ。
もちろんおれだって、誰かの作り話だって思ってたよ、そのときまではな……。
「××町まで向かってください」
おれがそのタクシーに乗ったのは、深夜零時を過ぎた頃だった。会社で大事なプロジェクトが進んでる時期で、遅くまでの残業も当たり前になってたんだ。疲れてたおれは、ぼけえっとしながら車に揺られてた。少しうとうとしかけた頃かな、あることに気づいたんだ。
タクシーって、助手席のところに運転手の名前と顔写真が張られてるだろ?
おかしなことに、それが左右反転してたんだ。名前がよく読めないんだよ。
「運転手さん、どうして反対になってるんですか、それ」
おれは身を乗り出して指さしたんだけど、運転手は何も答えようとしなかった。五十過ぎくらいのおっさんだ。聞こえなかったのかと思ってもう一度訊いてみたけど、やっぱり無視するんだよな。ずいぶん愛想の悪い奴だと思ったけど、そのときはそこまで深く気にしなかった。
「運転手さん、すいません、コンビニ見つけたら寄ってください」
疲れてたし、甘いものでも買って帰ろうと思った。了解したら相づちの一つも打っていいはずなのに、このときもまた運転手は無視。止まらなかったらキレてやろうと思って、おれは窓からコンビニを探してた。
そうしたら一軒見つかって、タクシーは無事に止まった。
店に入ったおれは和菓子コーナーを物色して、ついでにケーキでも買っていこうと思った。家にいるかみさんのご機嫌を取ろうと思ってさ。それで雑誌コーナーにも寄ったんだけど、おれはそこで痛烈な違和感を覚えたんだ。並んでる雑誌の文字が全部、左右逆になってるんだよ。ふと見たら、手に持ったお菓子の注意書きなんかも、全部逆なんだ。ほかの商品とか店内広告とか、すべて反対向きなんだよ。おかしいのはそれだけじゃない。店員の言葉がうまく聞こえなくなった。ウェウ、とか、オルェウ、みたいな、まるでテープを逆回転させたような声だったんだ。
おれは恐ろしくなって、店を飛び出した。
さっきのタクシーにもう一度乗り込んで走り出すと、また異常なことが起こった。
どんどんほかの車を追い抜いていくから、ずいぶんとスピードが上がったなと思ってたら、実際は違った。対向車線の車が全部、バックしながら走ってくるんだ。ほかの車は間違いなく、後ろへ後ろへと進むように走ってて、すぐ前にいた同じ車線の車も、こっちを向いてるんだよ。乗ってるタクシーだけがまともで、ほかの全部が狂ってるようにしか思えなかった。
「運転手さん! どうなってるんだ?」
案の定、無視だ。
無視だけならまだしも、赤信号のときに交差点を突っ切った。文句をぶつけても無反応。バックで走るほかの車は、全部青信号で止まってた。
おれは頭がおかしくなりそうで、途中でもいいから降ろしてくれるよう頼んだ。
その頃にはもう、家のそばまで来てたんだ。
代金を払って逃げるように車から降りた。マンションの形も、入り口の文字も全部逆になってた。とりあえず家に戻りたくて仕方なくて、エレベーターに乗ったんだ。おれの家はマンションの七階なんだけど、エレベーターはなぜか下に向かって動き出した。信じられないだろうけど、本当さ。マンションには地下一階までしかないのに、階数表示は地下二階、三階、四階とどんどん潜っていくんだ。
すべては間違いだ。こんなことあるわけがない。
仕事の疲れがたまって幻覚が見えてるんだ。自分に言い聞かせて、必死で気を落ち着けてると、エレベーターが開いた。家だ。とにかく家に帰ろう。かみさんに会って話をすれば、すべて元通りになるはずだ。
「ただいま」
おれは玄関のドアを開けた。中でかみさんが迎えてくれた。
そこで愕然としたよ。
一方で、妙な感動も覚えた。
かみさんが、ものすごい美人になってたんだ。
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