第15話 生ける人形たち

「ごめんください、『月刊怪談』の者です」

 雑誌編集者のHさんは、四国某県にある古民家を訪れた。

 老年の主人が、笑顔で彼を出迎えた。

「お待ちしておりましたよ。もうよろしいんですか」

「ええ、十二分な結果を得ることができました。ご協力ありがとうございました」

「お役に立てて何よりです」

主人に促されて玄関に上がり、板張りの廊下を奥へと進んでいく。 

「配信終了しますので、あとのことはお願いします」


 Hさんはスマートフォンで会社に連絡し、奥の間に入った。畳敷きの八畳間には、ノートパソコンに接続したビデオカメラがあった。それぞれの電源を落とし、撮影機材一式をリュックにしまい込む。カメラが撮り続けた被写体の前にひざまずき、Hさんは丁重に手を合わせた。

「ご協力ありがとうございました」


 彼の視線の先にあったのは、一体の日本人形だ。

 赤い着物を着た、少女の人形。

 Hさんの所属する雑誌編集部は、新企画として今回、その人形に定点カメラを向けた。

二十四時間途切れることのない映像を、まる二週のあいだ、動画サイトで配信し続けるという企画だった。合計で三百時間以上、連続で撮影していたことになる。人形に礼を言い、主人にもあらためて頭を下げた。

「今日までの累計で、五百万人もの視聴者が得られました。思った以上の反響ですよ」

「評判はどんなもんですかね」

「いたって上々です。これは間違いなく本物だって、みんな大騒ぎです」

「喜んで頂けたのなら、この子も悪い気持ちはしないでしょう」

 主人はそう言って、人形の黒髪を撫でた。

 二週間分だけ、長くなった黒髪だ。


 髪の伸びる日本人形があると聞き、『月刊怪談』の編集部は企画を立てた。

 写真だけでは真偽を疑う者が多い。ならばいっそ、連続撮影で証明してはどうか。

 企画趣旨を伝えると、人形の持ち主である老人は快く応じてくれた。

 実際に、髪は伸びた。

 世間にある「髪伸び人形」のほとんどは、ただの物理的現象を捉えたものに過ぎない。

 人形に植えていた髪が経年の劣化によって抜けてしまい、引っかかった抜け毛がまるで伸びた髪のように見える。それが、古くから言われていた「怪奇現象」の正体なのだ。

 ところが、この人形だけは違った。

 本当に伸びているのだ。

 撮影を始めたときに記録した長さは、ほぼ一六センチ。

 撮影を終えたHさんが巻き尺で測ってみると、その長さは二十一センチ。

 もちろん、抜け毛などではない。明らかに長くなっている。

「原因はわからないんですよね」

「ええ、一切不明です」

 主人は言った。「人形師にも知り合いが多いんで、いろんな人に訊いてみたんです。人形の構造の問題じゃあないって口を揃えて言ってました。こんな人形はつくりようがない。唯一の答えがあるとすれば、この人形が生きてるってことだって」

 人形はじっと口を結び、まばたきひとつせずにその瞳をHさんに向けていた。

 一瞬、背中にぞくっと怖気が走った。

 その理由はHさん自身にもわからなかった。

 だが、これ以上深入りしたくはないとも思った。

 信じられない出来事に遭遇するかもしれない。

 その直感に襲われたHさんは、急いで荷物をまとめ、主人に謝礼を渡した。


 そそくさと帰り支度を整えたHさんに、主人は言った。

「せっかくだから、他にも見せたい人形があるんですがね」

 本音を言えば帰りたいHさんだったが、怪談雑誌の編集者である以上、記事のタネになるものは何でも仕込んでおきたいとも思う。

 主人は髪伸び人形を抱え、別の部屋にHさんを案内した。


 Hさんは、その光景を前に目を丸くした。

 百体近くの人形が飾られていた。

 人形用の部屋だと主人は言った。

「この中には、ほかにも不思議な人形がいくつもあるんです」

 主人が説明を加える一群を前に、Hさんはぽかんとしてしまった。

 確かに不思議な人形たちだ。

 だが、どうなのだろう。うちの読者が、好んでくれるだろうか。

 読者が求めているのは、「髪の伸びる人形」のような存在なのではないか。

 これらは、ちょっと、違う気がする……。

「機会がありましたら、またお願いします」 

 主人に礼を言い、Hさんは古民家を後にした。


 Hさんが去り、主人が去った人形部屋は、すっと静まりかえった。

 やがて、話し声が立った。

「疲れたわあ。まるまる二週間よ。ずっと動けないなんて拷問よ、はっきり言って」

 髪伸び人形はぐうっと腕を伸ばし、首を回した。

 人形たちは生きている。主人の発言は真実だった。

「でもいいよね、きみは」

 他の人形が話し出した。

「髪が伸びるってところが、ミステリアスだもんね」

「そうだよ、俺たちだって同じくらいすごいはずなのにさ」

 口を尖らせるのは、男の子の姿をした「鼻毛伸び人形」であった。

 生まれたての赤ん坊ほどの背丈だが、その鼻毛の長さは身長を優に超えていた。

「鼻毛じゃあ、怪談好きの人間には好まれないんだな」

 鼻毛伸び人形がそう呟く横で、慰めるように肩を叩く者があった。

「まあ、日の目を見るときがいつか来るさ、俺たちだって」

 わさわさとした見た目の「耳毛伸び人形」の男の子が力なく笑った。

「怪談向きじゃないんだよな、俺たち」

 そう語るのは、下半身を剛毛に覆われた、「すね毛伸び人形」。

「すね毛ならまだテレビに出られるだろ。俺なんか笑われちゃうよきっと」

 自嘲気味に呟く「ケツ毛伸び人形」がいた。

 伸びすぎたケツ毛が着物を破っていた。

「でもさ、あの子はある意味、俺たちより可哀想かもしれないぜ」

 ケツ毛伸び人形の指さす先にあったのは、毛の塊である。

「むーむーむー! むーむーむー!」

 毛の塊の正体は、「髪伸びすぎ人形」だった。

 伸びすぎた髪は少女人形の体を覆って球体となり、さらに大きくなった。今ではフィットネス用のバランスボールほどになっていた。人形は自らの髪の中で完全に埋まり、まともに声も出せないのであった。

「でもまあ、それでもマシかな。ところであいつ、ちゃんと生きてるのかな」

 ケツ毛伸び人形は、髪伸びすぎ人形の横に目を移した。


 同じくらいに大きな、黄土色の塊があった。

 髪伸びすぎ人形同様、本体はもう見えなくなっていた。

「ふつうの髪伸び人形より、よっぽどすごいと思うけどなあ」

 すね毛伸び人形が、その塊を眺めながら、しみじみと言った。

 鼻腔から分泌される老廃物がしとどに溢れて体全体を包み、いまや黄土色の球体と化した、「鼻クソたまりすぎ人形」を眺めながら。

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