第7話 カオティック・ブレイン

「この前、家にいたらすごく怖い体験をしたんだ。聞いてくれるか」

「最近引っ越したもんな、まさか事故物件だったか?」

「夜中にね、コツコツ、コツコツって、何かを叩くような音がしたんだ。どこから聞こえるのか、最初はわかんなかったけど、どうも天井から聞こえてくるんだ」

「ネズミでもいたんじゃないか」

「ネズミの足音って感じでもない。二階建てのアパートで、俺の部屋は二階だから、上の住人がいるはずもない。泥棒が屋根の上を歩いてる可能性もあるとは思った。でも、やっぱり足音には聞こえないんだ。コツコツ、コツコツって叩いてるんだ」

「寝たくても寝られないってわけか」

「そのとおりさ。それで、俺は天井の端っこの板を外して、恐る恐る屋根裏を覗いてみたんだ。そしたら、何があったと思う?」


「コツコツ音を立てるものといえば……自動コツコツマシーンじゃないか?」

「そう思うよな、違うんだ、そこには、人の頭蓋骨があったんだ!」

「嘘だろ、頭蓋骨だって? 見間違えじゃないのか」

「俺も最初は見間違えだと思ったよ。だから、一度下に降りて、気を鎮めたんだ。そんなわけないって思ったからな。落ち着きを取り戻して、もう一回、覗いてみたんだ。そうしたら、何があったと思う?」


「頭蓋骨じゃないとしたら……ニセ頭蓋骨だな!」

「聞いて驚くなよ……そこには……人の頭蓋骨があったんだ!!」

「おいおいマジかよ! 頭蓋骨は体の上に乗っかってるものだぜ。天井の板に乗っかってるもんじゃないんだぜ。学校で習ったことは嘘だっていうのか?」

「俺だって信じられなかった。だから見間違えだと思ったよ。冷静になれって自分に言い聞かせて、もう一回覗いてみたんだ。まさか頭蓋骨があるわけないと思って見てみたら、何があったと思う?」


「わからないな、考えてみよう。そうか、わかった。そこにあったのは、希望だ!」

「似てるけどちょっと違うんだ、嘘だと思うだろうけど、頭蓋骨だよ!」

「ちょっと待ってくれよ。頭蓋骨がコツコツ音を立ててたってのか。頭蓋骨が動くはずないんだぜ。なぜなら脳みそや筋肉がないからだよ。頭蓋骨だけでは動かないという常識のもとに世の中は動いてるんだ」

「ああ、俺だって信じられなかったよ。だから一度、家の外に出たんだ。深呼吸して、とりあえずゲロを吐いて中に戻った。気にしないようにしようって思うけど、どうしても気になる。だから覗いてみたんだよ。なあ、俺がどこを覗いたかわかるか?」


「さあ、いきなり言われてもな……ベッドの下か?」

「驚くと思うけど、実は……天井裏なんだよ」

「おい、勘弁してくれよ。天井裏を覗くなんて正気かよ」

「天井裏に何かがあったのは覚えてるんだけど、何があったか、そのときは思い出せなくなってたんだ。あれ? また忘れちゃったよ。何があったんだっけ?」

「ん? おかしいな。俺も思い出せない。天井裏にあるものといえば……あ、わかったぞ、シェフの気まぐれサラダだな?」

「いや、似てるとは思うけど、違うな……そうだ、招き猫だ」

「ああ、思い出した。そうだったそうだった」

「招き猫があると思って覗いたら、何があったと思う?」

「さあ、何かがある、ということだけが俺の確信だぜ」


「ん、ちょっと待ってくれ、何があったんだっけな」

「おいおい勘弁してくれよ。切り刻まれた家族写真だろ!」

「そうさ、切り刻まれた家族写真だよ!」

「マジかよ、嘘だろ」

「マジだよ。マジか嘘かと言われれば、マジと答えるのが俺の真実だよ」

「家族写真というのは切り刻むためにあるものじゃないぜ。切り刻むものといえば、たとえばキャベツとかねぎとか大根とか、そういうお野菜なんだぜ」

「……ひどいじゃないか、ねぎはおいしいよ」

「ねぎを切り刻むことで、刻みねぎになるんだぜ」

「家族写真を切り刻むなんて人のすることじゃないよ。なぜかって? 家族写真というのは普通、幸せな家族の姿を切り取ったものだからね。決して切り刻むためにあるんじゃない。どうして君にはそういう当たり前のことがわからないんだ」

「ごめん、自分でも説明がつかないんだ。だから俺は言ってやったのさ。俺がチキンならおまえはポークだ、これがほんとのビーフストロガノフだってね」






「…………それが、二人の会話です」

 精神科を訪れた青年は、深刻な表情で医師に相談を始めた。

 青年の記録したノートを眺めながら、中年の医師は渋面をつくった。

 青年は頭を抱え、深くため息をついた。

「二人が話しているとき、僕は彼らを眺めているような感覚になるんです。会話に入り込もうと思うけれど、できない。というか、そういう問題じゃないんです」

 わかるよ、と医師はノートに目を据えたまま言った。


「多重人格というのは、何も君だけの症状じゃない」


 青年が書き留めてきたのは、彼の脳内で交わされている会話だった。

 ここにいる青年とは別の人格が、彼を差し置いて表に出てきたり、時には人格同士で会話を始めたりするのだ。治療するには長い時間を掛けねばならず、さまざまな方面からのアプローチが必要になる。その一環として、彼は脳内の会話を書き留めたのだ。

 ノートを閉じて、医師は言った。

「だけど、こういうケースは珍しいからね。私も多くの患者を診てきたが、あまり例がない。焦らず、ゆっくりと治していく必要があるだろう。なにしろ……」

 医師は少し迷ったような表情を見せ、ひとつ咳払いをして続けた。












「会話してる人格がバカすぎる」


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