第4話 事故多発物件

「この物件はねえ、正直お勧めしないんですよ」

マンションを内見するあいだ、不動産屋は終始、顔を歪めていた。薄毛の小男で、こんなところに長居すれば余計に毛根が死んでしまうとでも言いたげな、まるで商売っ気のない態度だった。

「ここで過去に何人も自殺してるんです。最初はみんな、安さに惹かれて契約するんですけど、ひと月と保たずに出て行っちまうか、そうでなければ永久に目を覚まさなくなる。どっちにしたって、お勧めできるもんじゃないんですよ」

などと言いながらも、家賃は誰もが惹かれるほどの破格だった。五階建てマンションの五階。日当たりのいい1Kで、ロフトもついており、風呂とトイレは別。

 都内でも人気のエリアで、最寄りの駅は複数の路線が乗り入れている。

 にもかかわらず、家賃は相場価格の十分の一以下という条件だ。

「霊感とかないんで、大丈夫です」

 曇り顔の不動産屋を横目に、Pさんは即決した。非正規雇用の事務員であるPさんにしてみれば、願ってもない掘り出し物だった。

「皆さん、そう言われるんですけどねえ」

  契約の判子を押すまで、不動産屋はずっと同じ調子だった。

 大丈夫。霊なんてそもそも信じてないし。いるはずないわ。

 意気揚々と引っ越し用段ボールを運んだPさんが、自分の選択を後悔するまで、わずか一週間のことであった。

  


 眠りを覚ますほどのラップ音。勝手にスイッチがオフになるテレビ。

 風もないのに揺れるカーテン。突然にバタンと開くトイレのドア。

 そこはかとなく感じる誰かの視線。

 そしてついに、決定的な瞬間が訪れた。


 仕事から帰って電気をつけると、部屋の中央に見知らぬ若い男が立っていた。

 その姿が目に映るのと同時に、「出て行け」という呪わしい声が頭に響いた。

「キャアアッ!」

 Pさんが叫ぶと同時に、男はすうっと消えた。忍び込んだ不審者かと思ったのは、ほんの一瞬のこと。違う。幻のように消える不審者なんているはずがない。

 その日から、Pさんは毎日のように、謎の存在を目にするようになった。


 ロフトから顔を見せる若い女性。

 トイレに座り込み、目の前で消失した老婆。

 ベッドに横たわるPさんを覗き込んだ中年の男。

 風呂場の鏡に映った中年の女。

 出て行け、出て行け、出て行け、出て行け。

 Pさんの存在を厭うように、誰もが口をそろえて言うのだった。

 当初は脳天気だったPさんもいつしか、抑うつ的な気分に苛まれるようになった。

 ならば、部屋を出て行こうか。いや、これほど好立地、好条件の物件だ。

 だいたい、お金がないのだ。だからこそわたしは、ここに住もうと思ったのだ。

 ブランド品が好きだったPさんは、買い物のための資金を捻出すべく、できるだけ家賃を切り詰めようと考えた。そして、この場所にたどり着いたのだ。

 部屋に取り憑いた霊の存在が気になり始め、「除霊効果のあるハイブランド」なる訳のわからないバッグやネックレスにまで手を出すようになった。日々のストレスを解消するため高い買い物を繰り返し、借金を重ね、とうとう首が回らなくなった。

 ここを出たとしても、他の物件を契約するお金もない。

 住むところがない。

 そうだ、それならば答えはひとつ。

 ノイローゼに陥ったPさんは、「名案」を思いついてほくそ笑んだ。



 ここにずっと居られる方法が、あるじゃないの。



  お金のことも気にせず、仕事のストレスもなく、ずっとこの物件で暮らせる方法。

 ロフトに置いた収納ボックスにロープを結び、その先をぶらんと垂らした。

 垂らした一方に、首が収まるほどの輪っかをつくった。

 引っ越してきたときから未開封のままの段ボール箱を足場にすればちょうどいい。

 出て行ったりするもんですか。ずっとこの部屋に居着いてやる。

 そう決めて輪っかに首を通した。

 足下の箱を蹴飛ばしてしまえば、わたしは永久に……。

 そして、Pさんは、自ら足を踏み外した。

 ロープがギュウッと首を締め付けた。

 意識が遠のきそうになった瞬間、不思議なことが起きた。



「持ち上げて持ち上げて!」

「駄目よ、足場を直して!」

「大丈夫だ、まだ意識はあるぞ!」

「死んじゃ駄目よ!」

 目の前には、半透明の男女がいた。

 ロープから首が外れ、Pさんは床にへたり込んだ。

 Pさんの顔を覗き込み、中年男の霊が言うのだった。









「死ぬな! おまえが死んだら六人目だ! この部屋に六人は多すぎる!」

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