第14話 鉄の女と探し物(10)


「十年前、あの子は空間転移魔法の研究をしていた」


 急な雨のように唐突に教頭は語り始めた。


「しかし、空間魔法は実用化困難とされてきた魔法の一つ。そう簡単に実現できるはずもありません。そこであの子は、禁呪に手を出しました。


 禁呪というのは、一年生のあなたたちにいっておくと、魔界の力を借りる禁じられた魔法のことです。……あの子は大戦時の魔法の研究をしていたから知っていたのね。


 魔界から空間転移をつかう魔物の力を使えば、空間転移を実用化できると考え、何年も何年も、何百回も試行錯誤し、ついに、その魔物の呼び出すことに成功し、空間魔法の術式を習得ことができた。


 最初は問題なかったそうです。

 あの子は亜空間を自由に行き来し、誰にも近づくことのできない領域に研究室を作ったと自慢気に手紙には書かれていました。


 しかしながら、その魔物は、そんな簡単なものではなかった。禁じられた理由を身をもって知ることになりました。あの子は、その悪魔により徐々に体が乗っ取られていったのです。


 そのことを理解したあの子は、自我を失う前に、自らを亜空間へと幽閉させたのです。習得した空間転移魔法をつかってね。そして容易に脱出できないような空間に変えてしまった。


 私は当時、教育者として順調にキャリアに乗っていて、仕事仕事で、あの子のことを見ていられなかった。私が気づいたときは、既に遅かったのです。

 ですが、なんとかしてあの子を救いたかった。


 警察や魔導官に捜索をしてもらいましたが、あの子がつくった空間に入ることはできなかった。

 ただし、旧校舎に時折、火の玉や亡霊の形で亜空間からの影響が見えていました。何らかの綻びがあったのかもしれません。


 黒木さん、あなたなら亜空間にたどり着けるのではないかと思って依頼したのです。あなたが危険なことは承知で」


 教頭の語り口は優しく、わかりやすいが話している内容は独善的なものとしか思えなかった。自分の娘を救うために黒木の身が危険なことを承知してたって?

 そもそも依頼では娘が行方不明。ということだけだったはずだ。

 どうも主張がおかしい。

 

 誰も微動だにしない。


「違うな」


 鎧塚が口をはさむ。この男はまったく表情を一つも変えていないが、若干口調に怒りを滲ませているように思えた。


「あなたの娘は旧校舎に入ってきた人間を定期的に食っていたと思われる。だからこそ綻びがあったんだ。行方不明の人間が何人も消えているのがその証拠だ。それをわかっていて、あんたは黒木を餌にしたんだ」


「何を証拠にそんなことを」


 教頭が一笑にふそうとしたが、鎧塚は懐から小さな黒い革のベルトのようなものを取り出す。旧校舎で拾った黒木の首輪だ。


「あの旧校舎には、この黒木の首輪によく似たものがおいてあった。それがあったから黒木は長時間あの場に滞在することになったんだ。首輪を外したい黒木が、こんなもの目にしたら動揺するに決まっている。


 さらにご丁寧にもマンドレイクがバラまかれていた。強力な催眠効果のため、こちらも劇薬扱いの秘薬だ。首輪をみつけて、これにかかりきりの黒木が、長時間、この催眠効果を浴びたらどうなる?」


 その言葉を聞いて思い出す。


「そうか、だから旧校舎の魔法研究室の窓が開かなかったんだ。空気を入れ替えれないように」


 そう発言すると鎧塚は、満足げに頷く。


「それも、黒木を確実に亜空間に連れていくためのトリックだろう。娘の捜索を依頼し、最後に消えた場所が旧校舎の魔法研究室という情報まであるんだ。黒木がそこに行かないわけがない。


 その亜空間に黒木が連れていかれれば、黒木は脱出のために魔女の首輪の力を使い、空間転移魔法を身に着けると考えて。そうでもしないと娘が閉じこもった亜空間にはアプローチできないからな」


 そこまで言うと教頭は観念したように目を瞑った。


 結局教頭は最終的にマンドレイクと、偽の首輪を置いたことを認めた。


「これは極めて自己中心的で醜悪な、第一級魔法犯罪だ。そこの魔導官も聞いている。逃げられないぞ」


 冷静だが怒気を孕んだ口調で鎧塚はいう。

 いつの間にか回復したらしい蛇の瞳の男が腕組みして聞いていた。教頭が逃げられないようにしっかりと睨みを利かせている。

 

 その空気を破ったのは黒木だった。


「……ちょっと待った。あの怪物、いや彼女を亜空間に送ってから議論しようぜ」


 自分のことだというに随分と気楽そうに言い放つ彼女。


「黒木! こいつの性根はわかっただろう? お前のことなんか何も考えてない発言だ。 それに空間魔法は簡単じゃない。お前の身体にとって、どれほどの負担になるか――」


 いつも冷静沈着で言葉のトーンを変えない鎧塚が珍しく感情的な姿を見せるが、言葉を失う。

 唐突に黒木がぼろぼろと涙をこぼしているからだ。驚いて彼女の顔を二度見する。

 気の強そうな目からは、いつもの勝ち気そうな光が消えており、鼻が赤い。

 一体何があったというのか。

 

「ありがとう。気遣ってくれて」

「……」

「だけど俺は友里を救いたい」

 

 救う。

 その言葉を聞いて周囲がざわつく。

 当の教頭すら驚いている様子だ。


「待て。友里とは氷藤友里のことだな、お前も散々実感しただろう? もう意識はないんだ。教頭の話からすると魔物に乗っ取られている」

「友里は生きてる」


 鎧塚の言葉を遮り、そう断言すると根拠を続けて語る。


「よくわかんないけど、さっき友里の意識が俺に流れこんできたんだ。小さい頃からあんたに褒められたくて勉強頑張ってきたんだろ」


 流れ込んできたという夢の話を黒木がする。信じがたい話だが。


「どうして」

 

 教頭が目を見開く。

 その反応で、黒木の話が俄然信ぴょう性を増した。


「でも、あんたは娘の頑張りを見なかった。娘の意思を尊重しなかった」

「それは……教育者として忙しかった! 当時は異例の大抜擢で」

「教育者なんか、どうでもいい! あの時、あんたは娘を見放したんだ」

「あ、あなたに何がわかるのですか、私たち母娘のことを何も知らないあなたが」

「ああ、知らないね。だがあんたの娘は、あんたに認められたくて禁呪に手を出したんだ」


 そう鋭く言うと、氷漬けの怪物となった娘を指差す。


「わ、私に……?」

「そして彼女はまだ生きている。殺すなんか二度と口にするな!」


 そこまで感情まかせに、泣きながら捲し立てると彼女は、深呼吸する。

 そして、きっと目に強い光を宿し、断言する。

 

「こんな結末にしちゃいけない。俺が友里を救う」


 黒木が自信たっぷりに言い放つ。だが不思議と荒唐無稽なことを言っているようには感じなかった。どんなに難しいことでも彼女ならやってしまう。そんなことを周囲の人間に思わせる雰囲気があった。

 

「鎧塚」

 

 隣に立つ親友に向き直る。


「確かに教頭の罠だったのかもしれない。だけど、俺はこの能力を求めてた。何より俺自身の願いのために。そして俺は、教頭の気持ちもわかるような気がするんだ。本当に自分が心から願うもののために手段は択ばないということも。第一、彼女をこのまま学校においておくのもアレでしょ」


「……勝手にしろ」


「おけ。じゃあ、一旦、彼女を元の空間に戻す。それから彼女を元に戻す方法を探す。ただし、教頭。あんたは塀の中でも方法を探せるなら探してくれ。俺はそんなに頭がいいわけじゃない。それで良い?」


 しばらく氷藤教頭は、呆然と立ち尽くしているようだった。

 一気に様々なことが起こり、黒木にも色々言われ、頭の整理がまだできていないのだろう。

 しかしながら教頭は、目に涙を浮かべながら、よたよたと黒木の方に近づき、手を握り締めた。ぽたりぽたりとその目からは涙が落ちる。


「もちろん、良いです。ありがとう。黒木さん。自分勝手なことをした私を許してくれて」


 黒木は冷たい目で教頭を睨みつけると、その手を振り払った。


「勘違いするな、あんたを許したわけでもねえし、あんたのためでもねえよ。どこまでも見えてないんだな」


 氷漬けの怪物の方へ顔を向ける。

 

「あんたの娘のためだ」


 そういうと、足元に魔法円を書き出す。

 途中、ふと思い出したような顔をすると、


「あー、あと一つ。ラモーデソーサラーとはなんだ? あんたがつけたのか?」

「いえ、それはあなたの首輪の本当の名前ですよ。魔女の恋慕、それがその首輪の銘です……」

「そっか」


 黒木はその言葉を聞くと自分の首元を一瞥した。

 教頭が再び、黒木を手を握り締める。


「黒木さん、あなたが何を見たのかはわからないけれど、娘のためにありがとう。


 手を尽くしてくれてありがとう。私は本当にダメな親だわ」





 ◆






「そういう経緯で、野球部の沢木がお前を探す手がかりを思いついたんだよ。まあ、教頭が妙だということはわかっていたが」

 鎧塚は歩きながらそう説明した。

 今は授業が終わり、放課後の時間だ。少々行くところがありそちらへ向かっているという状態だ。


「ほー沢木キャプテンがね。約束を守ってくれたわけだ」

「約束?」

「いやなんでもない」

 ぼそりと呟くと鎧塚が食いついてきたが適当に誤魔化す。


(黒木ちゃん、君がいなくなったときは、オレがきっと見つけ出すよ)


 こんな軽口を覚えているなんて、まるで女子みたいだろう?

 

「……黒木、本当に体に何も変化はないのか? どこかが痛むとか」

「なんだよ、心配性だな。ほらピンピンしてるだろ」


 と俺は二、三度、軽くジャンプしてみせる。

 しかし鎧塚の表情はさえない。


「よりによって空間転移魔法だからな、今まで習得した魔法を比べても難易度は桁違いだ」

「そういわれても何もないし、あー、この髪は短くなったけど?」


 と短くカットされた髪を触るが、これは怪物、もとい友里に食われて切ったので、魔女に捧げたわけではない。


 俺が魔女の首輪に要求したのは、もちろん空間魔法の発露。

 代わりに供物にしたのは自分自身の身体。いったい何を奪われたのかはわからない。

 だが、確実に何かが変わっているはずだ。


 今まで供物としていたのは男としての黒木れいだった。

 ほぼ女になった今、いったい何が奪われたか。

 恐ろしいがこれしか捧げるものはなかった。


 妙な空間に閉じ込められ、石の中に閉じ込められたまりえを救い、怪物から逃げ出すためには空間魔法を手に入れるしかなかったのだ。


 あの後、俺は計画通り氷藤友里を元の亜空間で送ることに成功した。


 正直成功できる自信などなかったが、成功した。しかしながら、その後は何度空間魔法を使おうと思ってもうまくいっていない。寝坊したときなどに良いと思っていたのだが。

 それに結局、両親と、ミチルの手掛かりは見つかっていない。

 ラモーデソーサラーについては、教頭は銘のこと以上は何も知らず、学校の図書館で軽く調べた限りでは特に情報はなかった。


 そして教頭は抵抗もなく連行され、留置所に入れられているということを聞いた。


 友里を元に戻す方法も探さないといけないし、課題だらけの状況だ。


 そしてもう一つ。

 今二人で向かっているのが学園が持つ総合病院だった。

 ここは日本屈指の魔法病の専門医がいる。

 一つの病室の戸を叩く。


「こんにちわー」


 部屋の中は病院らしい白を基調とした清潔な部屋。

 その中心に置かれたベッドの上には、金髪先輩こと、まりえが横たわっていた。

 彼女はこちらの顔を見ると、嬉しそうに笑った。


「毎日来てくれるね、今日は彼氏も一緒?」

「だから、彼氏じゃねえって!」


 すっかり彼女の中で定着したらしく、俺と鎧塚のことをしょっちゅう揶揄ってくる。


「言っておきますがこいつは、見た目はこうですが、完全に男ですよ」


 いかにも嫌そうに鎧塚はいうが、まりえには響いていないようだった。


「見た目とは逆で、中身めちゃくちゃ男ぽいよね。そこが可愛いんだけど」

「いや、ほんとに中身男なんだけど」


 そうぼやくが、まりえにはスルーされた。

 全く伝わっていない気がするのは気のせいだろうか。


「それはともかく」


 俺はベッドサイドにあった丸いスツールに腰かける。


「明日、医療魔導官がきて、検査するって聞いたよ」


 彼女は頷いた。


「うん、かなり凄い人らしいよ。いろいろな魔法病を治してきてるって。あたしの脚も治るとおいんだけど」


 そういうと、まりえは顔を曇らせた。


「だ、大丈夫だよ! きっと」

「うん、ありがと」


 根拠のない励ましをして、その会話を皮切りに学校であったことを話しだす。

 そして気が付けば、すっかり暗くなってきていた。


「そろそろ帰りな。あたしは大丈夫」


 まりえは先輩らしい口調でいう。

 俺は頷くと、鎧塚に顔を向ける。


「ではこれで」

「あんた一言もしゃべらなかったね、なに、そんなに黒木ちゃんのこと心配なの? 一人にさせたくないの?」

「そ、そんなわけないだろ!」


 慌ててそういうが、鎧塚は真剣な面持ちで。


「そういう面もあります」


 思わず俺はまりえと顔を見合わせた。


  ◆


 部屋から出て病棟の廊下を歩いているとき、

 突然、鎧塚は静かなトーンで言った。


「お前も今から検査を受けろ。だからここに来たんだ」

「は、なんだよ。今からって」

「すべて手続きは済ませてある。あの先輩を明日診る予定の医療魔導官だ」

「はあ? そんなの俺より、まりえちゃんが先だろ」


 唐突な話に俺は、思い切り否定的な感情だった。

 まりえの脚は今も石のように動かないのだ。何ともない俺よりはるかに重傷だ。


「もし、受けないのなら僕はお前の魔法士事務所を辞めて、金輪際お前との関係を断つ」

「こ、金輪際って」


 鎧塚の顔は、魔女の首輪を盗み出すプランを立てたときと同じ顔だった。

 つまり本気だ。


「……わかったよ」


 本気でいっていると理解した俺は苛立ちから髪の毛を掻きむしる。何本か髪が指に絡みついているのを見ながらぼやく。


「医者ってのが嫌いなんだよ。前から言ってるけど。どうせなんもできねえよ。俺のは病気じゃないんだし」


 突如、浮遊感を感じた。


「え?」

 間の抜けたことがぽつり、口から洩れる。


 頭がぼんやりとして何も考えられなくなる。浮いているのか、沈んでいるのかさえ分からない。上下や左右、前、後ろ、方向という概念が失われるようにわからなくなる。そして意識が遠のいていくのがわかる。


 なんだ、これ。


 この感覚は……。


「うお、なんだ! 急に女子高生が現れたぞ」

「しかも可愛い!」


「……」

 どうやら寝転がっているらしい。

 見たこともない男たちが自分の顔を興味深そうにのぞき込んでいる。


 頭の中がぐるぐると目まぐるしく回っており、まともに立ち上がるのも厳しい。俺を見下ろすのは、サラリーマン風の男たちだった。グレーのスーツにネクタイ、黒いスーツにネクタイ。似たり寄ったりの格好だ。

 彼らの顔は皆揃いにそろって赤く、目がとろんとしており、呼気からは酒の臭いがした。


 今、彼らの視線は、俺の捲れあがったスカートにあるようだった。


 本能的な危険を感じ、この場から逃れようとしたが体から言うことを聞いてくれない。

 全身に力が入らないし、あまり強い目眩が襲ってくるからだ。


「くそが」


 見えない空間の向こうから魔女の哄笑が聞こえた気がした。

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呪いの魔女の首輪をはめたせいで美少女になった国家魔法士の話 ゆうらいと @youlight

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