第12話 鉄の女と探し物(8)
結局、黒木とまりえの捜索は一向に進まず、すっかり真夜中となっていた。
何もできず、おろおろとするばかりの教師や突っ立っているだけの警官に苛立つ。捜索に参加していた教師も明らかに人数が減っている。
鎧塚は何かアイデアがあるらしく、どこかへいなくなってしまった。それから戻ってきていない。
頼りの蛇の目をもつ男は変わらず、コートのまま佇んでおり、微動だにしていない。一体何をやっているのか。
要は何もしていないのだ。
そして、何より無力な自分自身に対しても苛ついていた。
一体オレは何をすればいい。
何ができるんだ。この状況で。
しかし、その時は訪れた。
闇夜の中から一筋の光が切り裂くように現れたのだ。
空に現れたその光の筋は、徐々にその大きさを拡大させていく。
その光の中から見えるのは、
「黒木ちゃん! まりえ!」
オレは叫んだ。
「ここまで暴露されていれば」
蛇の瞳を持つ男が、なにやら詠唱し、空に浮かぶ光の中へ飛び込んでいく。
オレも追いかけたいがいかんせん実力不足だ。
次の瞬間には、ガラスが砕けるような音が鳴り響き、光が砕け散った。
地面に巨大なレンガ造りの家が空から落ちてくる。
「……は?」
あまりの出来事に脳が理解を拒み、体が動かない。
「うわ!!」
「家がああああっ」
怒号や悲鳴が飛び交う中、レンガの家は学校のグラウンドに突きさ刺さった。そのあまりの衝撃に爆風が起こり、砂煙や埃が吹き荒れる。
振動と砂ぼこりから目をかばいながら、
「黒木ちゃん!」
信じられないような気持ちで叫ぶ。
何をしていやがると、光の中へ消え去った蛇の瞳の男を非難の気持ちで睨む。
だが。
空から黒木れいと、まりえを抱きかかえた魔導官がふわりと降り立った。
「大丈夫か」
「問題ないよ」
傷だらけの二人の少女の姿をみつけ、走りより、支えようとしたが当の黒木に制された。よろよろと足元が覚束ない様子だが、表情はしっかりしている。若干疲れの色が見えるが。
そして今気がついたが、黒木の長い髪が短くなっている。
「髪が」
「これか? 消化されただけだ」
「だ、大丈夫なのかよ、一緒に逃げよう。あとは大人に任せて」
と安心させるよう彼女に笑いかけると、周囲にたくさんいる警察官をはじめとする大人たちに視線を送る。大人たちは突然家が降ってきたり、探していた少女が戻ってきたりと急激な変化についてこれていないようだった。まったく頼りにならない。
しかし、黒木の表情は変わらない。固いままだ。
まだ何かあるというのか。
「まだだ」
緊張した面持ちで、地面に突き刺さったレンガ造りの家を見つめている。家はやけに頑丈なようで、まったく形が変わることなく、逆さまに地面から生えている。だが、一つだけ壁に大きな穴が開いていた。恐らくこの穴から黒木やまりえは逃げ出してきたのだろう。
中から不気味な声が鳴り響く。
「ドウシテドウシテ」
その声を聴いた瞬間、ぞわりと寒気がした。人間の声に似ているが、似せているような虚ろな声。
家の壁に空いた穴からだ。
そして猛烈な悪臭とともにそれが姿を現した。
長い黒髪と白い肌をしているようだが、明らかに違う。巨大な何もかもを飲み込んでしまいそうな顎、血走った眼玉はあらぬ方向を向き、数えただけで四つはある。
ずるずるとちぎれかけた四肢を引き摺りながら、口から紫色の悪臭を放っている。
口からは、ぬるぬるとした舌が垂れ下がっている。
「なんだよ、これ」
本能的な恐怖に歯ががちがちと打ち鳴らし始める。見てはいけないもの、関わってはいけないもの。そんな気がした。
「キャプテン」
黒木の声とともに、一人の少女を預けられる。
まりえだ。意識を失っているらしく、支えるので精いっぱいなくらい重い。そして彼女もまた傷だらけだった。触れた足がやけに冷たく、強張っているのが気になった。
「先輩を頼むよ」
「く、黒木ちゃんはどう」
どうするの。そう聞こうとしたが当たり前すぎる質問な気がして、最後まで言い切れない。
黒木はこちらを一瞥すると決意するように微笑む。
「ぶっ倒す」
その言葉に合わせてか、魔導官も構えるような姿勢を取った。それを横目で見ながら黒木はいう。
「一応、あれ、元人間ぽいんで、死なない程度で」
「……」
魔導官は眼を細めた。
「うけけっけけけっけけけっけ」
奇妙な音で笑い声をあげる怪物。
「切り裂け」
魔導官が小さく鋭くいうと、空間を切り裂くような断裂が走り、怪物に斬撃を与えた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
黒木が雄たけびを上げながら大きく空へ跳躍する。
そして見えない巨大な拳で殴りつけるように怪物に着弾した。大きな拳の跡が怪物に、めり込み、ぼきぼきという骨が折れる音が響く。
「うげえええええええええええええええ」
巨大な口から紫色の煙が立ち込める。
あっという間に黒木を包み込み、その前に彼女は回避した。
「黒木れい。元人間ではなかったのか?」
「蛇雄、あの煙もやばい」
黒木が魔導官にそういうと、魔導官はものすごく嫌そうな顔をした。
「その言い方やめろ、黒木れい」
「だって名前覚えてないし」
「本当に貴様は舐めているな、私を」
くだらない言い合いをしているが、紫の煙は、何かに囲まれているように広がらない。
たぶん蛇雄が何かしているのだろう。
「タスケテタスケテ」
煙の中からそのような言葉が聞こえた。
人間の声のように聞こえるがどこかぎごちない響きだ。
「この怪物の弱点はあるか、黒木れい」
「不明です。何度か骨を砕きましたが効いてません。多分今のも。だから本気で殴りました」
「そうか。なら焼き尽くそう」
蛇雄が空に浮かび上がる。
完璧な浮遊術式。
そして次の刻には、業火が怪物の足元から舞い上がった。
荒れ狂う炎は、怪物全体を包み込み、先ほどまで沸き起こっていた紫の煙はどこかへ消え去った。激しい炎が夜空を赤く焦がし、業火の舌は無慈悲に怪物を嘗め回した。
「おええええええええええええええええええええ」
人間が吐くような音を鳴り響きかせながら怪物がのたうち回った。
「さすが」
夜を照らすほどの炎に、黒木も憧れのような眼差しを送っている。
「元人間でも容赦ない、カッコいー」
「……」
揶揄するような黒木に、あからさまな舌打ちが聞こえてくる。
――この二人結構仲いいな。
やきもちを焼くような気持ちになりながら、状況を見守る。
怪物の肉を焼き尽くす炎に、腐った肉を焦がす黒煙が立ち上り、強烈な臭気が辺りに立ち込める。
そして怪物を倒したと確信を持ったその時。
炎が瞬時に消滅した。
あまりの突然の変化に目を疑っていると、蛇雄の真横に怪物が瞬間移動していた。
大きな口の中に蛇雄が収まる。
「な!」
「砕けろ!」
誰も動けぬ中、黒木が再び跳躍し、怪物の横面に強烈な一撃を入れた。
赤く染まった蛇雄が吐き出され、それを拾う黒木。
遠くてあまり見えなかったが、蛇雄の身体に歯型が刻み込まれているように見えた。
「くそ」
まりえを救護員に預けたオレも駆けだす。
何もできないことはわかっていたのだが、じっとはしていられない。
「黒木ちゃん」
蛇雄を抱きかかえたまま、膝をついている黒木の姿を認めた。
彼女は肩で息をしている。疲労困憊だ。
こちらの顔を見ると、わずかに安堵した表情をした。
「蛇雄を頼む。意識がない」
「わかった。わかったけど、どうするんだよ。策はあるのか」
「……あれは異様な再生をする。殺せないんだ。今わかった。あの空間は、牢獄だったんだ」
彼女はそういうと立ち上がり、対峙する。
「外に出してしまった以上、俺が責任を持つ」
「責任って」
オレにはわかる。
彼女の消耗は見た目以上に酷い。
立ち上がるのがやっとなはずだ。
「あれを亜空間に転移させるよ」
「空間転移って、世界に一人しか使い手はいないって聞いたぞ」
そういうとふっと黒木は微笑んだ。
「俺が二人目になったよ」
と首輪を撫でるように触った。
意味がよくわからなかった。空間魔法を使えるということだろうか。
「ドコにドコにドコ」
独特の連呼する狂気の声が聞こえた。
長い艶やかな黒髪を振り回しながら、白目のない目玉をぎょろぎょろと回す。その姿が視界に入り、恐怖に身がすくむ。
「死ぬぞ」
オレは彼女の肩を掴んだ。細くて頼りない感触。
こんな小さな体で。そう思うと思わず抱きしめたくなった。
「……その気はない。必ず戻るよ」
普段見せることのない彼女の柔らかい笑みに言葉を失う。なんといえばいいのか。
怪物の放つ臭気が強くなる。
「とりあえず燃やすか。たいして効いてないものの動きは鈍くなる」
「待ちなさい」
別の声。
振り向くとそこには教頭と、鎧塚が立っていた。
教頭は、いつもに増して厳めしい顔つきで黒木に近づくと頭を下げた。
「黒木さん。ごめんなさい、私はあなたに嘘をついていました」
「……」
「ともかく、あれは私が責任をもってなんとかします」
そういうと教頭は怪物の目の前に立つ。
「友里! あなたなの!」
大音声で怒鳴った。
その言葉に驚いて怪物を見直す。
友里。氷藤友里だって?
当の怪物の表情は何も変わらないまま、涎を垂らし、口から紫の煙を吐き出して、近づいてきている。その白い肌や黒い髪は、たしかに写真で見た氷藤友里の姿に見えないことはないが、とても信じられない。
いったい何が起きたっていうのだ。
怪物は長い髪を垂らしたまま、歩いてくる。一歩ずつ。
「友里! わかる? お母さんよ」
聞こえているのか。
怪物の何も変わらない。
教頭の表情も変わらない。
「友里! しっかりなさい!」
「あーーーーーーーー」
大きな口を開ける。
怪物から鋭く長い舌が弾丸のように飛んでくる。
その弾丸を弾き返しながら、黒木が怒鳴る。
「これは、本当にあんたの娘なのか!?」
一瞬で魔法円があたり一面に展開される。その繊細な文様は美しくさえあった。精密で完全な文様。
「氷瀑」
繊細な楽器のような澄んだ音がした。
瞬間的に辺りは凍り付いていた。木々は白く霜を降ろし、怪物は氷漬けになって動きを止めていた。
しばらく教頭はその光景を眺めていたが、やがて首を振った。
「これでしばらくはもつでしょう。黒木さん、お願いがあるの。私とあの子を一緒にまたあの空間へ移動させて」
冷徹ないつもの教頭からは考えられないほど、優しい声音だった。
驚いてオレは彼女の顔を見直した。
教頭は諦めたような、決心したような面持ちをしていた。
「やっと会えたから。最後は私の手で」
「殺すわ」
そう彼女は言った。
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