第40話

 少し古びたような匂いのする広い部屋に、シャワーの音だけが微かに響く。


 ダブルベッドに腰かけた俺は少し、というかかなり落ち着かなくて、意味も無く部屋の角から角へ視線を移したりしている。


『ギシッ』


 唐突にベッドが少し軋んで心臓が跳ねる。


 驚いたのは人一人分空けて隣に座っている姫も同じだったようで、バチッと目が合ってしまう。


「……」


「……」


 咄嗟に目を逸らしてしまったのは姫も同じなのだろう。


「ごめんね。一部屋しか借りられなくて」


「えっ、いやいや、泊まれるだけありがたいよ。第一、私たちが飲み過ぎたのが悪いんだし」


「それにしたって、場所も場所だし……」


「それは、言わない約束でしょ」


 視界の端、ベッドのヘッドボードに取り付けられた棚にコンドームが置かれているのを見つけて、ピンク色の想像を何とか食い止める。


「そういえば、ユリちゃんは大丈夫そうだった?」


「あ、うん。色々あって……俺のせいなんだけど、ユリを悩ませちゃって、でもちゃんと立ち直ってくれたみたい」


「そっか、良かったぁ。急にあんなこと言うから、相当悩んでるんだと思って焦っちゃった」


 俺たちがこんな話を出来るのは当然、ユリがこの場にいないからだ。姫と合流した直後にスマホの充電が切れて、今充電している。


「悩んでるのは、本当なんだ」


 まだ真っ暗な画面のスマホを見て、ユリの思い詰めた表情を思い出す。


「どうにもならないことばっかりで、タイムリミットは迫ってきてて、でも俺が出来ることなんてあまり無くて」


「遠い、からね」


「……うん、遠い、から。ごめんね。こんな話」


「ううん、ユリちゃんのことだし。それに、私もわかるから。どうにもならないことで悩む感じ」


 衣擦れの音が数回。姫がこちらに少し近づいたのが気配でわかる。


「ねえ、修司」


「ん?」


「ユリちゃんのこと、好き?」


「っ!」


 驚き、姫の方を振り向いてしまったのは、姫の声色がひどくか弱いもののように聞こえたからだ。


 しかし姫は俺を見ることはせず、殆ど俺に背を向けるようにしている。


「好き?」


「……」


「はっきり言ってほしい」


「俺は」


 さっきユリに告白されたとき、それはいつものことのはずなのに、何故か心臓が痛いほど高鳴った。


 あれは何だったのか。何であのタイミングだったのか。


 俺は、ユリのことを。


「好き、なのかもしれない」


「……」


「初恋、なんだ。ユリが」


「初めて聞いた」


「初めて言ったからね。でも、今それと同じ感情かと聞かれると、わからない。俺、そういうのに疎くなっちゃってて。ほんと、自分でも自分が嫌になるよ。優柔不断で」


 最後の方は自嘲気味に言ったが、姫は対照的に真面目な表情で俺を振り返る。


「私は好きだよ」


 そして柔らかく微笑んだ。


「優柔不断なところも」


 沈黙は数秒といったところだろうか。しかし姫が真っ赤な顔を俺に見せたのは確かに一瞬のことだった。


「い、今の無し」


「姫」


「酔ってるから」


「ねえ」


「顔、覗き込むな!」


「いつもありがとう」


 俺はこんな良い友人の前で、何で邪な想像なんてしてしまったのだろう。


 いつも自分を見てくれている人が傍にいることで、俺は俺でいられるのに。


「本当に、ありがとう」


「……修司」


 姫?


 何でそんな顔をするの?


「はー、さっぱりしたー」


 しかしその光景を見た瞬間、俺の頭の中に瞬く間にピンク色が襲い掛かってきた。


「ん? 何の話してたの?」


 バスタオルを一枚だけ身に纏った白崎が小首を傾げ、俺は咄嗟に顔をそむけた。

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