第34話

「どこに行く気?」


 俺の腕を強く握り、鬼のような剣幕で俺に詰め寄るのは姫だ。


「姫、何で?」


「要と話してあんたらの後つけることにしたのよ。危なっかしいからね。そしたら案の定」


 凄い剣幕の姫に睨まれ、店員さんの肩がビクッと跳ねる。


「怪しいお店に連れ込まれそうになって……! そんな風に育てたつもりはないんだけど?」


「育てられた覚えもないんですが」


「とにかく行くわよ。飲みたいなら日が沈んでからでも遅くないでしょ」


「でも、姫、お酒好きじゃん」


 俺がそう言うと、翻って歩き出そうとしていた姫の動きがストップする。


「一人で落ち着いた雰囲気のバーとか行くの趣味だって言ってたし、そういうお店でバイトしたこともあるって」


「ええっ! 姫さんそうなんですか⁉ 初耳です!」


 姫はジトッとした目付きで振り返り、眉間に皺を寄せる。


「あれは、一時の気の迷いというか……もう絶対やらない」


「でもでも、お酒好きなんでしょ?」


「……」


「それでストレス発散してるって言ってたし」


「まあそうだけど」


「俺には、それがよくわからないから」


「一生わからなくて良い」


「でもっ、折角なら経験してみたいし、ユリだって」


「あーもうわかった! わかったから! 要!」


「はいな」


 一体どうやって気配を消していたのか、白崎が路地裏からひょこっと顔を出す。


「安全そうなお店探しといて」


「りょ」


「んで、そこの二人」


「「はいっ」」


 難しい顔の姫は一転、子供に向けるような優しい笑顔を浮かべた。


「せっかく上野に来たんだから色々観光してから飲もうか」


「えっ、良いの⁉」


「やったー!」


「良い子にしてたらね」


 姫はそう言ってはにかんで、くるっと翻って歩き出す。


「やったねユリ!」


「楽しみですね!」


「お二人さん、近くに動物園あるんだけど、行く?」


「どう、ぶつえん」


 白崎にそう聞かれるが、ユリはあまりピンと来ていないようだ。


「えっとね、色んな動物を見たり触ったり出来る場所! 結構珍しいのもいるらしいよ」


「面白そう! 行ってみたいです!」


「じゃあ決まりね! 姫ちゃーん! 動物園行くよー!」


「はーい」


「楽しいですね。マスター」


 並んで歩いている白崎と姫に聞こえないように、ユリが唐突にそんなことを言う。


「うん、楽しいね」


「今、どんな匂いがしますか?」


「え?」


 聞かれ、困惑するが、俺なりに鼻を利かせてみる。


「特に……食べ物の匂いとか結構するかな」


「暑いですか? 寒いですか?」


「うーん、どちらでもないかな。ちょっと寒いくらい」


「ちょっと前まですごく寒い日もあったのに、季節は変わっていくんですね」


 ユリの言いたいことがよくわからず、俺は首を傾げる。


「マスター、私実は知ってるんです」


 その瞬間、俺を取り囲む世界の全てが灰色になった気がした。


「私の寿命があと、二か月半しかないかもしれないということを」


 ユリの声には悲壮感と絶望感が詰まっていて、俺はそれを知る前のユリとはもう会えないのだった。

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