第16話

 頭がぼやぼやする。喉の奥に何かつっかえているように苦しくて、上手く呼吸が出来ない。


 咳をすると頭が揺れて、激しい頭痛に襲われる。


 百二十パーセント、風邪だ。


「あ……うぁ」


 いつの間にかベッドに横になっていた俺だったが、微かに音が聞こえた気がして何とか目を開ける。


 ……それは水の流れる音。台所から聞こえてくる。


 泥棒だろうか? 命までは取らないでほしいが。


「え?」


 一瞬、夢かと思った。何故なら、台所から出てきたのは姫だからだ。


「あ、起きた?」


「え……あぅ」


「無理して喋らなくて良いから。ゆっくりしてて。ひどい熱なんだから」


 姫は優しい声でそう言って、おでこに冷たいおしぼりを乗せてくれる。


「なん、で?」


「鍵、かかってなかったからね。ちょっと不用心なんじゃない?」


「そうじゃ、なくて」


「え? あー」


 俺がそう聞くと、姫は何故だかバツの悪そうな顔をする。


「実は、ユリちゃんに連絡もらったの」


「ユリに?」


「うん。あんたが連絡先教えたんでしょ?」


「……まあ」


 無論、そんなことをした覚えは無い。が、おかげで助かった。


 未だ、俺に喋りかけてはくれないみたいだが。


「それで、来てくれたんだ」


「当然でしょ、友達なんだから」


 姫はそう言って照れくさそうに笑う。良い人すぎる。涙が出てくる。


「そういえば、ユリちゃんから連絡来たってことは、朝一番にユリちゃんと話してたってこと?」


「う、うん、そうなるね」


「ふーん、そう」


 姫は朗らかな表情から一転、ジト目で俺を見下ろす。変な誤解をしていないと良いのだが。


「ん?」


 そのとき、嗅ぎ慣れない、何かが焦げ付いたような匂いが鼻をつく。


「なんか、変な匂いしない?」


「ん? あっ! 忘れてた!」


 姫はバタバタと忙しない足音を立てて台所へと消えていく。「アチアチ」と言いながら姫が運んできたのは、土鍋一杯に入ったおかゆ(?)だった。


「おぉー……お?」


「おかゆ。ちょっと焦げちゃったけど」


「これは、また別の何かのような」


「ま、まあ大事なのは味だから! ほら!」


「えっ、あむっ」


 熱々のそれを口に放り込まれて熱さに飛び上がりそうになるが、徐々に慣れてきて味が口に広がっていく。


「これは」


「ど、どう?」


「美味い」


「えっ、ほんと⁉」


「うん、焦げ目が美味しい」


「それってもうおかゆ、じゃないか」


「でもほんとに美味しいよ。ありがとう、姫」


「っ! ま、まあねぇ。私ってば要領良いから、こんなのちょちょいのちょいよ」


 そう言って得意げに笑った姫だったが、俺の顔を見ると途端に悲しそうに目を伏せてしまった。


「ねえ、昨日、ごめんね」


「何が?」


「なんか、気まずい感じになっちゃって」


「え、そんなこと気にしてたの?」


「そ、そんなことって! だって、あんたはまだメンタル不安定で、なのに私だけ言いたいこと言って、無理させて……ほんと最悪」


「姫」


「何」


「姫?」


「何よ」


「こっち向いて」


「……ん」


 俺は、涙目の姫に軽くデコピンをお見舞いする。


「なっ、何よ⁉」


「これで、おあいこね」


 そう言って精一杯悪戯っぽく笑うと、どうやら怒ったらしい姫の頬が赤く染まっていく。


「修司のくせに、ほんと生意気」


「へへ、俺は最初からそういう奴だから」


「もっと熱上がれば良いのに」


「ひどいなぁ。てか、これ以上一緒にいると熱移しちゃうかもよ?」


「……良い」


「え?」


「移っても、良い」


 姫はそっぽを向きながら、そんなセリフを呟く。髪の間から見える耳が真っ赤だ。


 え、ちょっと待って?


 え、どういう意味?


『ピンポーン』


 そのとき、部屋のインターホンが鳴る。


「黒部くーん、大丈夫ー?」


 それから聞こえてきたのは、あの執念深い女の声だった。

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