第2話
「ねぇお願い、一緒に考えてよ」
屋上にポツンと佇む、マリナちゃんを前にして、開口一番、マー君は見苦しいほどに懇願していた。
「あなた、恥ずかしいと思わないわけ」
マリナちゃんは作為的な程に恐ろしく端正な顔立ちで、ギョロリとマー君を睨みつけた。マー君は少し顔を緑らめ、慌てて目を逸らした。
「先生に頼まれたのはあなたなんでしょ。それにあれだけ大見得を切っておきながら、結局は私頼みなんて、嫌に決まっているじゃない」
マリナちゃんは、マー君を突き放そうとした。だが、彼にとって頼みの綱は、訓練に参加せず授業にすら碌にでていないマリナちゃんしかいなかったのだ。
「みんな、自分のことばっかりで、僕に全部厄介ごとを擦りつけるんだ。こんなこと僕だけでできるわけないのに」
マー君は怒りと悲しみ、そして幾ばくかの嬉しさが混ざり合った感情が虚栄心とぶつかり合うことで上手く身体で発散することができず、ただ下を向くことしかできなかった。
「でも、あの先生もいい性格してるわね。実りのなさそうな訓練兵にはできもしない任務を与えて、他の子の邪魔させないってわけね。確かに、『真に恐るべきは有能な敵ではなく無能な味方である』って言うもの」
マリナちゃんは型にはまった嘲笑の表情をマー君に向けていた。
「そんな……、確かに僕はいつもドベだけど…、いや騙されないぞ! 先生は僕の熱意を信じて期待してくれたから、この任務を託してくれたんだ」
マー君は少し懐疑心を持ちながらも、憤ることにより無理やりにでもその気持ちを否定した。
「その託してもらった任務を私に押し付けようとしたくせに。じゃあ、どうしてあなたよりも、熱意も知性もあるアリスちゃんが選ばれなかったのかしら。彼女の意見、良い線いっていたじゃない」
確かに、アリスちゃんは先生が言ったことも完全に理解できていたし、父を亡くしていても簡単には挫けないほどの強い精神力を持っていた。返す言葉も見つからない。
「私が考えるに、あの先生って自分は戦場に行きたくないから、教官になって、挙げ句の果てには教え子を言葉巧みに戦場へ送り出すような人よ。それもきっと戦争状況が悪化して、自分が徴兵されるのを防ぐためじゃないかしら。本音を確実に押し通すために、敢えて本音を語らず相手を騙す。これこそ、知的生命体の最もたる能力なんでしょうね。勉強になるわ」
マー君はマリナちゃんの言っている言葉の意味がよく分からなかった。
ただ、『自分は先生に裏切られたかもしれない』、その疑念が頭の中をいっぱいにしていた。マリナちゃんの言ったことは、真実かも知れないし、ただの詭弁かもしれない。どっちを信じれば良いのか、悩みに悩んだ。
「マリナちゃんの言ったことも正しそう、だけども僕の熱意を信じてくれたあの先生が僕を裏切るなんてことも考えられない。僕は一体、どちらを信じたら良いんだ」
あたりは随分と暗くなり始めていた。屋上からは、訓練を終えたクラスメイトたちが、四方八方へと学校を中心に飛び散っていく姿が見えた。世の中がどんな状況であれども、帰る場所があるというのはそれだけで心強い。
その時、マー君は誰かがまだ訓練場に残っているのを見つけた。その子は暗がりの中、的もほとんど見えないのに、延々と射撃訓練を行なっていた。先生に言われたことを信じて従順に努力する、アリスちゃんだった。
「あの子も、よくやるわね。本当に戦争がなくなるって信じているのかしら。彼女が頑張ったからって、世界全体が変わることなんて、あり得ないのにね。大勢になるとあれこれ理由をつけて途端に弱気になるヘタレ集団が存在する限りは不可能なのよ。自国の不利益を極端まで嫌った結果が戦争だなんてとんだ笑い話よね」
マリナちゃんは哀れみの表情でアリスちゃんを見ていた。その後、昔のことでも思い出すかのように、ずっと空を見て物思いに耽っていた。
その間、マー君はなぜアリスちゃんはこんなにも頑張っているのか、考えていた。お父さんを殺した戦争を憎んでいるからだろうか、でもそれじゃあお父さんを殺した相手の軍じゃなくて、戦争自体を無くそうとするのはどうしてだろうか。やっぱり同族同士で殺し合うのは良くないと思っているからだろうか。アリスちゃんは頭も良くて、僕以上の情熱ももっている。やっぱりそんな子は、きっと僕たちには決して分かることのできない、他者を思いやれるような綺麗な心を持っているんじゃないかと、そしたら僕はアリスちゃんのようには決してなれないなとマー君は思った。
「どっちを信じたらいいかって、言ってきたけど、別にどっちでもいいんじゃないかしら。どちらにせよ、あなたにはこのまま任務を遂行しようと努力するか、諦めるかのどちらか二択しかないんだから。まぁ、この任務が与えられているうちは、戦場に行かなくてもいいんだから良かったじゃない。」
マリナちゃんは淡白にそう言い切った。マー君はこのまま諦めて、なんとなく任務についているふりをしながら、悠々自適に生きていこうと思い始めていた。このまま、一生、ずっとだ……。無理に努力したって変えられないことはある。だからこのまま努力して、途方もない未来に絶望するよりかは、すっかり忘れて身の丈にあった暮らしを続ける方が幸せのはずだ。彼には、まだ母がいる。彼は母とともにこのまま暮らしていくのが、多分一番の幸せなんだろう。
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