第2話 国境へ向かいますわ〜

 アンジェリカの生まれ故郷であるブレシア王国の王都ヴリステア。


 大陸最大の軍事力を有する国家の首都を、最短最速で魔獣から街を守るための防壁までを専用SAラヴィーネで走り抜け、肩を並べて戦った戦友たちを撃退し、アンジェリカは十七年暮らした王都を脱出した。


「マスター。これからどちらへ向かわれるのですか?」


 ラヴィーネの操縦席に響く落ち着いた女性の声。

 愛機ラヴィーネの疑問に、アンジェリカは操縦席に深く腰を掛けるとラヴィーネを走らせたまま、腕を胸の前で組み、首を捻って「さて、どうしましょうかしら」と、楽しそうにニヤッと笑いながら呟いた。


「何せ突然だったものだから、何も考えてはいなかったの。どうせ私から貴女を取り上げることは目に見えていたから、貴女を連れ出すことだけを考えて王都を出たのだけれど」


「短慮が過ぎませんか、マスター」


「あら。褒めてくれなくてもよろしくてよラヴィーネ」


 ラヴィーネの困ったような声に、アンジェリカは冗談ぽく笑いながら答えると、組んでいた腕を解き、操縦席の肘掛けの先で浮遊している操縦玉そうじゅうぎょくと呼ばれる魔石に手を乗せる。


「あなたを狙った追っ手を撒くためにしばらく走りますわよ? よろしくて?」


「もちろんですマスター。ですがどうか、ご無理はなさらないでくださいね」


「ふふん。わたくしを誰だと思っているのかしら。貴女となら一日中走っていられてよ?」


「そういえば昔、鍛練のために二人で一日中、走っていたことがありましたね」


「そういうことですわ。さあ、行きますわよ」


 アンジェリカはそう言うと、操縦玉に乗せた両の手を交互に前後させた。

 その動作に応えるように、ラヴィーネが両手を振って速力を上げていく。

 何故だろうか、表情などが分かるわけでもないのに、ラヴィーネが楽しそうに大地を駆けているように見えた。


「ラヴィーネ。私、汗臭くありませんこと?」


「申し訳ありませんマスター。私には嗅覚というものは搭載されておりませんので」


「ふふ。分かっていますわよ。聞いてみただけですわ」


「はあ」


「しかし、騎士団長が出征中で助かりましたわね。彼女が王都にいらしたら、流石に逃げられませんでしたわ」


「アリス様ですね。確かに、彼女と彼女の愛機、オラージュを相手にしながらでは厳しかったでしょう」


「それでもあの方には挨拶をしたかったのですが、仕方ありませんわね」


 少し走っては足跡を踏みならして消し、跳躍して方向を変え、また少し走って足跡を消してを繰り返し、追っ手がつかないようにしながらアンジェリカはラヴィーネを立ち寄った森に座らせた。


「二時間ほど走りましたかしら。ラヴィーネ。体の調子はいかが?」


「自己診断の結果、異常は見受けられませんでした。マスターは大丈夫ですか?」


「少し喉が渇きましたわね。もう少し行った所に川があったはずですわ。そこで休憩しましょう」


「了解ですマスター」


 一度座らせたラヴィーネを立ち上がらせ、再び移動を開始するアンジェリカ。

 日が高い内に一旦身を隠せる場所を探したいところだが、今のアンジェリカはまさに着のみ着のまま。

 金もなければ着替えもなく、今日食べる物すら無い状態だ。


 しかし、王国の領地内である以上は大きな街はもちろん、小さな町や村に立ち寄っても足がつく。


 ならば、しばらくは誰にも何処にも頼らずに生きていかなければならない。


「訓練生時代以来のサバイバルですわ〜! 楽しくなってきましてよ〜」


 ラヴィーネに見初められ、専属操縦士となって以来、ただひたすらに母国のために戦い続け、勝ち続けてきた人生。


 訓練と戦闘を繰り返すだけの日常に初めて訪れた本当の意味での自由な時間。

 

 突然訪れたその自由は、さながら鳥籠の鳥が大空に飛び立った様相だった。


「アンジェリカが小鳥? 馬鹿言っちゃいけないよ。アレは猛獣だ。いや、魔獣と言っても過言じゃないよ」


「軽やかに跳躍する姿がそう見えると。しかし、魔獣、でありますか?」


 王都ヴリステアの城の自室。

 部下の報告を聞いていたアンジェリカの兄である第一王子、王位第一継承権を持つラスターはそう言ってニコッと笑った。


「君は戦場で笑えるかい?」


「いえ」


「だろう? それが普通だよ。だけどあの子はいつも笑っていたよ。笑顔で帰ってきていた。ターリムの激戦でも、ベルドア砦攻略戦でもね」

 

「あの地獄を笑って……」


「父はそんな怪物を野に放ってしまった。それがどれほどの脅威になるかも考えもせずにね」


「し、しかし。いくらアンジェリカ様とはいえ、お一人では」


「身内びいきの過大評価だと思うかい? 違うんだなあこれが。考えてもみたまえよ。どこにたった一機のSAだけでこの城からのみでなく王都の外周防壁までを突破出来る騎士がいるのだ。ああ、騎士団長は出来るからその答えは無しで」


 ソファに腰掛け、気怠げに水の入ったグラスに手を伸ばしながら言ったラスターの言葉に、報告にやってきた兵士は何も言えなくなっていた。


 そんな兵士が持ってきた報告書に、ラスターは視線を落とす。


「最後の目撃情報が南の森付近か。北に出征中の騎士団長と遭遇しないように移動しているのかな? まあ、それなら丁度いい。今から書く書状を伝令の翼竜騎兵で南西のサウレス砦に送ってくれ。くれぐれも内密でね。特に父には知られないように」


「り、了解致しました」


「静かに、且つ迅速に、ね」


「は!」


 兵士の返事にニコッと微笑み、ラスターはグラスを置くと、紙に何やらしたため、文章の最後に羽ペンの先に魔力を込めるとそのペンで自分の名を記す。

 そして紙を丸めて紐で縛ると、更にその紐にも魔力を送って封をした。


「じゃあ、よろしく」


「確かに受け取りました。では」


 敬礼して部屋を出る兵士に、ラスターは笑顔でヒラヒラと手を振る。

 そのあとソファから立ち上がり、大窓の側へ行くと後ろ手を組み窓から見える空を見上げた。


「初めての自由な世界だ。楽しんでくるがいいさ」


 まだ妹が幼かった頃から今日までの事を思い出し、不憫に思いながらも助ける事が出来なかった自分の不甲斐なさを自嘲するようにラスターは苦笑する。


 そして深いため息を一つ吐くと、先刻までの雷雨が嘘のように晴れた、雲がゆったりと流れる青空に背中を向け、窓から離れていくのだった。

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