第2-4話 『パンケーキを食べに行こう!』

 ――嫌な夢を見た。

 吹き出した汗がじっとりと肌を濡らしていて、張り付いたパジャマの布地の感触が不快で仕方ない。額に浮かんだ汗を右手で拭い、大きく深く息を吸い込みバクバクと高鳴る拍動を落ち着かせる。もう慣れた事だ。

 夢、いや正確には脳裏に焼き付いた記憶の再上映。

 海馬にベッタリと塗りたくられた思い出したくもないあの日の記憶。両手が真っ赤に染まった新しい人生のハッピーバースデー。

 枕元に置いてある水を口に含み喉を潤す。時刻は深夜ニ時。夜が最も深くなる時間だ。ペットボトルのキャップを閉めながら窓の外、薄く靄のかかった夜空を見上げて星を探す。

 思えばあの頃も同じように夜空に浮かぶ星々を眺めていた。当時は空気の澄んだ山奥だったからもっと綺麗な夜空であったが。

 寝汗でぐっしょりと濡れたパジャマを着替えるべく、ベッドから出るとデスクに置いたスマホの画面が光っているのに気づく。こんな時間に組織から指示が来る事など無い。飲み会でグダングダンになった部長が酔って連絡を寄越してきたか、或いは事務処理的な通知であるはず。ただ、いつもなら気にも留めない通知が今は気になって仕方がなかった。

 脳裏にこびりついた後悔から振り払われたかった。仄かな明かりを頼りに傍までふらふらと寄り、光の発生源であるスマホを手に取る。

『彩人さん見てここ美味しそう!』

 端末の画面に浮かび上がった文字列は想定していた物のどちらでもなく、パンケーキの写真が添えられている物だった。

 画面を見つめる事数秒。差出人のReiが怜の事を示している事に気づくと、ようやく状況を把握した。彼女にパンケーキの誘いを受けているのだ。

 心底ほっとした。まさか殺し屋に送っているなんて思いもしてないような、あまりにも能天気すぎるそのメッセージ。見ていた夢の内容を忘れたわけではないが、十分夢として割り切れた。薄い笑いがこみ上げてきたのが何よりの証拠だ。

 せっかくだ。彼女との親密度を高めるためにもここは返信をする事にしよう。

そう思いメッセージアプリを立ち上げると、

『あれ?彩人さん起きてた?』

『アタシ、なんか全然寝れなくて』

『それでインスタ見てたらここ気になっちゃってさ』

 既読を付けてしまったのを今になって後悔する。そもそもスマホでのメッセージのやり取りに慣れてない自分からすると一メッセージを作成している間に、相手からメッセージが送られてくると焦ってしまう。

追撃のメッセージが来る前に苦し紛れに『自分もさっき起きてしまったところ。パンケーキ美味しそう』と無愛想で乾いた文章を送ってしまい、もう少し興味がありそうな文章を書けば良かったと後悔する。

 それにしても添付されたパンケーキは生クリームがこれでもかと盛られて、メープルシロップが滝のようにかけられた、見るからに健康に悪そうな糖分の塊であった。恐らく自分からは人生で一度も口にする事は無いだろう。

『あれ?もしかして彩人さん甘い物苦手だった?』

『別に普通。パンケーキは食べたことないけど』

 できる限り彼女とは親密になっておいた方が仕事の成功率も上がる。食べた事も無い上に興味も無いパンケーキだが、関心を持っているような振る舞いはしておいた方がいいだろう。

 またもや無味乾燥な文章を送信してしまった事にすぐさま気づき、歯を見せて笑う黄色人間の絵文字を送る。

『え?なにこれおじさんみたいだよ?』

 どうやら不評だったらしい。

 確かに彼女の年齢からしたらおじさんに当たるはずだが、それでも社会人の中では若手に部類される年齢だとも思っていた。思ったよりも年齢を重ねてしまった事を痛感する。と言ってもこの業界だとベテランの枠には入るので、おじさん呼ばわりされるのには慣れているのだが。

 殺し屋という職業は短命な職である。活躍という観点でも、生死の観点でも。

殺し屋の多くは三十代辺りで廃業するか、前線を退いてマネジメントの立場に立つか選ぶ事が多い。というのも体力や動体視力などの面から十代の若手が重宝されるこの業界では三十代に振られる案件は絞られてくるからだ。

 それに多くの場合、死ねなくなってしまうのだ。

 生活は給料で潤い、守りたい物も出来て、今あるかけがえのない生活を大事にしたい。そう考えたら肉壁同然の案件なんて選びたくないのは当たり前の事。

 死への恐怖心なんて一切無い無敵の十代と生への執着心が生まれてしまった弱みを持つ三十代。

 どちらに組織は案件を振るか。言うまでも無いだろう。

 ちなみに中には長らく続ける者もいるが、その多くは老いには勝てずインシデントを起こして引退に追い込まれる事が多いようで、若手の仕事の多くはその尻拭いだったりする。

 つい数ヶ月前も三十になった先輩がターゲットを殺し損ねてしまい、その後始末に追われたばかりだ。勿論、先輩はその後すぐ引退し田舎に帰ったという。

 自分も業界に入って十年。もうすぐ折り返しだ。

 怜から送られてきた昔流行ったマスコットキャラのスタンプを眺めながら、そんな事を思い返した。年齢を感じるのも老いの一つなのかもしれない。



 ◆



 世界が夏の暑さに晒され、空気中の水分が沸騰する前に出社すると案の定、人影がなく伽藍堂のようだった。

 たった一人。最奥のデスクに悠然と腰掛ける一人を除いて。

「おお、誰かと思ったら君か。随分と早いじゃないか」

「黛部長いたのですか。いつもお疲れ様です」

 伽藍堂のオフィス、山積みの資料の隙間に黛部長は今日もいた

「管理職だからって私だけ基本出社を命じられていてね、夏場は暑いから早めに来たんだ。本当は外に出たくないんだがな…」

 日焼けも気になるしな、と言いながら、雪を思わせるほど真っ白な腕を伸ばす。徹底したケアが功を奏しているのだろう。

「それで、最近はどうだい?業務は滞りないかい?」

 液晶モニターから視線を一切外す事なく部長は訊く。一定のリズムで奏でられるキーボードの打鍵音と冷房の音だけが響いていた。

「少なくとも彼女との友好関係の構築という面では、問題なく進んでいるかと」

 そう告げると、さっきまでずっと画面に向けられていた視線が滑り、切れ長の目が此方を見つめていた。

「…そうか。なら良い」

 彼女はそう呟くと視線を戻し、言葉を続けた。

「そういえば、高橋くん、来月で退職するみたいだよ」

「え、そうなんですか」

 ――高橋くん、自分の先輩にあたる人だ。

 自分よりも二つ年上でキャリアをコツコツ積んでいて、マネージャー候補として社内でも名が挙げられているような人だった。

「かなりいきなりですね。まさか辞めるなんて…。独立ですかね」

「さあな。まあ彼ぐらいなら独立しても上手くいくだろう」

 部長は大した興味を抱いている訳ではないようで、恐らく彼に理由やら今後の展望なんて聞いていないのだろう。

 こういうドライな関係性もこの業界特有かもしれないな、と思う。なんせ昨日まで楽しげに話していた同僚が、次の日凄惨な死に様を晒している事だって、無言の肉塊になっている事だって決して珍しくない。

 そんな事が頻発する以上、一人一人の死に悲しむ暇なんて無いのだ。それにそうやって身内の死を丁寧に掬い上げていたら、今度は自分の精神が摩耗してしまう。そうして気付けば皆、一定ラインから先に深入りしなくなる。

 数秒の空白を置いて、口を開く。

「…それでも少し残念です。自分にも良くしてくれましたし」

「そう言うと思って早めに伝える事にしたんだ」

 ドライな職場ではあるが、十年の蓄積は大きかったようだ。

 冷房の音だけが部屋に鳴り響いた。

 再び、此方に視線を向けた部長はポツリと呟く。

「…君とはもう長い付き合いになるからな」

「もう十年ですからね」

「もう十年も君は此処にいるのか」

「生憎、自分は此処でしか生きていけないですから」

「………。君には此処でなくても生きていけると私は思うがね」

 目を伏せて言った部長の言葉はやけに重々しかった。



 ◆



 渋谷駅の一駅先、原宿は正真正銘、若者の街である。

 一本長々と続く原宿通りには奇抜な髪色やファッションをした人たちで溢れかえり、むせ返るほどの若さが濁流のように流れている。

 人混みが苦手で若さが日に日に抜けて落ちていく自分にとって、原宿駅で待ち合わせするという行為自体、HPが消耗していくイベントと同じでしかない。

 黛部長のために冷やされているオフィスを出て、電車で数分。駅前の木陰で直射日光を避けつつ、自分は彼女を待った。

 待ち合わせの時刻から既に十五分経過。十五分前から周辺で待機していたのと合算すると三十分も雑踏に晒されている事になる。その時、

「あ~待たせてごめん!電車遅れてて!」

 いつも通り制服に薄手のパーカーを羽織った怜が小走りに来て言う。

「いや、ちょうど自分も今来た」

 さらりと嘘八百。これぐらいは気遣いの範疇だから、嘘にはカウントすべきでない気もするが。

「昨日はいきなりごめんね!まさか起きてるなんて思ってなくて」

「別に気にしてないから」

 あの後、二人の間でパンケーキトークが膨らみ、明日にでも食べに行こうよ!と怜からの強い推しがあって食べに行く事になったのだが、茹だるように暑く雲ひとつないこんな快晴だと生クリームよりも寧ろ、ソーダ味のシャーベットが食べたいぐらいであった。

「あっちい~流石に暑すぎる~」

「こんなに暑いのにパーカーなんて良く着るな」

 気温も湿度も高く、至るところで身体と衣服の間に漂う熱気を外へ逃がそうとしている人々の中、夏に適応出来ていないのは彼女のみだった。

「こ、これは日焼け対策なの!肌が弱いからすぐ真っ赤になるから困るの!」

 そう言ってパーカーの袖をうーんと伸ばしてぴっちりと覆う。

 今日は気温三十度を超える夏日だというのに、素肌が焼けないようしっかりとガードしているようだ。女の子の努力は凄まじいものだなと日焼け止めすら塗っていない自分は思う。

 と話していると、背後から気配が。

「おい、危ないぞ」

「え?何?」

 そう言って彼女の肩を掴み、半歩右に避けると、スマホの画面を凝視した中年男性が此方を見ることなく通り過ぎていった。

「歩きスマホなんて感心しないな」

 足早に去っていった男に一瞥してぼやく。

 あの手の輩は一度、周囲に気を配らずに歩ける事の有り難さを一度、身を持って知るべきだと思う。

 この仕事に就いてからというもの、常に周囲に気を配るようになった。すっかり身に馴染んだルーティンとも言えるだろう。

 おかげさまで、道端で人とぶつかる事などもう十年は無い。

「あ、避けてくれたんだ、ありがとう。それにしても全く見てなかったのに良く気づいたね」

 玉のように丸い眼をパチクリとさせて驚く怜は、頬を緩めて感謝を述べる。

「たまたま気づいただけだ」

 そう返すと彼女は「そっかたまたまか」と呟き、

「てか早く行かないと!もう暑くてしょうがないし!」

 とさっきまでの感謝を他所に、私を盾にして人混みを掻き分けながら目的地へと向かい出した。


 人混みを掻き分け横断歩道を渡り、原宿の街を歩く事数分。

 ハワイ発のパンケーキ専門店の前で二人は歩みを止める。ハワイを感じさせる外装、辺りに漂う甘い香りが人生で一度も行った事も行く予定もないハワイの風を感じさせる。

「そんじゃ行こっか!」

「何故、自分が前なんだ」

「いいじゃん別に!彩人さんが人多いから盾に丁度いいの!」

 怜のその細い腕から想像できないくらい強くグイグイ押され、カランコロンとドアベルを鳴らしながら入店する。

 思えば彼女はいつも自分の後ろを引っついて歩いている気がする。殺し屋としてはターゲットを見失う可能性があるから、できれば彼女の後ろを歩きたいのだが、どうも彼女は自分を盾代わりにしたいらしい。

 彼女が何しているか不安だが、ずっと背後から話しかけて来るので見失う事も無さそうなので、まあ良いとしよう。

「それで彩人さんは何にする?アタシ、この一番人気のイチゴのやつにしよ〜」

 怜はそう言いながらメニューを自分の手元に寄せる。メニューを見ずに注文を決めている辺り昨晩、予定が決まってからネットでメニューを予め見ていたのだろう。

 数枚のパンケーキに堆く盛られたホイップクリーム、その白い塔の足元にはイチゴやブルーベリー、パイナップルといったフルーツたちは散りばめられており、視界に入れただけでも甘さを感じるほどであった。

 さして好みもなかった(イチゴは除く)ので、怜にオススメを訊くとパイナップルトッピングをチョイスしてもらった。理由はトロピカルだからとの事。

 相変わらず選ぶ事は苦手だな。と思考の隅の隅まで染み付いてしまった習慣に嫌気が差した。

「怜はいつも選ぶの早いな」

「まー確かに。決断は結構早い方かも。というか前々から悩んでおけば良くない?その場その場で決めようとするから困るのであって、最初から決めておけばあたふたしなくて済むんだし」

「前々から決めておく…か」

 ――なるほど。

 自分が深く頷いたのを見た彼女は照れくさそうに言う。

「あ、そう?別にお礼を言われる筋合い無いって~」

 そんな他愛も無い会話をしながら待つ事、十分程度。キッチンの方からほわんと甘い暖かい匂いが漂ってきていて、怜も待ちきれないようで頻りにチラチラと匂いの方に視線を揺らしていた。

「おまたせしました~」とテンション高めなアロハシャツを着た店員に運ばれてきたのは写真と寸分違わぬ糖分の爆弾だった。

「うわ~!めちゃかわいいし、めちゃ美味しそ~!」

「す、すごいな…。なかなか…」

 皿が置かれるなり、スマホでパシャパシャ写真を撮りまくる怜、目に入れるだけで口の中が既に甘く感じて戦慄している自分。

 ――これ以上、甘そうな物ってこの世界にあるのか…?

 と思っていた矢先だった。おもむろに怜が卓上に置かれたメープルシロップを手に取り、ダバババババと滝のようにかけ始めたのだ。

 唖然とするしかなかった。確かに味付けとしては生クリームだけで、何処か物足りなさを感じるところはあるが、それでもこの光景は衝撃でしかなかった。

「え、えぇ…」

「ん?どしたの?そんな驚いた顔して」

 驚嘆が思わず声に出ていたらしい。きょとんとした表情を浮かべながら、それでも尚、メープルシロップをかけ続ける彼女は首を傾げた。そしてそのまま糖分の暴力と化したそれをナイフで切り分け口に運ぶ。

「う~~~ん!美味しい~~そして甘すぎ~~!てか彩人さんも美味しいから食べて食べて!」

「お、美味しいのか…?」

 半信半疑ではあるが、見様見真似でメープルシロップをかけてパンケーキとパイナップルを一緒に口に運ぶ。

「意外と…、美味しい…?」

 想像していた生クリームとメープルシロップが織りなす爆発的な甘さが味蕾から脳天へ駆け抜けた後に、フレッシュで甘酸っぱいパイナップルが口の中をすっきりと洗い流してくれるようだった。

「でしょ!このフルーツがいいアクセントになってるの!」

「冗談だと思っていたけど、ちゃんと美味しいな」

 ――正直、見た目重視で味はイマイチだと思っていたので驚きだった。

「美味しいって言ってもらえて良かった~!」

 そう笑顔で言いながら彼女は二口、三口と大きな口を開けて放り込んでいく。

「あーでもやっぱり甘いな。甘すぎる。コーヒー頼んで正解だった」

 彼女のように続いて二口目は厳しかった。


 クリームが溶け、皿に白い海が現れ始めた頃、メニュー表で見た時から抱いていた素直な疑問を吐露した。

「――それにしても今になってはこういう薄いパンケーキって珍しくないか?今の流行りってふわとろみたいなパンケーキじゃないのか?」

 すると、目をまんまるにした怜がぷっと吹き出して笑う。

「ふ、ふわとろパンケーキ〜!?」

「なんか変な事言ったか?」

「ううん?全然?ぷっ!ぷふふふ!」

「いや…。絶対に言っただろこれ…」

「いやだってさ!彩人さんの口からふわとろ〜って…。ふ、ふわとろ〜だって!あはっ、あはははは!」

 ――人の事をなんだと思っているんだ…?

 机をぺしぺし叩きながらひとしきり笑った怜は目尻に浮かんだ笑い涙を拭って続ける。

「てか、ふわとろってそんなに流行ってる?アタシ的に今はこういうのが流行りだと思うんだけど」

「この前ニュースで特集見て、流行りはてっきりそっちなのかと」

「あ、情報源がテレビのニュースってところすごくおじさんっぽいよ?」

 ――おじさんっぽい。

 思ったよりも深く刺さってしまった。相手は女子高生だ。自分よりも一回りも若い小娘の言など気にするな。と己に言い聞かせる。

「おじさんじゃない。自分はこれでもまだ二十代だ」

 想像よりも響いた事を滲ませないよう切り返す。

「まあ彩人さんも忙しいから知らなくても仕方ないよね、ごめんごめん」

「本当、毎日大変なんだぞ」

「えー忙しいの?毎日、JKと渋谷で遊んでる癖に?」

 ――まずい。自分からしたら業務中ではあるのだが、彼女からしたら外回りの最中に女子高生と遊んでいるボンクラ営業なのだった。

 久しぶりにターゲットと行動するのもあってボロが出てしまうところだった。これは猛省事項だ。

「そ、それとこれは別で、今は閑散期だから暇なだけだ!」

「ふーん。そうなんだ。ホントかな〜?」

 そう言って彼女は疑惑の目を此方に向ける。

「そういう怜こそ、学校はどうしたんだ?まだ夏休みじゃないだろ」

 今はまだ七月の頭。夏休みにしてはまだ早いはず。それなのにこんな真っ昼間からパンケーキ食べに行っている怜の方が問題だろう。

 投げかけられた疑問に対して、彼女は中空に視線を固定しながら言う。

「あーたしかに。まあアタシ、不登校だから」

 ――不登校だから。

 特に深刻そうな表情を浮かべる事なく、さらりと告げられた事実。

 驚きと共に申し訳なさが込上げる。

「そ、それは悪いこと聞いたな。申し訳ない」

「ううん、全然いいよ。だってアタシ、こう見えても結構頭いいし」

 デリケートな部分を突いてしまったと謝るが、彼女は全く気にしていないようで、店員さんに「お冷くださーい!」と空になったグラスを掲げながら呼ぶと、再び言葉を続ける。

「まあ、学校は正直あんまり馴染めなかったからな〜。クラスの雰囲気とあんまし合わなかったっていうか、そんな感じかな。別にいじめられたとかじゃなくて、自主的に行ってないだけ」

「いや、それでも…なんかすまん」

今までそんな素振りどころか要素すら感じさせなかった彼女がまさか不登校だとは露にも思わなかった。

「いーの!いーの!それよりもお給料もらってるのに、お仕事サボってるサラリーマンの方がもっとやばいと思うんですけど」

 まったくもって仰る通りではあるが…。

「ま、アタシの場合は不登校ってよりサボり魔の方が正しいかも。学校には行ってないけど外には出てるし」

「確かに自宅から出てないのなら、サボり魔に近いか」

「この制服だって学校に行ってますよ〜ってアピールのためだし。それにたまに登校しているし」

 なるほど、それで毎日制服を着ていたのか。

 そうなると別の不安が去来する。

「でも大丈夫なのか。学校サボっておじ…。年上の男と遊んでるってバレたら学校とか親に怒られないのか?」

 彼女はグラスの氷をカラリと鳴らして言う。

「いやーどうだろ。皆、アタシの事興味ないみたいだから大丈夫だと思う。別に危ない遊びしてる訳じゃないし、それに変に怪しいところ出入りするより、流行りすら知らない人とパンケーキ食べてる方がよっぽど健全じゃん?」

「まあそれもそうか…?」

 微妙に納得できないが、彼女が良いならそれで良いか。

 困惑した自分の言葉を聞いた怜は視線を窓の外に向け、ぽつりと呟く。

「ま、今が楽しければいいじゃん。アタシたちどーせ遅かれ早かれ死ぬんだし」

 今までの彼女からは到底、想像出来ない言葉だった。

 行き交う人々を眺めながら、妙に達観した言葉を吐いた彼女の瞳は何処か虚ろ気で諦観を滲ませている。

 ――あの眼、どこかで…。

 …ダメだ。その続きが思い浮かばない。確か何処かで見た事があるはずなのだが、それが思い出せなかった。

 自分はその間も彼女から一切目を離す事が出来なかった。店の外に視線を向ける彼女の横顔を吸い込まれるように見つめていた。

 すると此方を振り向いた彼女は両手をパチンと合わせて、

「なーんてね。アタシにもやらなきゃいけない事あるしー。テストとか結構やばいし、死んでなんていられないよね」

 と、さっきまでの無機質な表情から一転して、二ヒッと白い歯を見せて笑った彼女はリュックを背負い、呆気にとられている自分に言う。

「ほれほれ、もう帰るよ~。そんじゃお会計よろしく~」

 ピースサインを小さく掲げながら颯爽と店から出ていく彼女を目で追うことしかできなかった。

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