第2-2話 『女子高生の流行りはわからない』

 明くる日。

「彩人さーん!」

 夏の日差しと負けず劣らずの眩しい笑顔を向ける怜。茹だるような気温を物ともしない彼女は手をブンブンと振って此方へと駆け寄ってくる。

「こんなに暑いのに元気だな」

「アタシ、夏の方が好きだからね」

「夏が好きとは随分と物好きだな」

「あ、でも日焼けするのだけは嫌かも。すぐ皮膚が真っ赤になっちゃうから、パーカーはどうしても欠かせなくて」

 なるほど。それで昨日も今日も薄手のパーカーを身につけていたのか。

「それで?今日も彩人さんは仕事サボリ?」

「まあそんなところだ。なかなか契約が取れなくてな」

 今朝、出社して部長に時間がかかりそうです。と改めて申し出たところ、

「本件は実はかなりの予算が降りていてな。『時間がかかってでも確実に仕留めてほしい。』とクライアントからの強い要望だそうだ。何処でそんな恨みを買ったんだろうねえ。ターゲットは」と承諾を貰っていた。

 当分の間は怜を殺す事のみを考える事になるだろう。そう渋谷駅に向かいながら思っていた。

「ふーん。てか何の仕事してるの?」

「小さなゲーム会社で営業」

「へー!ゲーム作ってんだ!え?めっちゃすごいじゃん」

 それから彼女は三年ぐらい前のゲームタイトルをいくつか挙げる。当然掠りもしていなかったが、適当に「そんなところ」としか言えなかった。

「じゃあさ!新作出る事になったら教えてよ!」

「それは無理だな。社外秘を教えるわけにはいかない」

「あー確かに。その通りかも」

 じゃあ仕方ないか。と呟いてパーカーのポケットからスマホを取り出して何やら写真を見ている。盗み見は良くないとすぐさま目を逸したが、自分の視線の動きに勘付いた怜はニヤリと口端を歪めて言う。

「彩人さん、もしかして今スマホ見てたでしょ」

 ――しまった。

「ああ、すまん。盗み見るつもりはなかった」

「なら、最初から一緒に見ようよ!」

 ――え?

 思ってもない彼女の反応に拍子抜けする。てっきり彼女に嫌悪感を抱かせてしまったと思い弁明の言葉を続けようとしたが、その逆で一緒に見たかったらしく、彼女は画面が視界に入るよう端末を傾けた。

 差し出された画面には色とりどりの写真がパネルのように並んでいた。美味しそうな料理や山や海の綺麗な風景写真、楽しげに笑う女性の自撮り。明るい世界を切り取った写真たちが下から上へとスクロールされていく。

「彩人さんこれ知ってる?インスタって言うんだよ?」

「流石に知っている。写真とかアップするSNSだろ」

「あ、知ってたんだ。てっきり彩人さんの事だから知らないもんだと…」

「自分を未だにガラケーを使っている人間だと思っているのか?」

 全くもって心外な話だ。InstagramにTiktok、Tinderぐらい知っている。

「じゃあアカウント教えてよ!」

「いやアカウントは…」

 あくまでも知っているだけだった。

「あー理解した。それほぼ知らないと一緒だからね?ダメだよ、流行ってるアプリぐらい使いこなせないと、あっという間におじさんになっちゃうよ?」

「おじさ、っておい。…まあ確かにその通りか」

「とりま、インスタぐらいは入れておこ?」

 その後、彼女に言われるがまま、組織仕様に改造済みのスマホにアプリをダウンロードしアカウントを作成した。

 組織仕様というのは通信傍受されないように、独自回線を常に用いており、個人情報や位置情報についてもブラインドされるという物だった。他にも様々な機能が備えられているが、特筆すべきは緊急時の遠隔データ消去性能だろう。万が一使用者が警察や他組織に捕縛された場合や逃亡者、離反者となった際、情報漏洩対策で端末内のデータを遠隔で消去出来るという代物だった。

「――って感じかな。大体使い方分かったでしょ?」

「大体は理解した」

「おけ~。じゃあとりあえずアタシのアカウントフォローしておいて」

 簡単な操作方法の手解きを受けて、とりあえず彼女のIDを検索し登録する。瞬時に登録が承認され、検索時には見られなかった彼女の投稿が画面に並んだ。

 彼女の投稿は空の写真やラテアートテの写真、それに猫の写真が殆どで内容から仕事に活かせそうな情報はさっと見たところ伺えなかった。

「なんだか可愛い写真ばかりだな」

「そりゃあそうでしょ!アタシ女子高生だよ?可愛いに溢れてるに決まってるじゃん!」

 彼女の投稿を見てつい漏れ出た感想に、彼女は当たり前だと憤慨する。

 別に意外でもなんでも無く、寧ろ想像通りの投稿で安心した言葉だったのだが、本意が伝わりにくい呟きになってしまったようだ。

 セットアップを済ませ、手始めに渋谷の写真を撮影しアップしてみると、隣の怜のアカウントからいいねが飛んでくる。

「なんだか普通な写真」

 先の意趣返しのような彼女の言葉に特に取り合う事なく、素直に感じた疑問を吐露する。

「これ…。面白いのか?」

 怜は意趣返しのつもりだった発言がさらりと受け流されて、不服そうな表情を滲ませながら小首を傾げて言う。

「うーん。まあフォロワー少ないとあんまり面白くないかも」

「それはそうか。今は怜しかいないからな。ちなみに怜はどのくらいフォロワーいるんだ?」

 何気なく質問を振った彼女は頬を固くして言う。

「…実は彩人さんが初めて、みたいな?」

 暫し静寂が流れる。行き交う人々の音ですら聞こえないぐらい気まずい空気が二人の間を漂う。

「…まあアタシも友達少ないし、そんなに面白くないかも」

「なんか申し訳ない事聞いてしまったな」

 まさか彼女も友達が少ないとは。てっきり友達に常に囲まれて華やかな学生生活を過ごしているものだとばかり思っていたので、正直かなり意外である。

 しかし、何故彼女のように明るい子に友達がいないのだろう。不思議だ。

「て、てかさ!今日どこに行く?お腹空いたしご飯でも行く?」

 二人を取り巻く重たい空気を振り払うかのように、彼女は明るげに言う。

「そ、そうだな。昼でも行くか」

 苦し紛れに絞り出した言葉に怜はコクコクと頷き、

「とりま、昨日と同じでいっか」

 と昨日と同じイタリアンレストランに足先は向いた。



 ◆



「彩人さんは何にする?アタシは、カプレーゼは確定で肉かパスタで迷ってる」

「じゃあジェノベーゼで」

「昨日と同じじゃん!せっかくなんだし肉とか食べない?」

 彼女はメニューの中で一番高額なステーキを指差す。大きな赤身肉の上にレモンの輪切りが添えられたそれは、他の品がダブルサイズにしても三桁で留まっているのに単品千円に届くメニューであった。

「やっぱりジェノベーゼだな」

「え!もしかして、彩人さんってベジタリアンって奴?あーそれはごめん」

「いや、肉が好きじゃないだけだ。普通に食べられるけど苦手だ」 

 メニュー表で一際目立つ、千円の文字を見つめながら思う。

 確かに魅力的ではある。他の品が三桁円で提供されている中、唯一四桁であるそのクオリティとは如何ほどか。一度は皆気になるのは間違いないだろう。

 ただ残念ながら、赤身肉が嫌いだった。肉が嫌いだからではないというのは赤身肉と。正確には肉に限らず赤色の食べ物が嫌いであり、更に言うとそもそも赤色が嫌いだった。


 ――ごめんなさい。ごめんなさい。と声が涸れるまで叫び続けながら、ナイフを振り降ろす。既に命の欠片も残っていない肉塊にナイフの切っ先が突き立てられる度に鮮血がポンプのように吹き出し、細い両腕が赤黒く染まっていく。

 初めて人を殺めたその日から網膜に人の死の色が焼き付いてしまった。

 あの雨の夜、生まれて初めて自らの手で人を死へと導いた。その時の感触が未だに右手に残っている。

 逃れられないのだ。何人何十人、何百人と他人の人生の幕を閉ざしたとしても、最初の光景が、記憶が薄れゆくことはない。寧ろ引導を渡す度に、あの夜の光景が色濃く鮮明になっていくような気すらした。

 赤色を見る度、そんな事を思い出してしまうのだから、当然口にする事なんて出来るはず無かった。所謂トラウマという奴だった。

 もうあれから十年近く経つ。今ではすっかり何食わぬ顔で避けられるようにはなったが、トラウマは乗り越えられそうになかった。

「―おーい!彩人さん聞いてるー?注文するけどいい?」

「…あ、ああ。すまない、少しばかり考え事していた」

「仕事?根詰めるのは良くないよ、んじゃ注文しちゃうね」

 怜は労うように言うと、手元の注文票にメニューの番号を書き記していく。

「えと、彩人さんはジェノベーゼだよね?他にはなんか頼まない?アタシ、ミネストローネも頼むつもりだけど」

 君はどれだけ食べるつもりなんだ…?と喉元まで湧き上がってきたが、年頃の女子高生にはデリカシーの欠けた言葉であろう。胃の底に沈めておく。

「じゃあ、ティラミスで」

「おけ〜。んじゃ頼むね」

 ボタンで呼び出された店員がメニューを復唱する。ジェノベーゼ、ティラミス、リブステーキ、ミネストローネ、カプレーゼ、ドリンクバー二つ。さりげなく件の千円ステーキを頼んでいる上に、サイドメニュー二つにドリンクバーも付けている。それで奢ってもらえると思っているのだから、全くこの娘は図々しい事この上ないな。とメロンソーダをコップなみなみに注いできた彼女を見て思う。


 彼女の注いだメロンソーダがコップの半分くらいまで減った頃、注文の品が続々と届き、二人がけの小さなテーブルはあっという間に埋め尽くされてしまった。「肉には米!」とセットで頼んだライスの皿が思ったよりも大きく面積を取っているのもあるだろう。ジェノベーゼが来る頃には自分のテリトリーはパスタ皿一枚とコップ一つ分くらいしかなかった。

「こうして見ると頼みすぎた感やばくない?」

 並んだ品々を見て戦々恐々としながら怜は言う。

「食べられるのか?駄目そうなら手伝うが」

「いや!実はこう見えても結構大食いなんだよね!」

 彼女の言に思わず耳を疑った。手首や脚、首筋などには一切無駄な肉がついておらず、触れれば壊れてしまいそうなほど華奢な彼女が大食いだなんて到底思えない。寧ろもっと食べるべきでは?と心配するくらいには細身なのだが。

 そんな自分をさて置いて、彼女は目の前のカプレーゼから手をつけていく。モッツアレラチーズとトマトが交互に並べられ、塩と黒胡椒、オリーブオイルのみで味付けしたシンプルな一品。それをペロリと平らげると今度はミネストローネへ。様々な種類の野菜を形が崩れるまで煮込んだ物らしく、スープで掬い上げた中には野菜の欠片たちが真っ赤なスープとほぼ一体化していた。

 彼女は口に運ぶ度、美味しそうに目を細めて笑いながら、どんどんと食べ進めていく。あっという間にミネストローネの器を空にすると、不思議そうに此方に視線を向けて首を傾げる。

「あれ?彩人さん食べないの?」

 いや、君の食べっぷりに圧倒されていて…。なんて事も言えるはずなく。

「あ、いや。いただくとするよ」

 ふーん。そっかあ。と訊いておきながら興味なさそうに返す彼女。今の興味はやはり目の前の赤身肉に注がれているようで、一口大に切った肉を頬張ると脚をパタパタさせて喜び、ライスを追いかけるように放り込む。運動部所属の男子高校生さながらのいい食べっぷりである。

 自分の前のジェノベーゼを食べ切る頃には既に鉄板の上は、ほとんど空で最後の一切れを口に運ぶところだった。

「本当によく食べるんだな」

「そうかな?アタシよりも食べる人なんて結構いそうじゃない?」

「いや、女の子にしてはだいぶ食べる方じゃないか?お昼はサラダだけで済ませちゃう。みたいな子だって学校にいるだろう」

 うーん。そうなのかな。と首を撚る彼女。恐らく彼女の周りには運動部ばかりいるのだろう。

「怜は部活とか入ってないのか?」

「部活入ってたら、友達だってもっといるし、そもそも平日の昼間にぷらぷら出歩いてないって」

  ジトーと目を細めて睨みつけながら怜は言う。どうやら地雷を踏んでしまったようだ。

「またデリカシーの無い事訊いてしまったな」

「ほんとだよ!これでも友達いない事気にしてるんだからね!」

 睨む彼女は頬を膨らませて、メニュー表の一部を指す。

「デリカシー無い代としてパスタをご所望します」

 と言いながらトマトパスタの番号を注文書に書き、ベルを鳴らす。

「本当によく食べるんだな…」

 苦笑しながら、注文したティラミスを持ってきてもらおうと考えた。


「アタシ、お会計あんな額になったの初めて見たかも」

「まさか樋口一葉を出してお釣りでお札が返ってこないとはな…」

 結局、その後トマトパスタも平らげた彼女は、自分の食べていたティラミスに目を惹かれ更に追加注文した。その結果、安さが売りであるファミレスで、あまり見ないような値段まで行っていたのだった。

「うへ〜調子乗って食べすぎちゃった〜お腹いっぱいすぎ」

「もう少し座ってたらどうだ?」

「ううん、大丈夫大丈夫!てか次どこに行く?」

「あーそうだな…」

 立ち並ぶビルに切り取られた四角い青空を仰いで考えたが、何も思い浮かばなかった。そもそも女子高生が渋谷で何をしているのか全く検討もつかなかったからだ。

「うーん。あ!じゃあ映画とか見ない?ちょっと気になってるのがあってさ!」

 そう言って彼女はインスタの画面を差し出す。画面には映し出されているのは、最近売れている若手女優と俳優が抱き合っている映画ポスターの写真だった。CMでもよく見る恋愛マンガの実写化映画らしく写真の下には『発行部数200万部の恋愛ストーリー実写化!』『大ヒット上映中!』の宣伝文句が添えられていた。

「これ学校で流行ってるの!」

 はあ。と興味なさげに応じると、彼女はジトーとした目で此方を見つめる。

「もしかしてだが、これは行く流れか?」

「華の女子高生に映画誘われて、断る男が何処にいるの?」

「そういうもんなのか…?」

「そういうもんです」

 半分呆れながら彼女に押されて映画館へと向かった。


 鑑賞後。

「まー思ったよりは面白かったんじゃない?でも皆が言うように大号泣とかキュンとした〜みたいなのはあんまり無かったな」

 映画館を出て、スマホの画面を下から上にスクロールしながら彼女は言う。さっき見た映画の感想をチェックしているようだった。

 はっきり言って微妙な出来であったと思う。原作を知らないのでどのくらい再現が成されているのか分からないが、少なくともこの映画を見て原作を読もうとは思えない出来であったのは確かだ。

 冴えない文学部の女子高生と、学園一のイケメン王子様が小説をきっかけに恋に落ちる。というありきたりな設定で、二人の間で様々なトラブルが起こったが、最終的には紆余曲折を経て二人は結ばれるという毒にも薬にもならない普遍的なシナリオだった。

「でもな〜なんか俳優のゴリ押しがすごいなって思っちゃった。だって見てよ、原作の主人公はクール系なのに、あの俳優は優しめな感じだもん」

 そう言う彼女のスマホには原作漫画の主人公の顔が映っていた。やはり似ても似つかぬどころか、真反対の配役だと感じた。

「キャラと俳優のミスマッチだったな。親友役の方が雰囲気似ている」

「ほんっっとそれな!ずっとセリフと表情がちぐはぐに思っちゃったもん」

 どうやら彼女曰く、原作はもっと良い物らしい。

 ヒロインは文学少女なのもあって文豪の言葉や小説の一節を引用して話す事が多く、それにまるで理解の無い王子様がヒロインの言葉の意味を理解しようと小説を読み出し、彼女との距離が小説を通じて近づいていくのが、女子高生の間ではウケたみたいだった。

 しかし原作の評価された点をまるで無視して、小説の引用を省いてしまうどころか独自のエッセンスを加えた結果、ありきたりで陳腐で代わり映えのしない恋愛物語に成り下がってしまったようだった。

 そうして二人で交わした感想の着地点は「それなりに面白いけど人には勧めない」という映画と同じく毒にも薬にもならない物であった。

 渋谷の雑踏を掻き分けながら二人は並び歩く。気づけば陽も傾いていた。

 夕暮れと夜の境界線が空に黄色の帯となって現れており、アスファルトから立ち昇る蒸し暑さが夏の夜の訪れを表しているようだった。

 ふと視線を滑らせると鏡張りのビルに目が留まる。

 渋谷の街は鏡が少ない。真っ直ぐに伸びた道路にはカーブミラーなど必要ないからだ。それでも背後が気になってしまうのは職業病だろうか、それともルーティンに毒されているからか。鏡を見つけると視線がそちらへ向いてしまう。

 その時。二人の横を一台の車が通りがかる。反射的にサイドミラーに視線を向けるとどうしてか、ほんの一瞬鏡越しに隣の彼女と目が合った気がした。

「ん?どしたー?」

 無意識に身を強張らせていた自分に気づいた怜が此方を見上げながら訊く。

「いや、なんでもない」

 彼女に微笑みかけて言い、全身の筋肉を弛緩しながら足を再び動かし出す。

 ――どうして目が合ったのだろうか。

偶然にしては妙だった。一瞬、視線が交わったのではない。あの瞬間、確かに互いの瞳に互いの姿を映し出していた。

 しかし違和感の正体は浮かび上がる事は無かった。なにかの思い違いだったのだろう。そう結論付けて記憶の片隅へと思考を追いやった。

 ――それでも違和感は胸のしこりとなって残り続けたのだが。

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