第1-1話 『殺しのターゲットは女子高生』
――自分たちは無限に続く血塗られた螺旋に囚われている。
生と死を繰り返す無意味な連鎖は止まらない。
延々と続く真っ赤な螺旋階段を登りきった先には一体、何が待っているのだろうか。煌々と光り輝く星々か、それとも漆黒の天井が広がっているのか。
その答えを知る事はきっと無いのだろう。
何故なら――。
「――お客さん、お客さん。聞こえてますか?もうすぐで着きますけど、次の交差点を右でしたよね?」
「ああ、失礼。そうです。次、右に曲がってすぐです」
タクシーの運転手にそう訊かれ、思考を断ち切って答える。
ハンドルを握る初老の男性は、有難うございます。と応じると前を再び向き、なかなか変わらない信号機のライトを見つめていた。
半月以上もかかった仕事を終え、ぼんやりとそんな事を考えていた。
今回のターゲットは銀座に店を構えるキャバクラの従業員四名だった。
嬢三名と店主一名らが違法薬物の使用に関与した証拠を処分し、当人らも始末してほしい。というのがクライアントからの依頼である。
一見するとなんて事の無い普遍的な依頼だったが、クライアントの希望により、追加で嬢二名依頼され、想定の十倍もの時間を要する事になってしまった。
そもそも通常、殺しの依頼が殺し屋本人に回ってきてから、業務完了までおよそ三日もかからない。その前のクライアントとの交渉やターゲットについての情報調達は専門とする業者が担当しており、殺し屋当人に話が回ってくる頃には殺すだけの状態までお膳立てされている事が大半である。
当然、今回も身辺調査は済んでおり、後は淡々と始末していくだけだった。
事件に関与した店主と嬢のうちの一人はお忍びデートのドライブ中に事故死という形に偽装し始末。二人目の嬢は水難事故に巻き込まれたという形で始末し、残された最後の一人はつい先程、自宅マンションにて首吊り自殺という形に細工して始末し、無事に依頼を完遂した。
どれも難なく始末する事が出来たが、結果として気付けば半月以上もこの案件に携わっていたのであった。
――次の依頼は楽な物だと助かるのだが…。
残念ながら殺し屋になってから、この願いが一度も叶った事はない。
あの利益重視の部長の事だ。次も必ず面倒な依頼を引き請けて来るに違いない。そう考えるだけで降り積もった疲れが重みを増すようだった。
殺し屋になって十年。気苦労は絶えなかった。
都内の電車は複雑に入り組んでいて未だになれない。JRで精一杯なのに、銀座線やら丸ノ内線、有楽町線と種類が多くて混乱してしまう。そのために予め移動するルートは検索しておくのがルーティンの一つであった。
その点、山手線はぐるりと一周するだけのシンプルな構造で、本数も多いため万が一間違えてしまってもリカバリーが効きやすく、仕事の現場が山手線沿いであるだけで幾分が気持ちに余裕が出る。
今日の現場は渋谷。改装工事が頻繁に行われていて、迷宮のように複雑で度々経路が変わるために可能な限りあまり利用したくない駅の一つだが、目的のハチ公口は山手線のホームから真っ直ぐ歩けば出られるので、指令のメールを見た時から、落ち着いて仕事に取り組めると安堵していた。
殺しの仕事は基本的に上層部からメールにて指示される。組織の正社員として雇用されている身なので、依頼主とのやり取りは一切無く、指定された日時に、指定された場所で、指定された方法を用いてターゲットを始末する。
後処理は専門の下請け業者が担当してくれるので、任務完了と同時に現場から立ち去るだけ。
手取り七十万で、週休二日制、福利厚生充実、ただ人を殺すだけのシンプルな仕事が自分の仕事だった。
殺し以外の業務といっても報告書作成ぐらいで、他業界で言う「スキルの身につかない職場」に該当してしまうが、殺しだけに集中出来るというのは絶対に失敗出来ない仕事な以上、寧ろメリットだとすら思う。
自分のような企業所属でない殺し屋、所謂フリーランスの殺し屋も一定数、この業界には存在している。
依頼主と直接やり取りする必要があるため、工数がかかって煩わしいのと、危険性の高い仕事に巻き込まれたり、依頼料を踏み倒されたりする可能性があるが、報酬はそのまま懐に入るのでスキルを身に付けた殺し屋は独り立ちする事がままあるらしい。
現に自分も「スキルも良いし経験もしっかり積んでいるんだし、それに儲かるし君もいつかフリーランスになりなよ。なんならウチで仕事を発注してあげようか?」と、かつての同業者から誘われた事もあった。
しかしフリーランスにならずに今も同じ会社に勤め続けている。
人間関係やコミュニケーションを苦手する自分にとって、殺し以外の業務が増えた結果、仕事のクオリティを下げてしまうかもしれない。その可能性が微塵でもあるだけでハードルが高すぎた。
そうして入社してから十年。すっかり社内でも中堅エースとなったが、今でも出来る事は殺しだけだった。後、報告書の「だ・である」調の統一ぐらい。
その分、仕事のクオリティは磨きに磨かれ、ここ五年以上はミス一つなく仕事をこなしていた。なんなら現場を荒らす事なく終わらせるため、清掃業者も助かっているようで、上層部からの評価も高かった。お陰様で世間一般的の平均年収の四倍以上貰えていた。まあ十年目なのと業種を鑑みると少し物足りなさを感じてしまうが。
スマホの液晶画面に映し出された文字を目で追い、情報を入手する。
昨夜届いたメールの内容は『七月二十一日。写真の帰宅途中の女子高生を渋谷駅から追い、自宅付近で始末せよ』という物だった。
添付ファイルの写真には毛先がふわりと巻かれたセミロングの茶髪に、薄手の白いパーカーの上にブレザーを合わせ、小さめのリュックを背負った、まさにイマドキの女子高生が駅のホームで青いスマホを弄る姿が映っていた。
氏名:浅井怜 年齢:17歳 都内の私立高校に通う女子高生。
それが今回のターゲットだった。
指令を読んだ時、何故こんな若い女の子が?と疑問符は浮かんだ。
しかし上層部が請けると決めた依頼だ。きっとこの子も殺されるだけの理由があるのだろう。何処かの令嬢かもしれないし、何か秘密を知ってしまったのかもしれない。そして殺しの理由なんぞ、自分とっては些細な事情でしかない。
自分はこの女子高生を静かにそして確かに始末するだけ。込み入った情報を知って仕事のパフォーマンスに悪影響が及んでしまったら、自分のキャリアにも傷が付く。上昇志向がある訳ではないが、現状を保ちたい自分にとって失敗は許されない。
ここ数日の気温は三十五度超え、暑さのあまり蝉の鳴き声すらしない渋谷駅。
屋根の隙間から差し込む夏の日差しにジリジリと焼かれながら、電車を待つ振りをしてターゲットを待った。今日は背広着なくて正解だったなと、手庇を作り薄い隙間から覗く青空を見上げながら思う。
オフィスカジュアルが推奨され始めた弊社だが、自分は変わらずスーツで仕事に向かう事にしている。
スーツという服は皆が思うより匿名性が高い。一般的な物であればせいぜい色ぐらいしか差別点が無く、万が一他人に自分を目撃されたとしても『スーツを着た男性』程度の情報しか与えない。それにスーツを着た男性を周囲は一般的なサラリーマンと認識する。黒いカバンと革靴を履いて電車を待つ男性を誰がターゲットを待つ殺し屋だと思うだろうか。
目につかない、記憶に残らない、人目についてはならないこの仕事において、ある意味透明人間になれるのはメリットでしかなかった。
それに着慣れた格好でいれば常に同等のパフォーマンスを発揮出来る。どんな真夏日であってもスーツでいる一番の理由はそれなのだが。
待つ事数分。三号車の左から二番目のドア付近に注意を向ける。指令メールによると彼女が良く乗り降りするドアがこの辺りらしい。念の為、もう一度スマホで彼女の写真だけ目に入れる。人探しには欠かせないルーティンだ。
暫くして、ホームに滑り込んだ電車から人が吐き出される。日本で二番目に乗降客数が多い駅である事を示すかのように、あっという間にホームは人で満たされた。
仕事柄、人を見つけ出すのにはそれなりの自信がある自分と言えど、女子高生は皆同じ様に見えてしまう。それに昼間にも関わらずホームのそこら中に女子高生の姿があり、紛らわしくて仕方なかった。
目を凝らして見分けようとするものの、一向にターゲットの姿は見つからなかった。横顔しか写っていない写真しか此方には情報が無い。今度、報告書にも「顔が判別出来る様な写真を添付してください」と書き加えておこうと思っていると――。
「うわぁ!」
背中に小さな衝撃。
「ご、ごめんなさい!アタシ、ずっとスマホ見ていて」
「ああ、大丈夫だ。自分の方こそぼーっとして―」
と振り返り、声の主を見て言葉は途切れた。
そこには毛先をふわりと巻いた茶髪に、白い薄手のパーカー、そして右手に青いスマホを持った女子高生――今回のターゲットが申し訳なさそうに視線を上下に揺らしながら佇んでいたからだ。
そして揺れる彼女の視線の先には、
「あ、スマホ割れちゃってる…」
液晶がバキバキに砕けた電子端末が転がっていたのだった。
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