暗殺対象が女子高生だなんて聞いてない

えびくらげ

第1-0話 プロローグ 『殺し屋もままならない事だってある。』

 朝は必ずコーヒーから始まる。春夏秋冬、晴れ曇り雨雪、平日休日祝日年末年始問わず、いかなる場合でもコーヒー豆を挽く所から始まる。

 バッターボックスで必ずキャップのツバを触ってからバットを握るプロ野球選手がいるように。ハーフタイムに必ずシャワーを浴びるサッカー日本代表もいるように。ライブ前には右足から靴を履くトップアイドルがいるように。その道の一流は必ず決まった行動、所謂ルーティンをそれぞれ持っている。

 その例外に漏れず、最大限のパフォーマンスを常に引き出せるように日常の至るところにルーティンを配置し、それを遵守する事で仕事を完璧にこなしてきた。

 例えば、朝起きたらまずシャワーを浴びる。寝巻きは下から脱ぐ。シャワーの温度は四十度。髪から洗い、体を洗う時は右足から。タオルで水滴を拭う時は左腕から。朝食は必ずトースト。パンに塗るのは蜂蜜。コーヒーは挽きたてのブラックを飲む。歯は右上の奥歯から磨く。髭は左顎から剃る。洗い物はマグカップから濯ぐ。シャツは右袖から通す。靴下は左足から履く。革靴は右足から履く。鍵を閉めたら二回ドアを引く。鍵は左ポケットに入れる。

 以上、起床から出勤までの抜粋。他にもルーティンは数多く存在しているが、これ以上挙げるとキリが無い上に、誰の興味も得られないと思うので割愛する。

 ここまで日々の生活に散りばめられていると、不自由が生じてしまうのでは。と思う人も多いだろう。確かに自分の生活の質を高めるために設定したはずのルールに縛られ、息苦しさを感じ、生活の質が下がるようなら本末転倒である。

 しかし、自分でも把握しきれない程のルーティンを習慣的にこなし、日常のいかなる場面でも細心の注意を払えるような人間でないと、この仕事は務まらなかった。

 全身の神経を常に張り巡らせ、思考を絶え間なく回転させ、最善の行動を選択し続ける綱渡りのような日々。一度でも踏み外したら、底の見えぬ暗闇に真っ逆さま。勿論、谷底に吸い込まれた人間に光を拝む機会など二度と無い。

 一度の失敗が文字通り命取りになる、その緊張感と谷底への恐怖すら飲み下し、誰もが目を見張るスピードで向こう岸へ辿り着く事が求められているのだ。


『私だ。無事にターゲットの処理完了。自殺に見えるよう細工済みだ』

 麻縄に吊るされた男の前で、いつものように報告する。

 職業――殺し屋。金を受け取る代わりに人を殺す。依頼人の指示とあれば、どんな手を尽くしても命を奪う存在。死の商人である我々にとって、人を一人殺す事なんて造作もない事だ。


 しかし、どんな事にも、ままならない事だってある。

「―それにしても今になってはこういう薄いパンケーキって珍しくないか?今の流行りってふわとろみたいなパンケーキじゃないのか?」

「ふ、ふわとろパンケーキ〜!?」

「なんか変な事言ったか?」

「ううん?全然?ぷっ!ぷふふふ!」

 目の前で爆笑する、ターゲットの女子高生一人すら殺せなかったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る