第34話:素振り1
万引き犯から店員に出世したお嬢様風の少女。
名はノエール・シャンバリーゼ・エレクタムと言うらしい。
本人はフルネームで呼ばれることを希望していたが、覚えられるわけがない、と断った。
ノエールには「ポーション1個分くらいは働いていけ」とだけ伝えてあるが、銅貨3枚程度なら数時間あれば取り返せるだろう。
それから先の判断は彼女に委ねることにした。
さしずめ店員(仮)といったところだろうか。
だからというわけではないが、『勇者』の件は勿論、俺たちが元殺し屋であることも伝えていない。
特に隠しているわけではないので、機会があれば話そうと思っている。
長い夜が明けて、赤い太陽が顔を出し始める。
俺はいつもの時間にベッドから起き出すと、窓を開けた。
早朝の澄み切った空気が部屋を掃除していく。
朝焼けを眺めながら大きく深呼吸をすると、俺の胸中に渦巻いていた不安も少しばかりほぐれたようだ。
昨晩ノーエルを勧誘した際は「気にしないさ」などと格好つけていたが、実は従業員を増やせるほどの余裕はなかった。
俺は全従業員に対して、10日間勤務してもらった後、その間に道具屋で発生した利益1割を給料として渡すことにしている。
これは最初に決めたバーヤンへの依頼料と同じ計算式で、一昨日、彼とローゼリアには銀貨90枚程を支払っていた。
2周目の10日間、売り上げは銀貨換算で約900枚分。
ノエールを迎え入れた今、バーヤンの依頼料を含めて4割が給料として羽ばたいて行くことになる。
今までの4倍と聞けば、かなり大きな額に感じるだろう。
そして、倍増する経費は他にもある。
食費や生活用品費だ。
自慢じゃないが俺は給料のみならず、休日すら欲しいと思ったことはない。
この身体の全てを道具屋に捧げる覚悟だが、さすがに食事を摂らなければ元も子もなくなってしまう。
そうなってくると、やはり4人分の食費や生活用品費が必要で、このままではギリギリの経営になることが予想された。
だからこそ昨日は眠れなかった。
しかし、そんな弱音を吐いているわけにもいかない。
とりあえずはいつもの事ながら、商品数の増量と常連客の確保を目標に、あわよくば新商品も増やせたら、と思っている。
あとは、ノエールの可愛らしさがどこまで通用するか、だ。
ローゼリアは依然として男性客を虜にしているが、いかんせん年齢が若干高めである為、初々しさを感じられない。
そう、道具屋に足りないのは初々しさや愛らしさだ。
財布の紐が緩むのはそんな庇護欲を掻き立てられた時だと俺は思っている。
現在、ローゼリアが煽っているのはおそらく信仰欲と性欲だ。
(……いかんな。俺はそんな下心で商売したいわけじゃない。一体いつから女性をそんな風に判断するようになってしまったんだ……)
煩悩から逃れるように窓際を後にする。
その際、視界の端でキラリと光る何かが見えた。
硬貨でも落ちているのか、と覗き込んで見れば、ノエールが道具屋の脇に転がっていた角材を上下に振るっていた。
素振りだ。
朝の鍛錬といったところだろう。
そんな姿に心を洗われた俺は静まり返る道具屋を出た。
「朝から熱心なものだな」
「あら、セノン様。おはようございます」
突然の声掛けに、少し驚いた様子のノエール。
素振りをやめ、スカートを持ち上げて挨拶をしてくれた。
ローゼリアが余らせていたらしい緑色のスカートは、本来ひざ丈のものらしいが、身長差からロングスカートのようになっている。
ノエールの頬を伝う汗はまるで新緑におりた朝露のようだった。
素振りをしていたのは数分ではないらしい。
「昨晩は眠れたか」
「ええ、充分な睡眠を取らせていただきました」
笑顔を作るノエール。
嘘を言っているな、とすぐに分かった。
(慣れない環境だから仕方ない、か?)
2階の住居スペースは「お前、潔癖症なんだな」と言われるほど毎日掃除しており、昨晩案内した真ん中の部屋も抜かりはなかったはずだ。
しかし、いくら綺麗にした所で名家のお嬢様には庶民の寝具など肌に合わないのかもしれなかった。
「何かあれば言ってくれ。できることなら何でもする」
「……ええ。ここまでしていただいて感謝してもしきれませんわ。いち早くこの身を使って代金と恩をお返しますから」
「そう焦らなくてもいい。常に人手不足だからな」
「ですが……わたくしにあまり猶予はありませんの。もっと強くなって……それで……」
ノエールは角材を強く握り締めた。
何かに使えるかも、と取っておいた角材には汗が滲んでいる。
言葉通り、強い決意の裏に焦燥感に蝕まれている、そんな表情をしていた。
(強く、か)
誰かを討つ為なのか、誰かを守る為なのか。
それは俺には分からないし、深入りしようとも思わない。
ただ、少しばかりの戦闘経験がある店主として、従業員の役に立ちたいと思った。
「素振り、少し見ていってもいいか?」
「……え?」
「軸のブレとか、タイミングとか気付けることがあるかもしれない。他の皆が起きてくるまで暇なんだ」
そう言うとノエールは「では、お願い致します」と深く頭を下げて素振りを再開した。
俺はなんだか弟子を取った気分になる。
ブン、ブン、と鈍い音が等間隔に響く。
ノエールの素振りはとても美しかった。
慌ただしくなく気品を感じるような足使い、柔らかな振り上げ動作からの鋭い一撃。
思わず声が出てしまいそうになる。
演武とはこういうものを言うのだな、と思った。
俺は柱に寄りかかってしばらく眺めていた。
貴族の生活ほど縁遠いものはないのだろうが、ここで紅茶を嗜めば最高だろうな、と想像する。
どこからか小鳥が数匹やってくる。
ノエールが長めに息を吐いたところで、反動をつけて歩き出した。
「少し口出ししてもいいか?」
「え? は、はい。構いませんわ」
「洗練された型だったと思うが、魔力は使わないのか?」
俺の言葉に首を傾げるノエール。
何をおかしなことを言っているんだ、と責められそうな雰囲気だったので少しだけ焦る。
戦闘に関わるアドバイスなど滅多にしたことがない。
若干の不安を抱えながらも、角材の山から短めの1本を手に取って、ノエールの横に並んだ。
その際、近付きすぎたのか遠慮がちに距離を置かれてしまう。
「ただ棒を振るうだけじゃ筋力と質量に応じたダメージしか与えられない。だが、魔力を活かせばそれ以上が見込めるだろ」
「えっと……? おっしゃっている意味が分かりませんわ。スキルを使えということですの?」
その返答から普段魔力を活用していないことが推測できた。
あまり一般的ではないのか、と不思議に思う。
「スキルはいわば道具だろ。高くジャンプする時の予備動作みたいに、普通に魔力を使うんだ」
と説明するが、手応えは全く得られない。
自身の説明力の低さが嫌になった。
このまま話していても能力不足を実感させられるだけだ、と憂鬱になった俺は「少し見ていてくれ」と言ってから、角材で素振りを始めた。
「普通に振るのはこうだろ? でも──」
今度は魔力を全身に漲らせてから振り下ろす。
心臓が血管を通して全身に血液を送るように、魔力を余すことなく行き渡らせ、活性化させる。
ヒュン、と風が吹いた。
分かったか、と顔を向けるも相変わらずのキョトン顔。
遠慮しすぎたかと反省して、今度は少しばかり本腰を入れて角材を振るった。
『魔王の血』とやらが作用しているせいか、想像を遥かに上回る魔力が発揮されてしまい、我ながら驚く。
バキッと音が鳴った。
角材が俺の素振りに耐えられずに折れてしまったようだ。
だが、これで伝わっただろう。
と思い、再びノエールを見るが表情は変わっていなかった。
何をしているんだろう、と大きな瞳が俺を更に責め立ててくるように感じる。
「何か言ってくれ。その、魔力はこうやって使うんだ。分かるだろ?」
「はい……? セノン様は【変曲の目】のスキルをお持ちなのですね。珍しいスキルである上に、詠唱破棄で使用できるのは素晴らしいことですが、わたくしは角材を折りたいわけではありませんわ」
胸に手を当てて訴えかけてくるノエール。
俺は頭を抱えたくなった。
どうやら魔眼スキル【歪曲】の下位互換、つまり進化前の【変曲の目】を使ったと勘違いされたらしい。
おそらく素振りは見えていなかったのだろう。
俺はただ、いつか使うかもしれなかった角材を失っただけだ。
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