第32話:万引き犯、隠された素顔
『ウォンシン商会』のカサブランカとの商談と同日。
時刻は夜のはじめ頃、店内にお客さんはいない。
道具屋の商品は8割ほど売れていて、本日の売上は銀貨80枚程になりそうだった。
イラックは暇であることを証明するように、後頭部で手を組み、天を仰ぎながら、丸椅子をゆりかごのようにぐらぐらさせていた。
「なあ……ローゼリアとはどこまで行ったんだ? 恋人か? それとも夫婦か?」
「……? ローゼリアは大事な従業員、いや相棒だ」
「な……もしかしてお前ら、恋愛には発展してない系か?」
「俺たちはそういう関係じゃない」
「うっそだろ……8年以上も一緒にいてか?」
「ああ」
「まじかよ……まあ、オレは道具屋に拾ってもらったわけだけど、お前らの邪魔をする気はねえから。安心してくれ」
何を安心するんだ、と言いかけてやめた。
わけの分からない話には踏み込みすぎない方がいい。
お前こそ浮ついた話は無いのか、と一瞬言いかけたが、面倒になってやめた。
こんな風に、イラックとはかれこれ20分以上、無駄なやり取りを交わしていた。
(まあ、確かに暇だな)
元々夜は来客が少ない上に、こういう時に限って謀ったように来ないものだ。
本当にやることがなく、毎日の楽しみである帳簿の記入も済んでいた。
カチ、カチ、と振り子時計の音だけが響く。
王宮騎士団の盾から丸みを取ったような形の振り子時計は、暇つぶしに王都へ行ったローゼリアが買ってきたものだ。
回路には魔石が組み込まれているらしく、従来の魔法陣に引っ掛かったマナ数量で昼か夜か判断するものより、正確な時刻を知ることが出来るようだ。
転移者がやって来てから、こういった便利道具は日に日に増えている。
随分と高級そうだったが「『美人さんだから』ってサービスして貰っちゃった」とローゼリアは嬉しそうに言っていた。
俺やイラックではまずあり得ない話だったので、これから買い出しは全部ローゼリアに任せようか、という話まで出た。
しかし、「アタシのカワイさは値引きの為にあるわけじゃないわ」と怒られたので実現せず。
加えて「お店の方に失礼よ」と追撃を喰らい、俺たちは床の木目を数えるしかなくなるのだった。
「なあ……ひとつ聞いてもいいか」
今までより長い沈黙が明けてイラックが口を開く。
やけに真面目な顔をしていた。
「さっきから許可なく聞いてきてるだろ」
「……あのさ、殺し屋にはもう戻る気は無いんだよな?」
「ああ」
「それは何があっても、なのか?」
やけにしつこいな、と顔をしかめる。
それに、ひとつ以上聞いてるじゃないか、とも思った。
「何があっても戻らない。あんな世界はもうコリゴリだ」
「……そうだな」
「俺は道具屋に光を見出したんだ」
「光?」
「ああ。人を殺して恨まれ、恐れられるよりも、商品と接客を提供し、お礼を言われる方が良いに決まってる。それに……多分ローゼリアも同じことを感じているはずだ」
「……そうだよな。すまねえな、変なこと聞いて」
イラックは申し訳無さそうな顔をして、頭を掻いた。
いつも明るい彼がそんな表情をするのは珍しい。
俺も影響されて、物憂げな気持ちになってくる。
「いや、俺も何も言わずに出ていってすまなかったな」
「いいんだ。まあ、もう少し早く教えてくれたら良かったんだけど、しょうがないよな」
「夢はもう叶えたのか?」
「まあな……それよりお前、ホント変わったよな。今日だけで現役時代より会話してるぜ、たぶん」
「それはローゼリアにも言われた」
俺は相当な無口だったらしい。
あまり意識したことは無いが、ここまで変わることが出来たのは、元道具屋の店主デルゲイから始まった他者との交流のおかげだろう。
そこでふと、バーヤンに呼ばれていたことを思い出した。
「まあ、いつでも構いませんよ」と言われていたが、暇だったので向おうとしたのだが、その前に扉が開いた。
とても静かに、ゆっくりと扉は開く。
振り子時計が奏でる一定のリズムに、床が軋む音が不協和音のように居心地悪く響いた。
妙に気になってお客さんを凝視してみる。
ボロ布のようなフードを目深に被り、辺りをキョロキョロと見渡すと、ポーション棚に取り付いた。
子供のような背丈をしている上に、背中が丸まっているせいでかなり小さく見える。
加齢や体の不自由というよりは疲弊しているような印象だ。
お腹を押さえているところを見るに空腹なのかもしれない。
「おい……何か怪しくねえか」
「……いいか? 商売というのは信頼から始まるんだ」
耳打ちしてくるイラックに聞き齧った商売知識で返す。
俺も怪しいとは思っていたが、だからとって「お前、怪しいぞ」と声をかけるわけにはいかない。
来客は売れ残ったゴブリン味のポーションを、震える手で、手に取っては棚に戻してを繰り返している。
バーヤン初の失敗作だ。
単純に購入を悩んでいるのか、はたまた別の理由があるのか。
と思っていると、あろうことかゴブリン味のポーションを、ボロ布のようなローブの中に忍ばせた。
「おい、アイツ、やったぞ!」
「……ああ、分かってる。だが店からは出てない」
まだ黒に限りなく近いグレーだ。
もしかしたら、物を運ぶ時はわざわざローブの中にしまい込む人なのかもしれない。
「おい……! オレは行くぞ……!」
「待て、待て……盗んだ!! 行け!!」
お客さん、いや万引き犯が敷居を跨いだ瞬間、俺とイラックはカウンターを飛び越えた。
「「この野郎!!」」と鬼の形相で絶叫する成人男性2人、ようやく後ろを振り返った万引き犯は脱兎の如く逃げ出した。
(俺の店で万引きは許さんぞ……!)
万引き犯は路地裏に入ろうとしていた。
今すぐにでも【歪曲】を使って首を捻じ曲げてやろうと思ったが、さすがに踏み止まる。
イラックも石なんかを投げつければ、動く的でも難なく仕留められるのだろうが、俺の後ろを走るばかりである。
「イラック、そのまま追いかけろ。俺は上から行く」
「よっしゃあ! 挟み撃ちだな!」
イラックはなぜかニヤリと笑ってから「こういうの『映画』で見たことあるんだ」と言う。
異世界の話に興味はなかったので無視をして、俺は木板を並べただけの屋根に飛び乗った。
屋根を踏み抜いてしまわないように注意しながら跳躍を繰り返していると、やがて万引き犯を追い越した。
前方を見れば道がT字に分かれていた為、速度を落としながら万引き犯の動向を観察。
右に曲がっていったのを確認して、その頭上を飛び越えながら暗い路地裏に着地した。
「──ッ!」
突然目の前にやってきた俺に驚く万引き犯。
慌てて方向転換するが、もう遅い。
その先には「へへっ追い詰めたぜ!」と舌なめずりをして得意げに笑うイラック。
万引きをするにしては相手が悪すぎたな、と思った。
この万引き犯が対峙しているのは、殺し屋界隈でも「最凶」と謳われる組織で猛威を振るっていた男たちなのだから。
どう悪足掻きをしてくれるのか、と眺めていると万引き犯は、ローブからナイフのように尖った石を取り出した。
「おいおい、やめとけって」とため息を吐くイラックに同意していた俺だったが、万引き犯が次に取った行動に慌てる。
石の鋭利な部分を自らの喉元に突き刺そうとしていたのだ。
自暴自棄による自殺。
「くそ」と吐き捨てながら、俺は全力で駆け出す。
万引き犯を背後から抱きしめるように接近。
暗い路地裏の土道に血が滴り落ちた。
その出所は俺の右手からだ。
石のくせに案外ものが切れるらしい。
「……!? あ、貴方……な、なにを!?」
と驚く万引き犯のフードを取る。
おや、と思った。
イラックも同じように驚いただろう。
万引き犯の正体は可愛らしい女の子だった。
蜂蜜のような透明感のある金髪を耳の上で2つに結び、長い睫毛を乗せた碧眼が特徴的な、幼さの残る顔立ち。
俺は人形みたいだ、と感じた。
「くっ……殺しなさい! エレクタム家に泥を塗った愚かな
少女は可愛らしい顔を台無しにして叫ぶ。
エレクタム家など聞いたこともなかったし、興味もなかったが、とりあえず商品を返してくれ、と思った。
手のひらに刺さった石を抜き取り、捨てる。
綺麗な方の手で少女の腕を掴んだ。
「道具屋に来い」
「……するんでしょう」
「なんだと?」
「私に乱暴するんでしょう? 猥褻絵画みたいに!」
わけの分からないことを言い出したので、「万引き犯ががちゃがちゃ抜かすな」と言うと大人しくなった。
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