第24話:ヤバめの客
木箱を両手に持って道具屋に戻る。
俺の気分はウハウハだった。
レイヴンとの取引において懸念点であった移動の問題が解決した。
ガラクタに関してもローゼリアがいる限り、贈り物は届く上に資金が集まれば買取事業も始めるつもりだ。
また、昨晩のオーク軍掃討で、薬草栽培に関する心の中のしこりが取れた。
菜園は歩幅でいうと10歩くらいの大きさなのだが、農地拡大も考えてみてもいいかもしれない。
道具屋は更なる成長を遂げるだろう。
(もっとだ……もっともっと大きく育ててやる……!)
道具屋に対する愛着は日に日に増すばかりだ。
独身26歳にして、我が子を持った親の気持ちが分かるようになってきた。
上機嫌で歩いていると、愛すべき三角屋根が見えてくる。
扉にかかっている「閉店」の看板プレート、まだ夕方前にも関わらず、といういつもの光景だ。
だが明日からはそうも言ってられなくなるかもしれない。
妙なやる気に満ちた俺は扉を開けた。
「あ! ちょっと、待ってたわよ!」
敷居を跨いで早々、弓矢のような声に射抜かれる。
ローゼリアは道具屋の左側にある本棚スペースの方を指差していた。
見れば、黒いフードを被った男が本を開いている。
「ほう……下巻まで扱っているのか……ッ!? これは禁忌の……!?!?」
禁忌でもなんでもない、ただの料理本を広げて男は大きな舌で自身の唇を2回、3回とベロベロ舐め回した。
(何だコイツ)
ローゼリアが「汚い」と嘆くのももっともだ。
この男、怪しげな雰囲気を漂わせているが、本に描かれた料理を見てヨダレを垂らしているだけである。
しばらくその醜態をドン引きしながら眺めていると、ようやくこちらの視線に気が付いたのか、ゆっくりと俺の方を向いた。
「クックック……ようやく店主のおでましか……いや、
片方の口角だけを上げて笑う不気味な男。
コイツはヤバいぞ、とローゼリアの方を見ると、顔を両手で覆っ目を背けていた。
追い出そうにも話しかけなければ始まらないので、カウンターに戻って不気味な男と相対する。
「何か買うのか?」
「……ああ、『ポーションをひとつ、蓋はキツく締めてくれ』」
と言うのでポーションが並んだ店中央の棚を指差そうとするが、ローゼリアに「そうじゃないみたいなの」と止められた。
「どういうことだ?」
「ポーションが欲しいわけじゃないみたいなの。アタシも案内したんだけど『売女じゃ分からねえか』って! ヒドいわよね? アタシ、キスすらまだなのに!」
それはそれで静かにしておいてくれ、と余計に困惑した。
とにかく不気味な男の目的はポーションではないらしい。
先程の言葉は何かの隠語か、はたまた謎解きなのか、と頭を悩ませていると、不気味な男がカウンターに肘をついてニヤリと笑った。
「【分身】をやったのはアンタなんだろ……ククッ……隠しても無駄だぜ……この暗黒眼の前ではな」
俺は口を「ほ」の字に開けた。
嫌な予感ほど当たるし、起きてほしくないことほどやってくるものだ。
俺の噂が広まっているというのは事実だった。
しかもこんな不審者に伝わっているのだから世も末だ。
世間の噂好き共の首を刎ねてやろうか、と一瞬考える。
それからタツジの手配書を持ってきた男が、変なポーションの頼み方をしていたことも思い出した。
不気味な男はそれを合言葉だと勘違いしたのかもしれない。
(ということはあの男、喋りやがったのか……)
再び湧き上がった怒りを沈めて、カウンターの外に出た。
「少し大人しくしていろ」
「ククク……この暗黒眼の疼きを止めら──」
「ちょっと! 何も殴ることないんじゃないの!」
「殺してはない。ローゼリア、扉の鍵を閉めてくれ」
俺は不気味な男を抱えて、左側の本棚の下から2番目にある黒い本を足で押した。
ゴゴゴ、と音を立てて隠し扉が現れる。
後ろでローゼリアが息を呑むのが分かった。
☆ ☆ ☆
「それで依頼は?」
ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎。
黒い影が3つ。
黒装束に着替えた俺とローゼリア、いや、ローズ、そして不気味な男。
どちらにも事情は説明してある。
ローズは驚きつつも肯定的な反応、不気味な男は目を輝かせていた。
「クク……そう焦るな……まずは名乗っておこうか……我の名はゲーナス。豊穣の神に反旗を翻し、現在は素性を隠して……そうだな、旅人たちが邂逅する憩いの場で、祝杯と水の羽衣を片手に孤軍奮闘している」
「は?」
「……多分、農家を辞めて、今は酒場で雑用をやっている、ということだと思う」
「え、分かったの?」
ゲーナスの面倒で不可解で非効率的な言い回しを完璧に理解できる自分が恨めしい。
そして、胸の奥の奥がチクリと痛んだ。
「あークローバーもそういうの好きだったもんね」と懐かしそうに呟くローズ。
その追撃に吐きそうになり、今すぐ消え去りたくなる。
黒いナイフと黒装束を見やって、男の子にはそういう時期があるものだぞ、と諭そうとしたが、かえって墓穴を掘りそうなので抑えた。
「……それで、どうやってここを知った?」
「ああ……同志よ、『未来の守り人』という神風の如く躍進する旅人たちを耳にしたことはあるだろう。忌々しいオーク異変種が討伐された時、彼らが各地で嘯いていたのだ。『僕たちはやっていない。郊外の町の道具屋さんの手柄だ』と」
その話は本人から聞いた。
わざわざ謝罪にまで来て、それ以降は常連客としてほぼ毎日ポーションを買っていってくれている。
というか「同志」と呼ぶのはやめてくれ、と思った。
俺はその病気をとっくに治している。
「その時、我が暗黒眼が邪神からの教えを賜ったのだ。『陰謀が働いている』とな。それから──」
「おい、簡潔に話してくれ。違和感を感じたのは分かった」
「あ、ああ……オーク異変種はまるでその断罪されるが如く、雁首を断絶されていたと旅人たちの憩いの場聞いた。そして……【分身】を授かりし異界からの放浪者も同じ……クク……ここまで言えば分かるだろう?」
「なるほど」
それなりの正攻法で俺まで辿り着いたらしい。
てっきり娘を誘拐された男が吹聴していたのかと思っていたが、どちらかと言えば犯人は『未来の守り人』の方だったようだ。
「よく分からないけど、アタシたちは何をすればいいの?」
「君たちには、とあるものを探してほしくてね……そう、『黒猫』だ」
ゲーナスが胸ポケットから古びた紙切れを取り出す。
それは肖像画のようで、よく見てみれば猫が描かれていた。
「ホントに猫ちゃんだ」
「ホントに猫を探してほしいのか?」
『黒猫』というのは何かの隠語か肩書だと思っていたが、肖像画は碧眼の子猫を写し出している。
驚いた俺たちの質問にゲーナスは初めて恥ずかしそうにして、目をギュッと瞑ってから、思い切り頭を下げた。
ゲーナスの額と机が激しくぶつかり、蝋燭が一瞬、宙に浮いた。
「お願いします!! トリグエルは……その子猫は僕の大事な家族なんです!! でも僕はお金もないし、強くもない……だから頼れるのはあなた方だけなんです!!」
その豹変ぶりに俺とローゼリアは顔を見合わせる。
驚いたものの、嫌な感じはしない。
伝わってくるのは彼の切実な想いだ。
「その猫ちゃんがどこにいるかは分かってるの?」
「……ッ!? 依頼を受けてくださるんですか!!」
「え? まあ……いいわよね?」
猫探しという子供でも出来る依頼に拍子抜けしていたが、ゲーナスは世界の終わりとでも言いたげな顔をしている。
これも人助けだと思い、俺は頷いた。
「いいってさ」
「ああ……貴女は
ローゼリアはゲーナスを指差して「さっきは『売女』って言われたんだけど?」と肩をすくめていた。
(まあ、確かに邪神信者なのか女神信者なのか分からないな。設定がブレブレ。マイナス点だ)
俺は元患者として冷静に分析を終える。
「それで、もう一度聞くが居場所の見当はついてないんだな?」
「あ、いえ、トリグエルは王都を旧街道沿いに進んだ先のダンジョン【死霊の洞窟】にいるみたいです。かなり危険な場所らしいんですが、オーク異変種や転移者を撃破したあなた方なら大丈夫だと思います」
ダンジョンの名前を聞いて俺は絶句した。
右目に秘めたる義眼は間違いなく疼いている。
「そのダンジョン……アンデッド系が出るんじゃないのか?」
「……? それはそうですけど」
何を言ってるんだ、という表情を向けてくるゲーナスを俺はぶん殴りたくなった。
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