第20話:大したことじゃないが、重要なこと

 

 いつも通りの時間に目を覚ます。

 若干眠れなかったことを不快に思いながら服を着替えて、軽く準備運動をした。

 腕立て伏せをすると床がギシギシと鳴って、そのまま下まで抜けてしまわないか不安になる。


 次に瞑想がてら今日の課題を脳内で羅列していった。

 

(ランドウェードの森での素材採取、新人の護衛。怪我をさせないように気を付けなければ)


 今日は呼吸が整うまで時間がかかった。

 完全に身体も起きたところで、仕事を始めようとドアを開ける。


「「あ」」


 俺とローゼリアの声が重なった。

 ちょうど同じタイミングで部屋から出てきたらしい。


 ローゼリアは赤い髪を手櫛で梳かしながら「おはよ」と挨拶をして下へ降りていった。

 女性とひとつ屋根の下で暮らしている、という今まで経験したことのない状況に居心地の悪さを感じながら俺も後に続く。

 

 それはローゼリアも同じなのか、ぴょんとハネた寝癖を気にしすぎて階段を踏み外すと、頬を真っ赤に染めていた。


(……大丈夫なんだろうな)


 早くも今後が心配になった俺。

 ぎこちなく始まった道具屋だったが、本格的に仕事が始まると、以前とは比べ物にならないほどスムーズに進んでいく。

 

 接客に関しては俺は殆ど用無しで、横でぼうっと座っているか、農家のトムや「未来の守り人」などの顔見知りの常連客に新人紹介をするか、だった。


 ちなみに「未来の守り人」の連中は若干興奮していた。

 他の男性客と似たような感じかと思えば、その瞳に映っているのはハートではなく星マークだったような気がする。

 

 このままでは自尊心がズタズタになってしまう、と危機感を覚えた俺は裏方作業に回った。

 魔法の鞄制作の為に裁縫をしたり、薬草に引っ付く害虫を切り刻んだりして過ごす。

 ついでにバーヤンの新作ポーションの実験台にもなった。


(なんだ、この敗北感は)


 ローゼリアが来てからまだ2日目。

 賑やかになった道具屋を眺めながら、「閉店」の看板を出した昼過ぎまで、俺は敗北感の汁を舐め続けた。


 それから翌日の準備をローゼリアに任せて、「帳簿なんて付ける意味あるの?」とガヤを飛ばされながら事務仕事を終わらせると、ついにランドウェードの森へ向かった。


「おい、前に出すぎるなよ」

「はいはーい」


 俺は偉そうに忠告するが、当のローゼリアはちゃんと後ろについてきている。


 素材採取は予想外にも順調で、適当に見繕ってきた魔法の巾着袋には解毒効果のある草花が揃っていた。


 あとは毒薬の素材、スワンプヴァイパーやポイズンフロッグを見つけるだけ。

 目指すはランドウェードの森、最南端付近にあるとされる沼地だ。 


 しばらく歩いていると、恒例のホーンラビットやゴブリンなどの魔物と遭遇、撃破。

 時折、機を見計らって未来が見える義眼の性能の確認も行った。


 発動すると、左目と義眼の世界で分断されるのはご存知の通りで、約1秒ほど先の未来が見えるようだ。

 対象は世界全体ではなく焦点を当てた人や物で、その数と使用時間が増えるにつれて猛烈な吐き気に襲われる。


 魔力の使い方や慣れによって成長の見込みはあると思う。

 ただ今は1秒先の未来を10秒ほど見るくらいがセーフゾーンだ。

 やはり普段は眼帯で隠しておくに限る。


「──ねえってば! アタシの話聞いてる?」


 眼帯の位置を整えた所でハッと我に返った。

 勿論聞いていなかったので、いつの間にか右側を歩いていたローゼリアに「なんだ?」と顔を向けた。


「アタシも魔物、倒せるんだけど」


 短剣をくるくると回すローゼリア。

 ああ、そうかもしれないな、と思った。

 初めのうちはローゼリアを護衛する目的で率先して魔物を討伐していたが、途中からは、その必要はないかも、と考えが変わっていた。

 

 間合いのギリギリ外、適切な距離を取って歩くローゼリア。

 その足運びも非常に美しかった。

 

 また、こちらが魔力や気配を探っても何の情報も得られない。

 それは熟練者にしか取得できない技能のはず。

 万が一、偶然か無意識だったとしても相当の才能を持ち合わせているのは間違いない。


「だが、俺1人で充分だ」

「えー、見栄なんか張っちゃって。さっき、ゴブリンの首を刎ねそこねてたじゃない。アタシ、見てたわよ」

「……いや刎ねてたさ」

「ううん、倒れたあともヒューヒュー言ってたわ。アタシ耳が良いのよねえ……アンタの鼓動が動揺して早くなってるのも聞こえてたりして」


 俺はため息を吐く。

 図星だったからだ。


(そういえばローズも耳が良かったな)


 先程のようにからかわれた記憶がある。

 余裕が出てきた今だからこそ言葉を返せているが、当時は復讐のことしか頭になく、軽く受け流すか、無視していた。


(ローズとローゼリア、か)


 ふとローゼリアの顔を見る。

 「ん?」と首を傾げてから、ニコリ、と可愛らしく笑顔を見せてきた。


 しかし、ローズの素顔は1度も見たことがない為、似ているかなど分かるはずもなかった。


 それでも声も喋り方は似ているような、と2人の特徴を照らし合わせ始めたところで脳みそを小刻みに振るった。


 ランドウェードは戦地から相当離れている。

 ローズは殺し屋として有名になることを夢見ていた。

 それに、俺はたぶん嫌われている。


「ちょっと、前!」


 その声と同時に俺は正面から木にぶつかった。

 途端に横で笑い声が沸き起こる。

 心底おかしい、といったような強烈な笑い方だ。


「もっと早く言ってくれ」

「いやいや、無理でしょ!」


 俺は顔を顰める。

 だが、不思議なことにそこまで不快には感じなかった。


 そんなこんなで俺たちは沼地に辿り着いた。

 当然人気ひとけはなく、紫色の瘴気が充満していて、魔物の気配が無数に感じ取れる。


「ふうん……悪くないところね」


 さすがのローゼリアも嫌がるかと思いきや平然としていた。

 驚く俺に「行かないの?」と急かしてくる始末である。


 沼地の戦闘は自信満々なローゼリアに任せてみることにした、というか止めても無駄だった。

 一応、いつでも魔眼でサポートできるように見張っていたが、彼女の戦い方は見事なものだった。


 とにかく首を刎ねれば良い、と思っている俺とは違い、確実に戦闘不能にさせてからトドメを刺す、というような戦い方だ。

 ポイズンフロッグだったら跳躍に必要不可欠である後ろ足を斬り落としてから腹を裂いていた。


「腹に毒袋があるから気を付けろ……って今、かかってなかったか?」

「かかってないわよ。それに毒には強いから大丈夫」


 それはどういうことだ、と言いかけてやめた。

 俺は恋愛小説の主人公じゃない。


 ローゼリアが毒持ちの魔物を倒して、俺が小瓶に回収する。

 そんな流れ作業がしばらく続いて、夜がやってきた。

 毒液で満たされた小瓶が魔法の巾着袋に吸い込まれるのは、これで12回目である。


 もう充分であることを伝え、道具屋に戻ることになった。

 「2人で来て良かったでしょ」と笑うローゼリア、俺はうんともすんとも言わずに森を進んだ。

 

 今日は順風満帆であった、と満足する俺。

 しかし、幸運があれば不運もある。


 森の中央、転移者の作った薬草菜園があった付近で胸がざわつくのを感じた。

 気持ちが緩んでいた帰路、一気に雰囲気が変わる。

 夜の森での戦闘はあまり好ましくない。

 

 左前方で、木が揺れる。

 顔を覗かせたのは背の低いオークだった。

 運命の悪戯か、オークはちょうどこちらの方へ顔を向けようとしている。

 

 俺は考える前にナイフに手をかけて、飛び出していた。

 標的の首元を狙って木々を枝伝いに飛ぶ。

 その目下ではもう1つの影が、やはり木々の間を縫うように進んでいた。


(この光景……この感覚は……)


 逡巡するが、オークは目の前。

 交流を拒絶するような瞳孔のない目に、ナイフを頭上に振り上げた俺の影が映る。

 完全に俺を捉えたオークは、岩のような拳を突き出したが、不発に終わる。


 ローゼリアが無防備なオークの足首を切りつけていた。

 足の健が切れて蹌踉めくオーク、その首は俺がナイフを振り下ろそうとしていた場所にピッタリとハマる。 


 息が合っていなければ不可能な連携。

 

(俺のスピードとタイミングに合わせる……?)


 地面に降り立つと、ローゼリアが息を潜めた様子で駆け寄ってくる。


「見て、あそこ」

「……オークの大群か?」


 俺たちの視線の先には数え切れないほどのオークがいた。

 背丈は小さめだが、武器を持っている者も多数見られる。

 腰巻きには薬草らしきものが刺さっていた。


 そこで俺は2つのことに気が付く。

 

 まず1つ、薬草泥棒の犯人が分かった。

 今すぐ始末しよう。


 そしてもう1つ、ローゼリアはローズだ。

 大したことじゃないが俺にとっては重要なことだ。

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