第18話:(自称)カワイイ新たな従業員
「ゔ、ゔえ……」
びちゃびちゃ、ごろごろ、と胃酸とじゃがいもの欠片が混じり合った吐瀉物が地面に染み込む。
ユニークスキル【分身】を持つタツジをなんとか倒した俺は猛烈な吐き気に襲われていた。
おそらく未来視の義眼のせいだ。
発動中は現在と未来の世界を同時に見ることになる。
そのズレを脳が処理しきれていないのだ。
痛みと吐き気、最悪だ、と俺はため息を吐く。
依頼主である男が娘と一緒に駆け寄ってくるが、近寄るな、と手のひらを見せて制止する。
「死体を置いて、すぐに他の子どもを助けろ」
「え? あ、あの……」
「気が向いたら道具屋に来い」
そんな捨て台詞を吐いて、俺は歩き出した。
力のない男が転移者の死体を持っていったところで、要らぬ誤解を生むだけだ。
この件は闇に葬られるだろう。
どうせ『未来の守り人』かそこらの賞金稼ぎ、または殺し屋の手柄になるのではないか、と俺は踏んでいた。
(とりあえず、お客さんを助けられてよかった……)
湿った外気を吸い込む度に吐き気がする。
大量の血液を失ったことも相まって、いつになくふらふらとした足取りだ。
(ローズと馬車に乗った時を思い出すな)
いつだったか遠方への仕事で馬車に乗った。
退屈で窮屈だった上に10時間にも及ぶ運行のせいで俺は酷く酔ってしまったのだ。
隣にいたローズは俺が潰れる前も後も喋り続けていたような気がする。
安っぽい布を被せただけの天蓋の下で、ローズは同じことを繰り返していた。
(舟とか傘の話だった気がするんだが……思い出せない)
弱っている俺の心に8年間の記憶が付け入ってくる。
両目をギュッと瞑って記憶と感情の氾濫を抑えた。
ようやくランドウェード郊外に辿り着いたが、全身に重りを乗せられたように身体が重力に耐えられなくなっている。
頭もグラグラと揺れていて、何度目かの吐き気に襲われた。
(明日は早起きしなければならないんだ。薬草の様子を──)
道具屋が見えてきた所で俺は再び吐いてしまった。
胃酸すら残っていないはずなのに大量だな、と思って見てみれば、真っ赤な血だった。
黒装束が汚れて、嫌な気分になる。
付着した血を叩き落とそうとしたが、そんな余力は残っていなかった。
ついに倒れそうになった時、誰かが俺を抱きとめた。
「ッ……大丈夫!?」
鼻腔をくすぐる花の香りに包まれて、俺は意識を失った。
☆ ☆ ☆
朝日の眩しさに目を覚ますと、なんとなく見覚えのある天井が広がっていた。
居心地が良くも悪くもないベッドに少し焦げた色の木壁を認識して、道具屋の自室だと気付いた。
「おや、ようやく起きましたね。傷は大丈夫ですか? っと何だかセノンさんと出会った時を思い出しますね」
と懐かしそうに笑うのはバーヤンだ。
彼の言う通り、包帯が巻かれた状態で目を覚ますのは2度目である。
俺はゆっくりと上半身を起き上がらせた。
前回よりも丁寧な処置のおかげか傷はさほど痛まなかった。
「今、何時だ?」
「もうすぐお昼ですよ」
「くそ……手当てしてくれて助かったぞ、バーヤン」
道具屋のことを1番に思い出した俺は布団を蹴飛ばして立ち上がると、サイドテーブルに置かれていた水をグイ
(今は大事な時期なんだ。人も足りないし、俺が動かなければ)
「どこに行くんですかセノンさん」
「ポーションを売るんだ」
半ば投げやりな態度で言葉を放つ。
お前なら分かってくれるだろ、と視線を送るも、当のバーヤンはどこか嬉しそうにしていた。
「安心して下さい。ポーションは売れています。それにセノンさんを助けたのは私じゃありませんよ」
「なんだと……?」
バーヤンはサプライズを計画する子供のように、含みのあるニヤけ顔のまま「下へ降りてみて下さい」と言う。
訝しがりながらも、やはり道具屋のことが気になったので足音を立てながら1階に降りた。
階段に差し掛かった辺りで「いらっしゃい」という女の声が聞こえてくる。
(俺の道具屋で商売をしているのはどこのどいつだ)
滑り落ちるようにカウンターに飛び込むと、当然というべきか、意外というべきか、女と目が合った。
靭やかなボディラインが出る黒のトップスに、深い赤色のミニスカートとスラリとした脚の透けたタイツ。
何よりも俺の目を引いたのは、真紅に伸びた長髪だ。
赤、黒、赤、黒といったように色が纏まった姿を見て、「血」を連想せざるを得なかった。
「あ……目、覚めたんだ」
「ああ」
数秒間、見つめ合った俺たち。
しかし、レモン色のポーション瓶を4つも持った大柄な男がカウンターにやってきて、女は慣れたような手つきで対応を始めた。
「へへ、また来るぜ、赤い姉ちゃん」と黄ばんだ歯を見せた男性客が帰ったのを確認してから女の横に並ぶ。
「どういうことだ?」
「えー、まずは助けてくれたお礼じゃないの?」
女が肘で小突いてくる。
癪に障る態度だな、と思いつつも昨晩のことを確認してから頭を下げた。
満足そうにする女の顔を見て、やはり癪に障る奴だな、という感想を抱く。
「で、なぜお前はここにいるんだ」
「バーヤンさんから聞いたわよ。お店、人手不足なんでしょ?」
核心を突く女の言葉。
来客に対して商品数が圧倒的に足りていないこと。
毎日荒らされる薬草菜園。
バーヤンの深刻なポーション中毒化。
等々の問題が脳裏に浮かび上がった。
しかし、何だか面倒臭そうな流れになっていることも汲み取った俺は頷くことをせず、ただ苦い顔をした。
「ふふっ、だからさ、アタシが手伝ってあげてもいいわよ?」
「……なぜそうなる」
「だってアタシたち、道具屋でも良いコンビになれると思うし。あと、お店には看板娘が必要だと思わない? アタシ、それなりにカワイイと思うけど。顔も性格も仕草も」
なんなんだコイツ、と顔を歪める俺。
おそらく俺と同い年くらいだし、おおよそ「カワイイ」が似合う性格ではない。
というか世のカワイイ女性はそんな風に吹聴しないはずだ。
(だが──)
事実、先程の男性客は彼女にメロメロといった顔をしていた。
それに加えて、必死の思いで増量した商品が昼前にも関わらず売り切れ寸前。
おそらく彼女にはものを売る才能がある。
明るい笑顔と親しみやすい口調は、普通に接客をしただけで幼子を泣かせてしまった俺がきっと持ち合わせておらず、これからも身に付かないであろう素質。
「名前は?」
「……ん、あれ……分からない?」
予想外の返事に俺は気が抜ける。
「苦手そうな女を採用する」というそれなりに重い決断だったはずなのに、わけの分からない質問で返されるとは。
もしかしたら、と改めて顔を覗いても分からなかった。
ランドウェード郊外の住人ではないし、いつかお客さんとして対応していたとしても逐一顔など覚えていない。
「初対面だろ」
「あ…………そっか」
女はなぜか寂しそうな顔をして笑う。
「アタシの名前はローゼリアよ、これからよろしくね……セノン!」
こうして俺の道具屋に、接客上手で(自称)カワイイ、ローゼリアが仲間入りした。
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