第9話:義眼

 

 本棚の奥に現れた隠し通路。

 黒塗りのレンガ壁に囲まれた埃っぽい空間を進むと、すぐに階段が見えた。

 バーヤンに続いて、暗い上に足場の狭い階段を慎重降りる。


 6段か7段ほど下がると開けた場所に出た。

 奥の壁に棚がびっしりと並んでいる他は、中央に高級そうなテーブルがあるだけの地下室だ。

 ここの壁も黒いレンガで、床は焦げ茶色の木板、ランプなどの照明も見当たらず、ことごとく不気味な所である。


 バーヤンがテーブルに置かれた蝋燭に火を灯すと、地下室はぼんやりと照らされた。


「ここは、なんなんだ」

「デルゲイさん曰く、道具屋は以前盗賊の隠れ家だったらしいんですよ。この隠し部屋はその名残りだそうです。万が一の避難場所か、あるいは財宝の保管庫か、はたまた拷問部屋か……まあ、デルゲイさんもその目で見たわけじゃないと言っていましたが」


 そんな曰く付きの地下室をデルゲイとバーヤンはポーションや包帯、食事の隠し場所として利用していたそうだ。


 意外と小綺麗な棚に、ほぼ何も置かれていないところを見ると、この部屋のおかげで何人もの命が救われたことが分かる。


 しかし、こんな所を紹介された所で役立てられそうもない。

 昔の俺だったらそれこそ隠れ家として活用していたかもしれないが、今は必要ない。


 そんな感想が顔にも出ていたのか、バーヤンは「本題に入りましょうか」と棚の方へ向かった。


「セノンさん良ければコレを使ってみてください。ご挨拶といいますか先行投資といいますか……安全性は保証しますよ。まあ、試したことはありませんが」

「これは……義眼か?」

「はい、ですがただの義眼ではありません。それは魔道具、嵌めれば本当に目として活用できるそうですよ」


 俺は筒状の瓶に入った2つの眼球と目を合わせた。

 薄透明の液体の中をまるで生きているかのようにプカプカと泳いでいて、【魔力探知】をしてみれば計り知れないほどの魔力を蓄えていることが分かった。


(正気か?)


 俺はあまりの不気味さから顔をしかめる。

 使え、とは言うが生々しすぎて義眼なのかすら怪しい。

 今にもギョロッと動き出しそうな雰囲気だ。


「疑う気持ちも分かりますが……やはり不便でしょう? それに、多くの犠牲者を出した凶悪な魔物の討伐、いくらセノンさんとはいえ勝てるとは限りませんよ。というか正直、勝てないと思ってます」

「おい」

「ドーグランでさえ森に近付きたくないから住人たちに取りに行かせていたのです。なので薬草を取ってくるだけでも良いと思っております。見つかれば逃げれば良いのです。セノンさんは冒険者ではありません、道具屋ですから」

「結局盗むようなものじゃないか」

「ま、まあ、そうとも捉えられるしれませんが……それで、いざ逃げる、となった時に視界が狭いと困りませんか?」


 段々とバーヤンの口車に乗せられているような気がしてきたが、確かに森を彷徨っている時は何度も身体を木に打ち付けていた。

 

 今は身体も回復しているし魔眼スキルもある為、大きな障害にはなっていないが、戦闘となると話は変わってくるかもしれない。


 ましてや敵から逃げるということはつまり危険が迫っているわけで、焦り、冷静さを失い、視野は更に狭くなる。


(世の中は大逆転、か)


 俺は通常のガラス瓶を開け、目玉をひとつ取り出した。

 本物のようか柔らかい感触をしている。


「どこで手に入れたんだ?」

「実はポーション調合にハマる前は人体錬成に興味があったんですよ。そんな時に偶然手に入りまして。まあ、私がつくったわけではありませんが」

「人体錬成……なぜ興味を失ったんだ?」

「いやあ……セノンさん、人体錬成に必要な材料って何か分かります? 伝説級の錬金術師は簡単な物質からでも可能だといいますが……」


 唸るように顔を歪めたバーヤンを見て「この話はやめよう」と断った。

 

 錬金術には興味がなかったが、ここから先は深い闇に触れることになることが予想される。

 バーヤンがポーション調合という良心的な趣味に行き着いてくれて良かった、としみじみ思った。 


(というか今の話、あまり聞きたくなかったな)


 商売の道すがら信頼できる人物から買った、とかなら安心できたが、結局安全性にまつわる情報は何ひとつ得られていない。


 俺は最後まで悩みながらも右目に義眼を嵌めてみた、が──


(……ッ!? ……なんだこれは)


 俺は一瞬にして顔を歪める。

 鈍器で殴られたような頭痛と制御できない魔力の氾濫。

 気が付けば俺は右目にナイフを突き立てていて、血のような魔力がドロドロと垂れていくのが分かった。


「だ、大丈夫ですか! ま、まさかここまでの拒否反応が出るとは!」

「ま、待ってくれ……もう1度やらせてくれないか」


 慌てて駆け寄ってきたバーヤンを手のひらを向けて静止すると、残された義眼を取り出した。


 先程の現象はバーヤンの言った通り、拒否反応。

 俺が義眼に込められた膨大な魔力を制御できなかった為に、逆に喰われそうになったのだ。


 大体の魔道具は少しの魔力で大きな力を生み出すはずだが、コイツは中々のじゃじゃ馬らしい。

 今度は全魔力を右目に集中、滞留させてから義眼を嵌め込んだ。


 またも嵐のように暴れ出そうとする魔力。

 だが、先程よりも痛みは少ない。 


(……ッ……魔力の流れに沿って……結びつけるイメージだ)


 しばしの格闘の末、俺はついに義眼の制御に成功した。

 真っ暗だった右半分の世界に景色が戻り、俺は感動を覚える。


「う、上手く行きました?」

「ああ、この通り……ん?」


 心配そうな顔をするバーヤンを前に、【歪曲】を使って一芸してやろうと魔力を込めた瞬間、不意に視界の右半分が再び闇に覆われた。


 なんだ、と思った数秒後、バーヤンが驚いて声を上げる。

 部屋が真っ暗になったのだ。


「蝋燭が消えてしまいました。まあ、替えは上に数本あるので大丈夫です。一旦戻りましょうか」

「あ、ああ」


 暗闇から外に出ると義眼の方も視力を取り戻していた。

 わけが分からず、階段を登っている途中も【歪曲】や【暗視】を使ってみたが、どうにも焦点が合わなくなる。

 

 【歪曲】は視界に入った対象の魔力、或いは外部の魔力ごと捻じ曲げるスキルで、当てる際は光線を発射するようなイメージなのだが、義眼の方はなぜか位置がずれる。


 【暗視】は文字通りに目の焦点が合わず、危うく転びかけるところだった。

 

 魔眼による【魔力感知】、【気配感知】は機能しているものの、魔力を流し込んでいる時は2つの世界を見ているような感覚に陥る。


「バーヤン、眼帯は無いか?」


 道具屋に戻ってきたところで訊ねる。

 この義眼はおそらくハズレ、不良品だろう。

 

 眼球本来の働きはしてくれるが、そもそも日常生活ではあまり困っていない。


 本当に必要とされるのは戦闘など有事の際になるはずだが、そういう場合は間違いなく魔力を使用するわけで、この義眼の見せる世界はかえって足手まといになる気がする。


「あれ? やはりダメでしたか……お役に立てると思ったのですが……眼帯は手元にないので、宣伝ついでに皆さんに聞いてみますよ」

「宣伝?」

「ええ、長きに渡る休業を終えて、ついに道具屋オープンですからね。私はあくまで専属のポーション調合師ですが、それくらいはさせて下さい」

 

 そこまで本格的にやるのか、と俺は不安になった。

 住人から信頼されていたデルゲイの店を部外者である俺が経営するのだ。

 反感を買っても文句は言えないだろう。


「宣伝はしますが無理は禁物ですよ。危険を感じたらすぐに身の安全を優先してください。まあ、セノンさんならば逃げ遅れることはないと思いますが」


 バーヤンは乗り気である。

 暗い顔をしているであろう俺を励ましたいというよりは、ポーション製造欲に従っているのだろうが、その明るさはありがたい。


 おおまかな薬草の群生地を聞いた俺はついにランドウェードの森へと歩き出した。

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