第3話:相棒との別れ


「ク、クローバー! 目が……!」


 現世界に戻ってくると戦いの喧騒が遠くから染み込み、こちらへ駆け寄ってきたローズの涙ぐんだ声が聞こえてきた。


 周りにはぐったりと倒れる女たち、転移者の死体、バラバラに砕け散った魔法の鞄マジックバッグが見える。


 いつの間にか膝元に転がってきていた"アイツ"の生首を掴むと、力なく投げ飛ばした。


(全て終わったんだ……サーニャ……)


 俺は目を閉じて記憶に思いを馳せた。

 時が経つにつれて色褪せていった故郷の情景、何かあればすぐに「お兄ちゃん」と呼ぶ妹の声。

 唯一鮮明に刻まれた優しい笑顔を見つけて、大きく息を吐いた。


 思い出に絆されて動かないでいる俺に対して、ローズは傷の手当てを始めている。


(本当は俺の手で終わらせたかったが……ローズ、お前なら……)

 

 時折触れ合うローズの外套。

 そこに付着した生々しい返り血が、俺の外套も汚していく。

 窪んでしまった右目に注がれる消毒液が言いようもない痛みを与えてきた。


「なあ、ローズ」

「うわあ! アンタ喋れたのね。ショックで廃人になっちゃったかと思ったわよ」

「俺、伝えたいことがあるって言っただろ?」

「え……って今はそれどころじゃないでしょ! 確かに依頼は達成できたけど、こういうのはムードってものが大事なの」


 そう言ってローズはあせあせと動き、ポーションをかけてくれたり、包帯の準備をしてくれたりする。

 人生史上最難関だったであろう依頼を達成した喜びよりも、同僚への心配が勝っているところに彼女の優しさを感じられる。


 やはりローズは俺なんかにかまうべき人材じゃない。


「俺、殺し屋をやめるよ」

「……何言ってるのよ。アタシたちはまだまだ上を目指せるんだから。それに、右目くらいアタシが代わりになるわ」


 一瞬、手を止めたローズだったが、すぐに前向きな言葉を口にして介抱に戻った。

 最後に「絶対に大丈夫だから」と付け加えながら。

 

 殺し屋、もとい命のやり取りを生業とする者の中には、体の一部を犠牲にして帰還する者が時々いる。

 それでも尚、仕事を続けられる者は少なく、大体が絶望するか半狂乱になるか、だ。


 右目を失った俺も彼らのようになりかけている、とローズは判断したのだろう。


「すごい殺し屋になって見返してやるって言ってただろ」

「何よいきなり、昔の話でしょ」

「今のお前なら出来ると思うんだ」

「分かってるわよ、そんなこと。それよりガーゼの位置、大丈夫そ? 包帯巻くわよ?」

「おこがましいかもしれないが……俺に付き合わせてしまった分、お前には幸せになってほしいんだ」

「……何が言いたいのよ」


 ついにローズの手が止まる。

 声の震え方からして怒っているようでもあった。


 くすみがかった雰囲気からようやく何かを察したのだろう。

 いつもなら俺の言う事などほとんど聞かないローズが、じっと黙って言葉を待っていた。


「報酬金はお前に渡すように、と女帝マダムには言ってある。これでお別れだ」

「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ!」


 別れの言葉を告げた俺は立ち上がり、その場を去る。


 感謝の言葉のひとつも言えなかった自分を情けなく思い、歩く速度を上げていく。

 最後まで何かを言っていたローズの声もやがて聞こえなくなった。


 中途半端に巻かれて、ふらふらと風に揺れる包帯を引きちぎると、俺はあてもなく歩き始めるのだった。


☆ ☆ ☆


 生きる目的を失った俺はただひたすらに歩き続けた。

 戦場と化していた荒野を越えて、現在は森の中を進んでいる。

 

 記憶が正しければ、ここは王都ランドウェード南東に位置する森のはずだが、想像以上に広く街道すら見つけられない。

 周囲に人の気配もなく、年老いた木々が陽の光すら遮る程に立っているだけだった。

 

 視界の半分を失った俺は、何度も幹に身体を打ち付け、情けないことに足を取られてすっ転ぶこともあった。


 身体は傷だらけで血まみれである。

 いっそのこと首でも切って死のうとも考えたが、それほど虚しいものは無いと感じて実行には至らなかった。

 

 俺に残されたのは、愛用していた黒い短剣と外套のポケットに入っていた数瓶のポーションだけ。


 錆びつくことがない、という短剣を使って、時折現れる魔物を殺して飢えを満たす日々を過ごした。

 しかし、転移者の影響で魔物の数は大幅に減っており、満足に腹を満たすことは難しい。

 

 そして何より喉の乾きが尋常ではなかった。

 地図を持っていない為、水源の位置が分からないのだ。

 

 水魔法で水分補給をすればいい、と普通の人間は思うのだろうが、残念ながら俺はまともな魔法を扱えない。


 【空間転移】に対抗する為、己の魔力の使い道を魔眼の開眼と修練だけに絞ってきたからだ。

 ポーションを水代わりにする者もいるようだが、俺の持っているポーションは傷の修復に特化しすぎていて、飲めたものじゃない。


 歩き始めてから5、いや6日が経っている。

 そろそろ王都ランドウェードに辿り着いても良い頃のはずだが──。


(くっ……まずいな)


 急に足元がふらついて、俺は片膝を立てて座り込んだ。

 昨日から続く、めまいや頭痛などの脱水症状を無視して歩き続けてきたが、そろそろ限界らしい。


 意識が混濁し始めて、立ち上がることすらままならない。

 

(ローズは……くそ、いないんだったな)


 ローズの姿を無意識に探してしまう。

 こんなことならば、と後悔した所で彼女はもう戻ってこない。


──ガサガサ。


 茂みが揺れる音。

 魔物か盗賊が現れる時によく聞く音だ。

 最悪のタイミングで、当然のように現れた"何か"は倒れ込む俺にゆっくりと近付いてきた。


(ここで終わりか……クソみたいな人生だったな)


 俺は諦めるように気絶した。

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