権力の鳥籠
「ここまで広まってしまった以上、放置するわけにもいきませんね」
「遅かれ早かれこうなることは分かっていた。むしろ早い段階でこのことを指摘されて良かったのではないか?むしろ後になってより深刻な話になるよりはましだっただろう」
男性教師はその言葉を聞いて部屋を立ち去る。椅子にもたれながら頭を抱えた老齢な男性はやはり失敗したと後悔した。
「しかし、娘の頼みは断れない」
後日糸を引いたこの件は、再び話題に上がることになる。
しかし今はそう悠長にしている場合じゃない。理事長に許可を得た男性教師は暴動にまで発展した生徒の波を掻い潜って職員室に戻ると急いでかねてから準備してあった資料を印刷する。それがコピーされたのを確認して取ると、すぐに扉に向かう。
「いいですか」
生徒を引き留めていた先生を職員室に戻すと、彼は印刷された資料を読み上げた。
「皆さん落ち着いて。理事長と我々教師らが話し合った結果、今回の特科試験は再試ということになりました。五分後、特科試験において譲渡、獲得したPPは全て試験前の状態になります。また、皆さんが抱えているであろう疑問については改めて理事長から直接お話がありますのでここは一度落ち着いてください。必ず、皆さんの納得のいく説明をすると、約束してくださいましたので今日のところは皆さん家で休んでください」
そう言われてはこれ以上言うこともできず、目の前の教師の迫力に気圧されて逃げるように生徒は職員室から離れていった。
やっと帰ってくれた、とほっと息をついて自分の席に戻ると何人かの先生が彼の周りにやってくる。
「ありがとうございます湯本先生。私みたいな老いぼれじゃ、あの子たちは聞いてくれそうもなかったので」
「いやいや、先生がいなかったらもっとひどいことになっていましたよ」
「私たちも職員室に乗り込んでくるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてたので安心しました」
彼を称賛する声は多くあり、立場に伴ってやるべきことをやっただけの湯本はそんなに褒められたことをやったという自覚はなかった。
「でも、再試っていうのはなんだ?」
三葉先生が彼のもとに近づいて話を伺う。確かに、と近くにいた先生方もその話に興味を持った。
「理事長の子供の件、ご存じですよね?」
それは入学式からのご法度。触れたはいけない話題だっただけに、彼がいとも簡単にそのことを話し始めたことに皆が驚いて彼の口を塞ごうとする。しかし「待ってください」と言ったうえで続ける。
「彼女のことが何故か生徒たちの間で広まっていて、さっきの暴動が起きたらしいんです」
「ならあんなに怒り狂うのも分からなくはないな」
彼女が所属するクラスはA。名前までは明かされていないにしろ、存在が公になったということ自体が問題だ。しかもよりにもよってAクラスというのがその問題の性質をさらに悪くしている。
「再試の内容はもう決まっているのか?」
「もちろん、まだですよ。もともと予定していた特科試験を一つ前倒しにするという手も考えましたけど、あれはあまりにも時期に依存している」
「とにかく、このことについては明日全校集会か何かで理事長本人から話をしてくれるみたいなので安心です」
理事長の娘か……。
三葉先生自身、存在は知ってはいるもののそれが誰なのかというのは担任である小野坂先生しか知らない。しかもそれは彼が先生たちの中で一番口が堅いと信頼されての指名だ。彼から漏れたとはあまり考えられない。
「ま、気にしても仕方ないな」
所詮私はDクラスの担任に過ぎない。
PCに向き合って日々の業務を処理していく。明日はきっとそこあmで忙しくないと思えるだけで、気が楽だ。
そんな先生たちの気苦労も知らないままに翌朝、教室に行くと黒板に「体育館へ」と大きな文字で書かれてあり、何人かはすでに体育館に向かったのか荷物が置かれていた。
一夜もそれに続いて体育館に向かうと、見慣れない生徒がたくさんいた。思い返してみるとこうして学年の生徒が集まるのは入学式以来な気がする。たくさん並べられた椅子の前には四人の先生が立っており、その中には担任の三葉先生もいる。
その列に座れということだと思う。二列の椅子を前から詰めていたので歩いて前まで行ってから座る。
「おはよう、一夜くん」
隣を見ると伊予だった。
「おはよう。来るの早いね」
「ちょっと昨日疲れちゃったから。でも話ってなんだろうね」
生徒たちにはそこまで話が届いていない。ただ理事長からのお話があるというだけでそれ以上は何も。昨日のあの職員室のことは気になるけど、ここまですることのものなのかなとも思う。
「もう少しすれば分かることだし、待とう」
「そうだね」
それからぞろぞろと生徒が集まってきて一限開始のチャイムが鳴るころにはほとんどの生徒が着席していた。生徒たちが無言の中、静寂が続いて壁に取り付けられた時計の秒針がとても大きく聞こえる。
しばらくして壇上に一人の男が歩いて向かう。確かあの人は。
あらかじめ設置されていたマイクを手に取ると、何度か手を当てて音が通っているか確認する。
「あー、あーっ」
そうして理事長の演説が始まる。
「まずは、私個人の都合により皆の学びの機会を奪ってしまったことに謝罪を」
この時間がということなのだろうか。彼は深く頭を下げるとそこからが本題だとでもいうようにマイクをスタンドに置いて視線を生徒に向けた。
「昨日、Cクラスの生徒が職員室に詰めかけたという話を知っている生徒もいるだろう」
その途端、生徒の間でざわめきが起こる。だがそれを気にした様子もなく理事長はわざとハウリングを起こすと静かになったのを確認して続けた。
「別にこれは攻めているわけではない。むしろ責められるのは私の方だ。知らない生徒もいるだろうから改めて言わせてもらう。この学園には私の娘がAクラスにいる」
今度はハウリングでは抑えきれないざわめきが起きた。もちろん一夜や伊予たちも初耳の出来事であり驚きを隠すことができない。生徒たちが静かになるのには時間がかかったが、理事長はそれをしっかり受け止めた。
「おそらくそれが昨日のCクラスの行動に繋がったのだろう。当然と言えば当然だと思う」
「だが」
「私は娘に対して贔屓や融通を利かせるなどということは行っていないし、今後行うつもりはない。私と娘はすでに親子の関係ではないために気づくのが入学以降になってしまったことでこのような事態になってしまったこと、心からお詫びする」
彼の謝罪会見はそこで終わりとなる。壇上から降りる彼の姿は確かに申し訳なさが覆いかぶさったような背中に見えた。
もう一人の先生が壇上に上がる。彼は手にしていたファイルを開いてマイクを調節する。
「えー、よろしいですか。始めまして、私は学年主任の湯本です。私からは特科試験の再試についてのお話をさせていただきたいと思います」
ページを開いて生徒を見回す。
「先ほど理事長から娘さんについてのお話があったと思いますが、これでは疑惑を晴らすことができない。という生徒も多くいらっしゃると思います。そこで私たちはもう一度特科試験を行うことといたしました。今回の特科試験はPPシステムがどのように利用することができるのかということを認知させるための試験であり、今後の特科試験よりも比較的時間のかからないものを選びました。ですが、Aクラスが圧倒的な結果だったため印象がさらに悪くなっています」
さらにページを捲って彼は進める。
「こうした印象を唾棄するために今後の特科試験のルールを一度見直すとともに、フェアな状態での試験実施を掲げます。その手始めとして今月中に特科試験の再試を行いますので、それまでの間生徒の皆さんは今一度生徒心得などを確認してこの学園のルールを理解してください」
ファイルを閉じる。朝会はこれにて終了となった。
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