緊急事態
”鏖“が大地の上に出て来た。
空腹が、もう我慢できなかった。前回地表に出た時は、あの黒い男がいた。
仕方なく潜ったが、今はいないようだ。気配が遠い。
ゆっくりと笑う。あれがいなければ、この地に敵などいない。
山が近い場所に、集落がある。あれは良い具合に腹が満ちるだろう。
“鏖”はゆっくりと土の上を這いずりながら、集落に近付いた。
”厄災“は大きな声で吠えた。
やっと、あの男がいなくなった。完全にいない訳ではないが、少なくとも近くには居ない。よおしよおし。何処かで腹ごしらえして、それから。
この世の破壊だ。
“灰滅“は、仲間が外に出ている事に、不思議を覚えた。
みんな呑気だな。あの男が、いないなんて、ありえないぞ?ほら、あの海の向こうにいる。
くわばらくわばら。
“罪戻”は、そんな動きには関わらない。
今日も小さな泉の傍で、のんびりと虫を眺めている。
巻きつけていた根を解いて、ヨルが液体から起き上がる。
頭から機械を外して、何度か頭を緩く降った。
「気分はどうだ?どこか痛くないか?」
「ああ、平気、だ」
まだ立ち上がらない内に、ヨルが自分の耳を触る。それから眉を顰めた。
「分かった。すぐに行く。耐えてくれ」
半円の入れ物から立ち上がると、水分も拭き取らずに手早く服を着る。
「おい?検査して一週間は」
イーラが声を掛けるが、ヨルは話を聞いていない。
「何処へ行くんだ、ヨル。医者の言う事を聞け。何処にも行かせない、ぞ」
ヨルがイーラを見た時、イーラの言葉が止まる。
「何か言ったか?」
「あ、いや」
ヨルが部屋の外に出た。
イーラはゆっくり息を吐く。少し体が震えていた。
「…ああ、分かっているよヨル。本当はお前が全てを壊せるって。私なんかは一瞬で消されるだろうな」
ヨルが消えた先を見ながら、イーラは冷えた息を吐いた。
「ヴォルケ、範囲の地図をくれ」
『どうしました?』
ヨルの問いかけに素早くヴォルケが答える。
「怪異が地表に出ている。敵対しているのはどれだ?」
ほんの少し考えたヴォルケが、ヨルの視界に画像を送ってくる。
『二か所ですね。“破壊””灰滅“”罪戻“は今回、敵対していません』
「分かった」
ヨルの通信が切れて、ヴォルケが溜め息を吐く。
通信が止まると困るのですが。
「まあ、オーナーがどう使おうが反対できませんね」
小さく笑うと、通信障害の連絡を急いで表示した。
「全員を緊急招集しろ!“厄災”が出現した!急いで武装して広場に集めろ!」
黒神軍はガチャガチャと動き出す。
守り人の本部に連絡を入れると、”鏖“が外に出ていると逆に連絡をされる。
「俺達はいけない。自分達で対応してくれ」
『しかし、それでは』
「何のための守り人だ。脅威から守るためだろう?人災ばかりを気を付けるぐらいなら自警団でも出来る!」
通信を切る。
軍は既に、先陣が外に出ていた。
「次が出ます!」
「よし!第3部隊まで出たら第4、第5は後方援護で出ろ!」
軍服姿の多数の人員が走って外に出る。
次々と装甲車に乗って、マークされた場所に急いでいた。
「まあ、正論だな」
黒神軍との通信を終えて、ギリアムが呟く。
巡回を終えて帰って来たら、これですか。ついてないなあ。
“鏖”が近くの集落を襲った後で、守り人の本部近くに来ていた。
本部には所属の殆んどが居るにもかかわらず、“鏖”に対応できていない。そもそも大きすぎるのだ。村ぐらいなら覆い被さって一飲みに出来るぐらいの巨大な魔物は、守り人の手には余った。
ギリアムは大型レーザー砲を抱えて、本部の屋上に行く。あいにく守り人は大きな火器は揃えていない。黒神軍は特殊なのだ。
小型の銃器しか使えない、若い者達は近距離で戦っていた。逸って出て行ったが、あれでどうやって勝つつもりなのか。
「生意気な口も、閉じててくれるかね」
光を充填して、一発“鏖”に放つ。掠ったが照準が安定しない。
「動くもんだねえ」
構えてもう一発放つが、側面に当たっても動きを止める気配がない。
ギリアムの見ている先で、新人の腕が飛んだ。
あれはカチュアの腕だろうか?
”鏖”の足元でイレクトが頑張っているが、小型の銃では何の役にも立たない。
いや、無理だって。遅延は出来ても撃退が出来ない。
「ヨル様、来てくれねえかな」
照準を狙いながら、ぼそりと呟いた耳に聞いた声が響く。
『いま、行く。もう少し耐えてくれ』
ふわっとギリアムの胸に暖かい物が広がる。諦めそうな気持が消えていく。
「はい。来られるまで耐えて見せます」
もう一度レーザーを打ち出して、ギリアムが答えた。
その通信は、本部周辺の守り人全員が聞いていた。
「何言ってんだよ!来れるんならさっさと来いよ!」
イレクトが叫んだ。
もったいぶってないで、さっさと来てこれを何とかしろよ!
自分の銃なんて、撃っても撃っても効きやしない。
どうせ守護者が来たって。
そこまで考えたイレクトの耳に聞きなれない風切り音がする。
真上から人が降って来た。
それを見た“鏖”の動きが鈍くなる。
怯えているように見えた。
「俺がいないからって、そんなに出て来なくても」
ヨルが溜め息を吐きながら、パネルからレーザーを打ち出す。
その戦艦級の光は、“鏖”の身体の一部を抉った。
真っ黒な体液が一面に散る。
急いで地面に潜る“鏖”は、愉快な時間が終わってしまったことを知った。
また、あれと追いかけっこだ。
ああ、面倒だな。
深く潜りながら、それでも食べた食事の味を、喉の奥で堪能した。
「ヨル様!」
走ってくるギリアムに、ヨルは頷いてから空を見上げる。
「悪いが他にも出ているらしい。後で被害報告をくれ」
「はい。有難うございました」
「ああ」
ヨルが大地を蹴って、はるか遠くへといなくなってしまうと、やっと一息ついたように守り人たちが、口を開いた。
「ヨル様、一撃だな」
「マジすげえわ、あの人」
昔からヨルを知っている守り人たちが、褒め称えている横で、イレクトは口を噛んで立っている。
「なんだよ、あれは」
「そうだよねえ。そんな気持ちになるよなあ」
ギリアムに同意されて、キッと見るが、ギリアムの視線は冷静だった。
「あの人は実力者だから」
「あんなの人じゃないだろ!?」
「だから、あの人は守護者なんだって」
「え?」
「あえて言うなら守護者っていう分類なの、あの人は」
「は?」
ギリアムや他の守り人が同じような顔で、イレクトを見ている。
「あの人が守護者。もうずっとここで守ってくれている人だ」
「守り人が勝てない相手も、どうにかしてくれる人だよ」
「けど」
ギリアムが笑う。
「何か言うなら、同じ事してから言ってみ?」
ギリアムの傍に、自分の腕を持ったカチュアが立つ。
「あの、守護者様にこれをいただいて。これを巻けばまだくっつくからって」
「おお、じゃあ、くっつけよう」
「はい、お願いします」
一緒だと思っていたカチュアが、ギリアムの方へ行ってしまったことに、イレクトが愕然としていると、同じ新人のセイルがポンと肩を叩いた。
「あの力を見せられて何か言うのは、今は無理だよ。次に会った時に話してみようよ」
「…分かった」
セイルの気配からまだ、どちらの意見も取らない様だったが、あれを撃退したのは守護者だという事実は変わらなかった。
「クソがよ」
小さく言ったそれに、セイルが肩を竦めた。
トラストの所に行った時には、随分と怪我人が転がっていた。
幸いだったのは、何処かで腹ごしらえをしたようで、“厄災”の食欲がそんなにない事だ。
「ヨル様!」
「下がれ!!」
空から降りてくるヨルを邪魔しないように、ザッと軍隊が動く。
戦いに特化している分、こういう時は素早く動いてくれる。
ヨルがパネルからレーザーを打ち出す。
しかし“厄災”はそれを吸収して不気味に笑った。
「やっぱりお前は面倒だ」
ヨルが呟いて、大型の剣を出す。剣と言ってもエンジンが付いたヨルの身長の3倍はある代物だが。それを両手に持って、もう一度空に浮かぶ。
勢いを付けて、“厄災”の上に落ちる。
深々と、剣が食い込んだ。意味不明の叫びを上げて、”厄災”が地面に潜る。
剣を引き抜き、地面に開いた大穴を覗き込んでから、ヨルは溜め息を吐く。
トラストが近付いた。
「申し訳ありません。我々だけで対処できませんでした」
「あいつらはすぐ逃げるから、仕方ない。状況は?」
「死者は出ませんでした。怪我人はいますが」
「後で報告を出してくれ。至急で出て来たから、説明に戻らなければならないんだ」
そう言ってまた飛んで行くヨルに頭を下げたトラストは、部隊に都市への帰還を指示した。
空を飛んで帰っているヨルは、この後の面倒な説明をどうしようか悩んでいる。特に主治医には、どう言えばいいだろうか。
丁度、治療終了となった時に守り人の通信が入ったから、治療後の検査など受ける暇もなかった。そのまま上に上がって、そのまま別大陸まで飛んだのだ。
少しは会話した気がするが、説明はしなかったような気がしている。
緊急事態だったで、納得してくれるだろうか?
世界巡る昼と夜の物語 棒王 円 @nisemadoka
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