黒詐偽




 深い場所で溺れている気分だ。

 治療の機械に入るたびに、ヨルはそう感じる。

 呼吸は出来ているし、思考も止められてはいないのだが。


 たとえ深度が20でも30でも、もう思い返して悲しむ感情は無い。

 本当の所の喜怒哀楽は、遠の昔に無くなってしまっただろう。


 せいぜいが快不快の違いぐらいか。

 感覚はあるが動かせない身体でヨルは考える。

 いま、自分に良くしてくれている人たちも、同じだと言われるが、一番長生きで300年だ。自分の半分以下の年数ならば、まだ感情が動いたりするだろう。


 生きていても死んでも一緒だから、望まれている生を過ごしているだけで。

 これ以上はもう嫌だと、飽いたと思っていた。


 それが、こうやってまた生きる為に治療をするとは。

 人という物は業が深いんだな。




「あれ、珍しい。ヨルが深度の中で何か考えている」

 イーラは機械がつながったモニターを眺めながら呟いた。

「いつもはこんなに波が動かないのに。…何を考えている?」


 ヨルが治療されている根に巻かれた状態の物を、イーラが眺める。

「あの娘は、ヨルにとっても大事という訳か?」

 それは良い事だと、イーラは微笑む。


 ここ100年ぐらいの間、ヨルは前を向く事を止めていた。

 地上はなるようになればいいと、そう思っていたはずだ。

 あの娘がいれば、いる間は良くしようとするだろう。


「いい傾向だ」

 停滞を望む守護者に困っていたからだ。

「ヨル?君にはまだまだ生きて貰うよ?」

 イーラの呟きはヨルには聞こえない。



 ヨルのモニターを眺めているイーラに、地上のイーラから連絡が入る。どうやらハウトからの連絡らしい。緊急ではなく情報として入れてくれという事だが。

 文章が流れるサイドモニターを見て、イーラがひひっと笑った。



 ニライカナイの話を聞いていたディナは、急に口を閉じてどこかを見ているイーラを見上げる。けっこう良いところだったのだが、彼女は眉を顰めてどこかを見ていた。

 ああ、これって通信している顔に似ている。


 イーラは通信機やインカムを持っていなさそうなのだが、内部で同期している彼女らには独特の通信があるのかも知れない。

 イーラがこちらを見るまで、ディナは本を見て待っている。


「…あのね~、ディナちゃん」

「なに?イーラさん」

 戸惑う様にそっと、イーラが話してくる。本にしおりを挟んでから、ディナはイーラを見る。見られているイーラはちょっと言いづらそうだった。


 あれ?まさかヨルの話?

 なにかあったの?

 少し焦った顔のディナに、イーラは両手を振って誤解を止める。


「ああ、違う、ヨルの話じゃなくて~。あ、いや~、近いのだけど」

「え?何の話ですか?」

 首を傾げるディナに、イーラも話しづらそうに言った。

「もしかしたら~、ヨルの偽物が~来るかもしれないから気を付けろ~って」

「はあ?」

「なんか~真似をしている子供が何人か、悪さを始めたみたいで~。今はまだ静観しているって言う話なの~」

 ディナが少し怒って話す。


「ヨルの偽物とか有り得ない。あんな美形は他にいないよ?」

「うん、分かるわ~」

 ディナの怒りに、イーラが頷く。


「銃の腕は、まあまあ~使えるらしいから、気を付けるようにって」

「それだけじゃ」

「そうなのだけど~万が一もあるからね。この世界は~」

 苦笑するイーラにディナがゆっくりと頷く。

 そうだ、ふざけても死んでしまうような世界なのだ。


 でも、ヨルのふりをするなんて、最大のおふざけをした人たちは、助かるのかな?






 荒野をバイクが走っていく。そのタイヤが砂を巻き上げる。

 ゴーグルの下の目がすっと細くなった。

「あっつ」

 黒い服を、片手でバサバサと煽りながら、バイクを走らせる。

 もう少ししたら、街に着くはずだ。


 着いたら水を貰って日陰で休もう。

 こんな荒野を日中に走るのは、異常行為なのでは。

 脱水症状寸前で、小さな町に入った。


 黒い恰好の旅人を、街中の人が訝しげに見る。

 何を見ているのか、分からないが。街中の井戸を探し、傍に居た女性に聞く。

「この水、貰っていいかな?」

「ああ、旅人さんかい?どうぞ」

「ありがとう」

 にっこりと笑うと、女性は不思議そうな顔で、その場を離れた。

 からからと釣瓶を落として水を組み上げる。

 ああ、うま。


 木陰に入って、水筒に入れた水を飲み、街を眺めた。

 今日の守り人の宿は、どんな感じかな。

 溜め息を吐いて、もう一回水を飲む。


 黒い服なんて、どうして着てるんだろうな、守護者って。

 僕には全然分からないや。

 汗を拭きながら、イレクトはまた手で仰ぐ。


 バイクで此処まで来るのだって、疲れるのに。ずっとそんな事をしているとか信じられない。


 しかし、今回の任務は、黒い服を着てバイクに乗って、守護者の真似をしている奴を見つける事だから、仕方が無い。

 髪を染めたりはしないのだから、僕が黒い服着る理由なくない?


 守り人の宿に行くと、前に古いバイクが止まっていた。

 中で怒鳴り声がする。

「俺が来たんだから、無料で泊めろって言ってんだよ!」

「あなたは守護者では無い」

「はあ?何処から見ても黒い守護者だろうが!」

 ああ、中にいるよ。もう。


 僕はインカムで、外を走っているギリアムさんに連絡を入れる。

「ギリアムさん、一人いた」

『マーカーを付けろ。こっちで追跡する』

「了解」

 中に入って、出て行く男とすれ違う。

 随分、怒った顔をしている。すれ違いざまに小さな機械を付けたけど、全然気が付かない。呆れて見送った後に、宿の中で主人に会う。

 また来たぞ、みたいな顔をされた。僕の格好も、変装風なのかな。


「判別機、ありますか?」

「あ、おう」

 じっと見ていた主人に手のひらを見せる。

 守り人は、組織に入る時にいろいろ登録されている。


 移動した時に、仲間か疑われることが多いので、判別機がそれぞれ置かれている。その存在を問うただけで、仲間と思ったようだが一応、手の平を乗せた。

 ピコンと、小さな電球が光る。


「守り人か。どうしてそんな恰好を」

「巡回機動隊、所属のイレクトといいます。守護者の偽物を取り調べて回っています。最近増えたそうで」

「ああ、巡回の人か。まあ、増えたねえ。生活が厳しいのか知らないけど、何処でもタダだと思っているみたいで」


 じっさい、守護者はただで泊まっていくらしいけど、代わりに必ず町で大量に買いものをしていくらしい。経済的には潤う訳で。


「…無料でって俺達が言うだけで、守護者様は払うだろうと思うよ」

「その話だけ、出回っているんですねえ」

 迷惑な事だ。

 僕達だって、ただで生きている訳じゃないのに。


「何かあったら、また来ます」

「ご苦労様」

 宿に泊まるのは、無しになってしまった。

 バイクに乗って、車を追跡する。捕まえていてくれたら、尋問しないといけない。

 早く追い掛けないと。

 アクセルを開いて、急いで町を出る。遠くに砂煙を視認してからそちらに向かった。


 僕にとっては、守護者はあまり関係が無い。

 実物を見た事がないし、年齢の高い人が会って崇めているだけの存在だと思う。

 守り人の中の巨大組織、黒神軍が狂信的に言っているけど、僕らみたいな新しく入った守り人は、あまり守護者のいる意味を納得していない。


 守り人の組織だけでいいんじゃないかって思う。

 守護者って必要あるかなあ。


 ギリアムさんの足元に転がる男を見る。尋問はもう終わったようだ。

 僕がやるよりは甘かったようで、こっちを睨んで見ている。何で折らないかな。

 ギリアムさんが僕を見て苦笑する。

「もういいから」

「自白したって、再発防止にはなりませんよ。徹底的に壊しておかないと」

「やめなさいって」

 止められたら、これ以上はできない。


「イレクト、暴力だけで治めてはいけない」

「…ギリアムさんは甘いんですよ」

「力だけで治めるなら、守護者様に俺達は誰も敵わないよ。それでも一緒にって治めているんだから」

「…見た事ない人の事を言われても」

 ギリアムさんが苦笑する。なんだよ。


「いずれ、我々の本部にも来るから、その時に会ってみればいい」

「その時に居ればですけど」

「会ったことが無い者は、集めよう」

「え、と」

 そんなに会う必要あるか?

 僕がはっきり答えないのを、ギリアムさんが眺めている。


 そこまで言うなら、会うけど。

 必要ないと思うけど。

 守り人全員でかかれば、すぐに死ぬと思うけど。


 僕の顔を、ギリアムさんがじっと見ている。

「あまり、生意気な事を考えていると、良くない事が起きる。古参と舐めるのは本当の実力が着いてからにするんだな?」

「はい、すみません」


 睨まれて、肩を竦める。

 僕達、若い者がいなければ、守り人なんて続かないくせに。


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