ニブルヘイムの世界樹




 ディナの疑問はすぐに解決した。


 夕食にと向かった食堂に、ヨルとディナが着くころにほぼ同時に入って来た人物がいた。緑色の髪で濃い緑の目をした少女が、ヨルに近付く。

 肌は白い色をしていた。


「…出て来ていいのか?」

「ヨルの娘が来ているのに、挨拶もしないのは礼儀に反する」

「そうか」

 肯くヨルがディナを椅子に座らせる。自分は立って、少女が座るのを待っている。

 全員が座ってから、食事が運ばれて来た。


 少女がディナを見る。

「改めて。イーラ=レーベンという。ヨルの主治医をさせて貰っている」

「…初めまして」

 ディナの返事に、イーラが微笑む。


「会ってはいるが、この私とは会っていないと言うだけだ。あなたが会った者も、私の一部だから、初めましてではないよ」

「でも、もっとずっと大人の人みたい」

 ディナの言葉に、またイーラが微笑む。


「医者然としている事を、自分に課している。それだけだよ。勿論神話も大好きだが、私には時間が足りない。だから他の者に担当して貰っているだけだ」

 本当に、大人のお医者さんだとディナは思った。

 姿は少女なのに、さっきまで一緒にいたイーラの方が子供っぽかった。


「姉妹とかだと思っていればいい?」

「理解が難しければ、それで構わない。要は私があなたの大事な人を治療する事を知っていてくれればいい」

「分かった」

 食事は美味しかった。それに新鮮だ。

 周りにいるのは全部緑色の人物で、少女も淑女も全部同じ人だ。

 けれどそれぞれ少しずつ、個性があるように見えた。一番透明なのは本人だ。


 肌の白いイーラは本当に、透明で綺麗だった。

 透明はディナの感じたイメージだが、間違っていないと思う。


 その後お風呂に入って疲れたディナは、この世の不思議を考えながら眠りについた。だからか、何時もは見ない夢を見たらしい。


 ディナは目を覚ました時に、ぼんやりと夢を覚えていた。

 白い部屋で、たくさんのチューブに繋がれて。

 いっぱい考えなくてはいけなくて、毎日大変で。

 それでも、兄が生きているのが嬉しい。


 しかし何時もはあまり見ない物なので、顔を洗って歯を磨いているうちに、夢の内容はどこかへ消えてしまった。


「おはよ、ヨル」

「…おはよう、ディナ」

 こうやって、寝起きのヨルを見ると、やはり顔色が悪い気がする。

 此処に来たのは、治療のためなのだから、治ると信じよう。


 半目で髪をかき上げて黙っているヨルは機嫌がよろしくない。それは自分でも分かっているらしく、バルコニーに出て煙草を吸うようだ。


 ノートさんが、ヨルは昔から寝起きの機嫌が悪いと言っていた気がする。

 元カノのいう事だから本当なのだろう。


 思い出してちょっとディナの機嫌が悪くなった。


 元カノっていっても、昔の話だし。

 今のヨルを見ているのは自分なのだから、これから覚えていけばいい。誰かの噂話ではなく、自分の目で見て覚えればいい。

 ヨルは寝起きが悪いって。


「どうした?」

 ディナの顔を見て、バルコニーから戻って来たヨルが声を掛ける。

「なんでもない」

 そう言った声が少しだけ不機嫌なのを、ヨルは気にした。


「…すまないディナ」

「え?」

「……俺は寝起きが悪い。あまり機嫌のいい顔が出来ない。だからなるべくディナの横で寝ないようにしていたのだが、今日は一部屋だったし、その」

 ディナが笑ってヨルに飛びつく。驚いたヨルはディナを抱きしめるが、首を傾げた。


「そんな事を気にしていたの?私は機嫌が悪くてもヨルが傍で寝てくれる方が良いよ?だって安心しているって事でしょう?」

「…ディナに警戒はしないが」

「うん。これからは一緒に寝て?ムッとした顔も見せて?」

 物凄く嬉しそうなディナに、ヨルの方が混乱する。


「?…そう、か?」

 満面の笑顔でいるディナに、まだヨルは首を傾げていた。



 診察と治療のために、別の場所に行くと言われたディナは、仕方なしと頷く。

 旅を途中でやめてくるほど、ヨルは辛いのだ。


 何処かへ行くヨルに手を振って、後ろで待っているイーラに振り向く。

 蔵書を読ませてくれるらしい。

 心配はしているが、興味とはまた別物なのだ。


 身長の高いイーラと並んで歩きながら、まだ見ぬ神話に心を馳せる。



 ヨルは館の奥の、小さな扉を開けて、9と書かれたボタンを押した。

 扉が閉じた箱が少し震えて、ゆっくりと下に向かって降りていく。


 一階ごとに薄い膜が感じられる。それは階層を分けているナノマシンであり、防御のための仕掛けられた罠であった。

 一階ごとに温度が下がっていくのが分かる。


 ヨルが9階に着いた時には、ヨルの吐く息は白くなっていた。

 気にしないで箱を降りたヨルは、廊下の奥の扉を開ける。

 その大きな部屋にはもう、イーラが待っていた。


「今回は、随分やられたね?」

「まさか、ここまで悪化するとは、ノートも思っていなかっただろうが」

「うん、そうだね。まあ事故と言えば事故だろうけれど」

「…調べ済みか」

 ヨルがついた溜め息に、イーラが小さく笑う。


「患者の事を、調べるのは普通だろう?」

「時間を戻して調べられるのが普通と言われると」

「企業秘密です」

「…教えろとは言わない」

 ヨルの言葉に、イーラが肯く。


「ヨルはそれ以上の力を手に入れない方が良い」

「時間の逆行は少し欲しいけどな」

「…機械にならないとできないよ。負担が多すぎる」

「誰かがなったと。…まあ、追及はしない」

 イーラが診察用の椅子をヨルに進める。

 そこに座ったヨルは、目の前のイーラに問いかける。


「高地にするとか言っていたが?」

「ああ、あれね?」

 機械を持ったイーラがクスッと笑う。


「可愛いだろう?君が余生を過ごせるようにと考えたらしいよ?」

 それを聞いて、ヨルが口を閉じる。

「彼女たちも、君を心配していると、そういう事だ」

「止めてやれ」

「…自主性を重んじています」

「お前は」

 イーラがヨルに触れる。

 その眼が、じっと身体を見ている。


「触診するけど」

「いちいち断るな」

「だって、ハウトが触手映画だって言うから」

「…それを、受けている俺に言うな」

「あいつはエロ過ぎだよね?君に関してだけ」

 ヨルは口を閉じて、返事をしない。イーラはクスッと笑ってから辺りから生えてきたうねる根っこをヨルに纏わりつかせる。


 それがヨルの表皮を撫でて、イーラが機械に数値を入れていく。

 暫くはカタカタと入力しているイーラの指先が発している音だけが、部屋の中に響いている。ヨルは若干息が乱れているが、荒い息という訳でもない。


「うん。確かに深度2では無理だね」

「深度3か?」

 問いかけたヨルを、イーラがチラッと見る。

「深度4で治したい」

 ヨルがグッと息を飲んだ。

「…なんで」

 イーラがニコッと笑う。


「君ね、長生きしなさいよ」

「…しかし」

「どうせ半月もかけるんだから、少し戻しなさい」

 イーラを見ながら、ヨルが溜め息を吐く。

「どれぐらい戻る」

「深度4にするだけだから、5歳ぐらいだよ」

「それぐらいなら」

 何かを気にしているヨルを見て、気付いたイーラがくすくすと笑う。


「20が25になっても、娘は気が付かないよ」

「お前な」

「娘がいないなら、深度10を試すつもりだった」


 暗く強いイーラの目を、ヨルが見返す。

「断るが」

「私がすると言ったら、全員を使ってでも君を捕まえる。この大陸の全部と戦う気かいヨル?」

「…それでも、また、700年も生きるのは嬉しくない」

 イーラがきょとんとする。それからううんと唸った。


「そうか、ヨルはそうか、50代から変化したのか。そうか、うん。嫌か」

 もっと考えて行動してくれと思ったが、相手はマッドな医者だ。自分の意見はあまり聞かない事は知っている。


「じゃあ、機械を纏ってもらおうか」

「…よろしく頼む」

 ヨルは移動して小さな半円の中に満たされた溶液の中に入る。勿論衣類は着けていない。ゆっくりと入り、渡された機械を手に取る。

「ヨルが思っているよりは、中が壊れている。時間は少し猶予をくれるだろうか?」

「…分かった」

「君が分布しているナノマシンは、こちらで回収して記録しておく」

「壊しても良いが?」

 イーラが顔を近づけて、怒った口調で言った。


「アクワイアが回収するだろう。最近は彼女のナノマシンが蔓延っているからね」

「…任せる。俺の意識外の事は頼む」

「了解した」

 ヨルが機械を被って、首のあたりを触る。

 液体に身を沈めたヨルの身体に、外側から数えきれない数の根がからみ、半円の容器はすっかり見えなくなった。


「まったく、手のかかる患者だな」

 そう言ったイーラの口元は確実に微笑んでいた。




 イーラからの連絡を受けたハウトは、自分のパペットを操作する。

 この大陸への侵入を禁止する。


 急いで人々が集まり、大陸に繋がっている道を撤去する。

 細い道は、元々海に沈みそうなか細いものだ。

 それを人海戦術で取り除いた。


 そして自分の町の門を開閉禁止にする。

 もともと、この町を通らなければ、この大陸の奥には行けない形になっている。


 それから、機械を操作する。


 イーラからの依頼のナノマシンの調整と、守り人の通信の傍受。

 それから完全機械体の用意。


 守護者のいない半月は、完全武装しても足りないように思えた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る