アースガルズの世界樹
町の行く先には石畳が引かれている。
その作業は多くの人が行っていた。人々が手作業で木を切り土を慣らし、石を敷き詰めている。沢山の作業者は、ヨルを見ると頭を下げる人が何人もいる。
という事は。
バイクの上で、ヨルの服を引っ張る。
「あの人達も?」
「…この大陸には、二人しか住んでいないんだ」
「ええ?」
聞き間違いかと思った。
こんなに人がいるのに。
木々が生えている道脇を見て、ヨルがバイクを止めた。
「どうしたの?」
「いや、見間違いかと思ったんだが」
バイクを降りて、ヨルが木の傍まで歩いていく。
ディナも後をついて行く。ヨルは不思議な木の傍で立ち止まった。
小さな木だ。ディナと同じくらいの大きさの木は、幹も根も枝も葉も、全てが緑色の木だ。珍しいと言うか、見た事がない。
ヨルはその前で溜め息を吐いた。
「ここまで来たのか」
何故か木に話しかけている。
ざわざわと木が動いたような。
葉が揺れている気がするが。目の錯覚だろうか。
「しばらくしたら、そっちに着く」
また木が揺れた。
絶対に会話している。
ディナはじっとその動く木を見た。気配は普通の木々と変わらないのに。
「…ヨル?」
「後で分かるよ」
そう言ってから、しみじみとディナを見つめる。
ディナが首を傾げると、ヨルが小さく笑う。
「ディナは飽きないと思う」
「え、どういう事?」
「うん。会えば分かるから」
それだけ言うと、またディナを抱えてバイクに乗った。
しばらく道を走る。
整備されていて、石畳がなくても走り易い。
この作業が全部、パペットによってなされているとは考えづらいディナだが、通りすがりに見かける人たちは、全員がにこやかで不満もなく仕事をしているようで、それがパペットかもしれないと想像させられた。
素行の悪い人もいない。
皆が善人のように。
走り続けていると、時折奇妙な人を見掛けるようになった。
全身緑色の少女や女性だ。
髪は緑、肌の色は薄い緑。長い髪をして同じ色の薄緑のワンピースを着ている。
大体が作業をしている人に紛れて、立っているのだが。
段々と見かける数が増えていった。
それと共に、あの奇妙な木も、周りに増えていく。
普通の木は減少していき、緑色の木が林立している景色が多くなる。
道の端はもう、緑色が半分以上を占めている。
「ヨル~」
謡う様に少女が声を掛けてきた。
バイクを止めて、ヨルが近づいて来る少女を見る。
「もう少しで着くけど。その子の好きな食べ物ってなあに?」
ヨルの腕の中のディナを見ながら、少女が質問する。
ディナは不思議で仕方ないのだが、ヨルには普通の事の様で。
「肉が好みだが、辛いのは駄目だ」
「そっか~。分かった」
少女が離れていく。聞いて来たわりには何処にもいかずにその場で佇んでいた。ヨルがバイクを動かして、先に進む。
「ヨル?あの子は」
「…本人を見れば理解できる」
「そう?」
自分に理解が出来るのか、それは分からないが。
視界に大きな緑色が見えた。
だんだんと近づくそれに、ディナの言葉は出て来ない。
巨大な木が立っていた。
それは本当に大きくて、見上げても上が分からないぐらい。
真緑の木がそびえているその根元に、緑色の女性が立って手を振っていた。
その前までバイクを走らせたヨルが、よせてエンジンを止める。
「いらっしゃい、ヨル~」
「…久しぶりだな、イーラ」
女性が笑顔で話しかけてくるのを、ヨルが頷いて答えた。
しかし、ディナはその大きな木に心を奪われている。
イーラがディナの傍に寄る。
それを見ているヨルは、これから始まる事態を予想して、煙草を咥えた。
「お嬢さん、こんにちは~。そんなに眺めてどうしたの?」
「あの、これは、なんと言う木ですか?」
何かを期待するようなディナの口振りに、イーラの目がキランと光る。
後ろの方で、ヨルはバイクに寄りかかり水筒のコーヒーまで出していた。
「これはね、世界樹よ!」
「やはりそうですか!」
「あなた、話せるくちね!?」
「世界樹って、もしやここの名前は」
「ようこそお嬢さん!ユグドラシルで繋がる、アースガルズへ!」
「ああ!生きてて良かった!」
女性二人の興奮に、観察しているヨルが溜め息を吐く。
これは、長逗留になりそうだ。
何事か話している二人を眺めながら、ヨルは暮れていく空を眺めている。自分にも神話の話は知識としてはあるが、あの熱狂がヨルには無い。二人の会話には参加する気がなかった。
何本か煙草を吸ったヨルを、ハッとして二人が見た。
「ごめん~、ヨルを放置した~」
「ごめんなさいヨル!わたし、興奮しちゃって」
二人に向かって笑うヨルを、二人してじっと見る。
「良い男よね~ヨルって」
「激しく同意です」
何か言ってるなあ、ぐらいの感想でヨルは煙草を灰皿にねじ込む。
バイクから身体を離して、近づく二人を眺める。
「…俺の身体のメンテナンスで来てるって覚えているか?」
激しく頷かれて、ヨルが苦笑する。
「それは良かった」
ヨルが近付くと大木に連なる館の扉が開く。
勝手知ったる場所なので、ヨルはリビングへ入っていく。二人は慌てて一緒に中にはいった。
「ごめんね~。明日からするから、今日は休んで~?」
「分かった。ディナを徹夜させるのだけはやめてくれ」
「わかった~」
「…あと、半月は掛かると思う」
ヨルが言った言葉に、イーラが反応した。
「はあ~?」
柔らかくどすが効いている低い声で、イーラが唸る。
「なんだって~?」
「自分の身体だ。どうなるか分かっている」
イーラがグイッとヨルの顎を掴んで上を向かせる。
「ヨルはそんな事態になるまで、来なかったっていう事~?」
「緊急だ。ノートに書き換えをされた」
「はっ、あの無能がっ!」
床から木の根がにゅるりと出て来た。それがヨルの喉に巻き付いて撫でる。
「ああ、マジで中がやられてる。あの無能、許さない」
大変な事態なのは分かっているが、ディナは何とも言えない気持ちでそれを見ていた。イーラは体色が特殊だが、かなりの美人だ。
それに顔を上に向かされているヨルが、根っこに撫でられていて。
何だか物凄くいけない事のような。
床に根っこが消えて、怒っているイーラも自分で呼吸を整える。
「明日には徹底的に調べてから、治すけど。確かに日数がかかりそうね」
「その間、ディナが暇になるから、相手をしてやってくれ。良ければイーラの蔵書を貸してやって欲しい」
「あら、わかってるわよ~。大事な同志だもの~」
もうその認識か。
趣味の合う者同士と言うのは、仲良くなるのは一瞬なのだな。
軽く息を吐いたヨルの傍に、少女が数人近づいて来る。
ここに来るまでに見た、小さな緑色の。
ディナはイーラを見た今は、その姿がイーラにそっくりな事に気付いていた。
「ねえ、ヨル」
ディナの問いかけに、ヨルがディナを見る。
「この大陸には二人しかいないって」
よく覚えていましたと、ヨルがディナの頭を撫でる。
「イーラは、植物だ。正確には植物の特徴を持つ人間だな。ここに居る者も、外にいた者もすべてイーラだ」
「どうやって」
ディナの、その問いかけにはイーラが答える。
「地下茎で繋がっている先には、何処でも行けるわ~。この大陸の9割は行けるようになったの~」
「大きくなり過ぎだ」
ヨルの呟きに、イーラが微笑む。
「無理はしてないわ~。ハウトとも相談した結果だもの~」
「…そうか」
ヨルが頷くのを嬉しそうにイーラが見ている。
「しかし、大陸を持ち上げるのはやり過ぎだと思うぞ」
イーラが笑って向こうをむく。
「ここに来るときに長い上り坂になっていた。どう見ても100メートル以上は高くなっていた。何処までやるのか、聞いてもいいか?」
ヨルがにっこりと笑っている。
良い笑顔だが、目が笑っていない。
ディナは口を挟むまいと、目の前のグラスを手に取った。
余分な事は言ってはいけない時がある。
ディナは身をもって学んだ。
傍に居た少女も同じイーラなのだが、ガクブルしながらもお代りを注いでくれる。少しは自立しているのかも知れない。
地下茎と言ったから、繋がってはいるのだろうが。
イーラが向こうをむいたままヨルの方を向かない。
ヨルは煙草を出して口に銜えた。
火をつけてから、紫煙を吐き出す。迷惑そうにイーラがヨルの方を向いた。
「それが嫌いなのを知っていて吸うとか」
「普通の煙草は良いのにな?」
またヨルが笑う。
イーラが口をへの字にするが、ヨルの質問には答えない。
「…本気で、天空を目指すのか?」
ヨルの言葉に、グッとイーラが口を歪める。それでも答えない。
「この大陸が浮島のように、空中に浮くのは不可能に近い。重量が有り過ぎるからだ。無理矢理飛ばすなら多分、空中で分解して壊れる。結局イーラの木がある周辺しか残らないだろう。希望するのは勝手だが、海流の変化や気候の変化も考えると、無謀な事だと思う」
「…だって」
一言呟いてから、またイーラが黙る。
「天空都市が大きいのは、あれは」
ヨルが煙草を消して、鳥柄の煙草を取り出す。それに火をつけてからまた話し出す。
「あれは浮いてから後付で大きくしたんだ。調整しながら少しずつ都市を育てた。最初からこんなに大きな物は浮かばない」
「高くはできるもの」
「…高山にするのか?」
ヨルが疑問に思いながら、イーラに聞く。
黙っているディナの前には、数人の少女から差し入れされたお菓子が並んでいる。
「高地にしたい。昔のガイアナみたいに」
「ガイアナ…ああ、あの秘境か」
ヨルの知識ってどれくらいあるんだろうと、ディナが見る。
「高地にしてどうする?」
「…他の大陸とはあまり関わらなくて済む。私達だけでいればいい」
「それを、ハウトも了解していると?」
「していると、思う」
嫌な煙ではなくなったヨルのほうを見ながら、イーラが言う。
それでもヨルの返事を確認するぐらいは、ヨルが意見を握っている。
ユグドラシルまでもが、ヨルに意見を求めるのだ。
たった一人の、この世界の守護者。
わたしの親代わりは、なんていう人なのだろう。
ディナはお菓子を齧りながら、二人の会話を眺めている。
「現実的な話をしよう。高地になるという事は地面がむき出しになるという事だ。そのむき出しの部分を全部カバーできるなら、高地になっても良いとは思う。好き好きだし」
「う、ん」
「その部分を全部イーラが担うとして、今のところ150メートルぐらい上がっているのだろう?それの20倍だ。それはどれくらいの年数をかけてやる気なんだ?300年ぐらいか?」
イーラがヨルを見ている。
ヨルは置いてある大きな灰皿に煙草を押し付ける。
「300年」
「本当はもう少しかかると思う。上に行けば行くほど押し潰れる場所が増えるだろうから、それを補修しながらやるとなると、もっと先かな」
「…500年ぐらい?」
ヨルが笑う。少し残念そうに。
「そこまで掛けてやるなら、やればいいと思う。俺は完成を見れないとは思うが」
「あ」
ヨルの言葉にイーラが小さく声を出す。
この人に、あと500年は、無理な話だろうか。
どちらにしろ、ディナにとっては関係ない話だ。自分の寿命は普通に70年ぐらいだろう。
「ヨルは私が生まれる前からいて、まだずっと生きてると思うから」
「さすがにあと、500年は無理だ」
ヨルはもぐもぐと食べているディナを見て苦笑する。
「詰まらない話につき合わせたな。夕食は入るのか?」
「半分ぐらいはいると思う」
お菓子は別腹。そう思いたいディナはまだ大丈夫と自分を鼓舞する。
「イーラ、夕食と風呂とベッドを頼む。今日はもう喋りすぎて疲れた」
ヨルはディナを抱きかかえて立ち上がり、食堂に向かった。
その言葉が、目の前にいたイーラに言っているように見えなくて、ディナは首を傾げた。まるで離れて遠くにいる人に言うような話し方だった。
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