パペットワールド
バイクが走っていく先に、細い道が見えた。
それはとても細くて、波打ち際でようやく存在しているような道だった。
「海だね?」
「そうだな。この先は外海になる」
「がいかい?」
「今までいた大陸の外側の土地に行く。外海に独立して存在しているのは、この先の大陸だけだ」
細い道は今にも波で消えてしまいそうに、頼りない。
「ちょっと怖いな」
服を手で握ってきたディナを、ヨルが片手で抱える。
「なるべく早く走るが、長い道だ。捕まっていてくれると助かる」
「うん」
肯いたディナが、しっかりとヨルに捕まる。
走り出したバイクの下で、海水が跳ねて散る。
今までの砂と違う音に、ディナは緊張していたが、何もない水の上はこの上なく退屈だ。そして日差しが眩しかった。
目を細めてなるべく先を見ているが、やがて眼が閉じていく。
完全に寝てしまったディナを抱えたまま、ヨルはバイクを走らせていく。
この道は人口の道だ。
ヨルがバイクで移動するようになってから作られた。
それまでは船で移動していた。内海と違って外海は波が荒い。潮の流れが混じっている場所もあり、昔は大変だった。
今はバイクの振動だけで、船酔いにもならない。便利になったと思う。
日が傾きかけた時に上り坂に差し掛かった。
ヨルがバイクを止めてそれを見上げる。
それから盛大に溜め息を吐いた。
以前は上り坂などなかった。つまりはこの先の大陸の、地面が浮上して上がった、という事だ。
やりやがったな、あいつ。
心の中で、些か悪い言葉で友人を罵倒した後、ヨルが再びバイクを走らせる。
緩やかに上る坂は丁寧に作られていて、バイクが止まる事はない。
登り切った先には、街が見えた。
また、発展しているな。
石畳を走らせながら、腕の中のディナを起こす。
「ディナ起きてくれ。もうすぐ着く」
「へ、は、ふん?あ、ごめんね、ヨル。寝てて大変じゃなかった?」
起きたディナは聞くがヨルは首を振る。
「いや、大丈夫だ。それよりも町に着く」
石畳の上を走っているバイクの音に、ディナが不思議そうな顔をしたが、驚きはそんなものではないと知っているヨルは何も言わずに、ゆっくりとバイクを走らせた。
「あ、ヨル様だ」
町の入り口で、門番がにっこりと笑った。
名前の入った石造りの門に、人が二人立っている。そのうちの一人が笑顔で言った。
「やあ、通らせてもらうぞ」
ヨルが言うと、重い音をさせて石造りの扉が開く。
その中に入ったバイクを、街中の人たちが見た。数人が笑顔になり、数人が頭を下げた。
ディナはびっくりする。
街の中はたくさんの人であふれていた。道沿いには店が並び、露店も出ている。子供連れの母親や、飲みに行くのか騒ぎながら歩いている男達もいた。子供は早足で家路に向かうのか、バイクの横を通り過ぎる。
街灯が火をともし、石畳にたくさんの靴音が響く。
食事処には何人も座って、店を覗いている人もいた。
その中を、ヨルのバイクがゆっくり走っていく。
「…これはすごいね」
興奮しているディナをヨルが見る。
「……そうだな」
何かの入り口にクローズの看板を下げて、歩いて行く人。
腕を組んで歩く男女はカップルかもしれない。
ディナはその街並みが、キラキラと光っているように見えた。
やがてヨルのバイクは町の奥、お屋敷の前に着く。
ここにも門番がいて、ヨルを見ると頭を下げて門を開けてくれた。
中に入ると、町の喧騒はうっすらと消えて静かになる。
寂しいと感じるほど賑やかだった町をディナが降り返る。
門の向こうに、明るい光が灯っている。
大きな扉の前でヨルがバイクを止めて、ディナを抱える。
「歩けるよ?」
「…これでいてくれ」
「え、うん。分かった」
少し恥ずかしかったが、ヨルの行動には何かの理由があると理解しているディナは、そのまま一緒に中に入る。
メイドと執事が頭を下げて、入り口を開けてくれた。
中は広くて豪華だった。
ふかふかの絨毯に綺麗な調度品。まるで昔の貴族のお屋敷のようだ。
そういえば。
町もそんな感じだった。中世時代の栄えた街。
前を歩く執事も、まさしくそんな感じの。
「主人がお待ちでございます」
「ありがとう」
ドアを開けてくれた執事に礼を言って中にヨルが入る。
閉まったドアを背後にして、ヨルがディナを降ろした。
部屋の中はこれでもかと、人型で埋まっていた。
その中で男が人型に何かをしている。その手を止めて振り返りヨルを見た。
「どうだ?」
少し枯れた声で男が聞いてくる。
「過剰なぐらいだな」
ヨルの返事に男が笑った。
「賑やかな方が良いだろう?お前が来ると思って、結構頑張ったんだぜ?」
「それはどうも」
ヨルは色々な物に埋もれたソファから物をどかすと、そこに座ってディナを呼んだ。近寄って隣に座る。
面白そうに見ていた男も、相向かいのガラクタをどかしてソファに座った。
「ようこそ、パペットワールドへ」
ディナに向かって男が手を広げてそう言った。
「パペットワールド?」
「そうだ。どうだった?」
ニヤニヤしながら男が聞いてくる。
「綺麗だった。あと賑やかで良かった」
町の感想だろうとディナが答えると、男は満面の笑みで頷く。
「そうだろう?」
「うん」
素直なディナに男は頷く。隣でヨルが溜め息を吐いた。
「…増やし過ぎだろう」
「そうか?まだいけると思うけどな」
ヨルに男が言うと、またヨルが溜め息を吐く。
二連続?とディナがヨルを見上げる。
「ディナ。こいつがパペットメーカーだ」
「よろしくディナ嬢。おれはハウトと呼んでくれればいいよ」
「ハウトさん」
「そうそう。可愛い子だなヨル?後で型を取らせてくれよ」
「断る」
ヨルの言葉にハウトが大笑いする。
「…ディナ。この町にいるのはこの男一人だ」
「え?」
ニヤニヤしているハウトの前で、ヨルが冗談を言っていると思った。
ノックの音がしてメイドがお茶を運んでくる。三人分のお茶をテーブルの上に置き、お辞儀をして部屋から立ち去った。
「…え?」
出て来たお茶を見ながらもう一度ディナが疑問を口にする。
「ここはパペットワールド。パペットの町だ」
「普通は信じないよヨル。理解が出来ない」
ハウトの言葉に、ディナの背筋がぞわっと粟立つ。
「え、あの、町が」
「賑やかでいいだろう?ああいうのを求めている人は多いよな」
少し溜め息交じりで、ハウトがお茶を飲む。
向かい側のヨルも、茶器を手に取った。
「昔の、人がいた時代が懐かしいのだろう」
「地方の町から注文が入る。高いと文句を言われるが仕方ないよな?」
「…送っているのか?」
「まあ、金になるし」
ハウトの言い草に、ヨルが息を吐く。
ディナはその二人を見ながら、まだお茶も飲めない。
あれが全て、パペット。
「中に人が入っているの?」
ハウトが小さく笑う。
「おれの町に人はいらない。全部ただのパペットだ」
「どうやって動いているの?」
「それは秘密だよ。真似されると困るからね」
にっこりと笑われた。
息を吸ってはいて。そうやってからディナはお茶を手に取った。
「…いい子だな」
ハウトが呟く。ヨルが見ると少し笑う。
「理解してくれようと、努力してくれるのは良い人だ」
「お前を理解するのは大変なんだよ」
ヨルの言い草に、ハウトがにやつく。
「この先に行くのか?」
「ああ、イーラに用事がある」
「また、無茶したのか」
それには答えないヨルに、ハウトが眉を下げる。
「お前がいないと面白みが凄く減るんだから、長生きしてくれよ?」
「まあ、…前向きに検討するよ」
いつもと違う返事に、ハウトがディナを見た。
それから嬉しそうに笑いだす。
「そうかそうか。ディナ嬢も長生きしてくれ。頼むよ」
「え、はい」
いきなり言われたディナは変な返事になったが、ハウトは気にしない。
「そうか。ヨルが長生きしてくれるか。俺も頑張らないとな」
「…それで、相談がある」
「ディナ嬢がいても?」
ハウトがディナを見る。
「寝室とかあるか?」
「あるぜ?掃除してくれているし」
ハウトがパチンと指を鳴らすと、先のメイドが入って来た。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
「ディナ嬢を客室に案内してくれ。粗相が無いようにな」
「はい、かしこまりました。ディナ様こちらへどうぞ」
「ヨル?」
問いかけられたヨルはにっこりと笑う。
「此処は何処よりも安全だ。安心して寝ると良いよ」
「ご飯どうしよう?」
ヨルがぱちぱちと瞬きをする。
「ああ、そうか」
「話の途中でも、食堂に用意させるけど。一緒に食べるか?」
「…少し眠いから今日は一人でもいい」
ハウトの言葉に、確実に食べたら寝ることを理解しているディナが自主的に申告する。
「じゃあ、彼女の部屋に夕食を運んでくれ」
「分かりました」
ディナが手を振ってメイドの後を付いて行く。それに手を振り返してヨルが笑う。今日に限っては安心安全だ。
「さて、ディナ嬢には聞かせられない話をしようか?」
「…そうだな」
ハウトは立ち上がって酒瓶を出してくる。
「今日ぐらいは良いだろう?お前の言う通り、ここの土地は何処よりも安全だ」
「まあ、な」
懐から煙草を出して、ヨルが頷いた。
見た事もない部屋に案内されてディナは動けない。
これはお姫様の部屋だ。
美しい調度品も壁紙も、猫足のバスタブも何もかも物語の中でしか知らないものだ。ここ以外は荒野が広がる世界なのに。
白い小さなテーブルに出された食事も、高級な食器で出されて戸惑うばかり。
極めつけは天蓋付きのベッドで。
自分が一体何処にいるのか分からなくなりそうだった。
ディナの傍にスカサハがいるのが、唯一の現実味。
これがパペットワールド。恐るべし。
そう思いながら、ふかふかのベッドですぐさま眠りについた。
「はあ、そういう事かあ」
ハウトがグラスに酒を注ぎながら呟いた。
「…ディナが来てから動きが活発だ」
「お前が誰かを連れているなんて、前代未聞だからだろ?」
「そうか?」
疑問を口にするヨルに、ハウトが大袈裟に腕を振る。
「200年ぐらい、誰も傍に居ないだろ」
「……そうか」
考えてから、ヨルが肯いた。
最後に同居していた人物を眺めてグラスを傾ける。
「あの女が邪魔なら言ってくれ。今すぐにでも機能を止められる」
「…お前が言っていた事が、こんな後になって分かるとは思わなかった」
「おれはお前を気に入っている。一緒にいた時から言っていたはずだが」
「まあ、うん」
ヨルはあいまいに頷く。
「お前の身体はパペットにはできない。それが悔しい」
「絶対にならない」
「ふはは。絶対という言葉は無効だ。おれにはな」
物凄い自身だと思うが、偉業を成し遂げた友人を見て仕方ないかと思う。
ある日、この男はパペットを作りだした。
そして試作を繰り返し作るために、ヨルと一緒に世界を回った。
昔はハウトのキャンピングカーで回っていた。その中で作っては失敗を繰り返し、練り上げて成功させた。その後にこの島に移り住んで名を上げている。
いまや、機械体の権威と呼ばれている。
ただの人嫌いとは、もう言えなくなっていた。
「とにかく、俺にも情報を流せ。世界が動くなら情報が欲しい」
「…分かった。通信を流そう」
「守り人のだけじゃなくて、他のも流せよ?」
「他のとは?」
「お前が個人的に流しているやつだ。ヴォルケとかに」
「うーん。それは聞いてからにする」
眉をしかめたハウトにヨルは肩を竦める。
「あれは貴重な情報だから、おいそれとは渡せない」
「まあ、情報も価値があるから仕方ないが。ヴォルケは何もしないだろう?」
ヨルが首を傾げる。
「あいつは戦力にはならないだろうと言ったのだ。お前の危機に立ち向かえない」
「ヴォルケは浮島管理で良いんだよ。それ以上はしなくていい」
少し立ち上がったハウトはまた座ってから、グラスを掴む。
「俺が提供できるのはパペットだけだ。仕方が無いが」
「…十分だ。いったい何に怒っている?」
ハウトが天井を見上げる。
「世界かな」
哲学か、とヨルが首を傾げた。
寝起きのレースの量に、驚いて目が覚めた。
美しい透かし模様の海。光が柔らかく満ちている。
何て高級な一瞬。
ディナがゆっくり起き上がると、待っていたかのようにドアがノックされる。
「はい?」
答えると、メイドさんが入って来た。
挨拶をされて身支度を手伝ってもらう。
お姫様待遇は、くすぐったい感触だが、一時的な物と割り切る事にした。
朝食の食堂に行けば、何時ものヨルがいてほっとする。
「おはよ、ヨル」
「おはよう、ディナ」
小さく笑うヨルの隣に座る。
日が射す食堂も、高貴で美しい。
しかし、目の前のハウトがただ一人で生きている場所なのだ。
美味しい食事も何時もはこの人だけで。
ディナの目線にハウトが眉を上げる。
「なにかな、ディナ嬢?」
「ハウトさんは寂しくないの?」
きょとんとした顔のハウトと笑ったヨルが不思議だった。
「おれが一人で寂しいかと聞いたのかい?」
「そう」
「寂しいと思ったことはないな。一人の方が良い。おれは我が儘だからな」
「そうなんだ」
そう言ってから、給仕をするメイドたちを見る。
確かに人はたくさんいるのだ。それが寂しいと思うのは、違うのだろうか。
ヨルは笑ったまま何も言わない。食事を続けている。
ディナも美味しい食事を続ける事にした。
食事の後に支度をしたヨルと共に、外に出る。
行き先は町を抜けた先、大陸の奥のようだ。
「じゃあ、またあとでな」
「ああ、また」
屋敷の入り口まで来たハウトは、外には出ない。玄関先にも出て来なかった。扉の内側で手を振ってそのまま扉が閉まる。
ヨルはディナを乗せてバイクをゆっくりと動かす。
門を抜けて街中に戻り、入った時とは別の町門を目指す。
何処かで鐘の音が鳴り、子供がバイクの脇を走っていく。
かばんを背負っているから、学校に行くのだろう。
井戸の横で数人のご婦人が会話をしていて、走る子供を叱っている。
商店が開き、バイクをゆっくりと動かしているヨルに挨拶する人もいた。
ヨルも笑って頷き返す。
門を開けて貰って、町の外に出る。
ディナは振り返って、街を見る。賑やかな発展している町が遠ざかっていく。
「ヨル?」
「この先は、もっと驚く事がある。今のうちに休んでおけ」
「え?どういうこと?」
あれ以上の衝撃など、ディナには考えられなかった。
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