神話体系
本当に、最近は皆、俺を舐め過ぎではないだろうか。
ヨルは眉をしかめて考えていた。
身体からは、小さなきらめきが立ち昇っている。
ナノマシンが地上の色々な所から情報を集めている。それはいざとなれば天空に力を借りて、全世界も掌握できるというのに。
まあ、まだ借りないけど。
ディナを守ると考えているヨルは、それなりに手配しているし、コトリにも連絡しているし、知り合いがそんなに少ないと思われているのも、何だか不満だ。
天空都市は全部で、NO12まで存在している。
その他に、天空に浮いている町が幾つかある。天空人は知っているが、地上人は知らない場所になる。
他に軌道衛星もあるし、その上に軌道ステーションもまだ機能している。
全部をあらわにして情報公開している訳でもないし、知り合い全てにあけすけにしている訳でもない。
バイクで走っていると、そこから考えられる力の範囲で、力量を測られている。
それはそれで、止める訳ではないが。
いちおう、守護者なんて名乗っているのだから。それなりに力は有る。
まあ、良いのだけれども。
ナノマシンを体に納めて一息つくと、ゆっくりとディナが目を覚ました。
「おはよ、ヨル」
「おはよう、ディナ」
「あの、昨日はごめんなさい」
「大丈夫だよ」
「でも」
ディナに屈み込みヨルが囁く。
「ここを出たら、ちゃんと話すから」
囁きは耳元でくすぐったかったけれど、何か秘密みたいで嬉しかった。
ディナが素直に頷いて、ベッドを降りる。
ヨルも降りて、ディナの手を握って診療所の外に出た。
ノートが見送りに出て来る。
「…気を付けろよ、ヨル」
「ああ、お前もな?」
「俺は医者だからな。そこまで不養生しない」
後ろの看護師二人がニコニコ笑っている。
ディナを抱き上げて、ヨルがバイクに跨る。アクセルを開けて走り出した。
見送ったノートが不穏なのはとっくに気付いていた。
仲間が敵になるのは一瞬だ。気が抜けない世界では仕方がない。
その分、ディナは素直だ。
少なくともヨルにとっては、他の人よりも信じられる。
質問攻めには少々困惑するが、その程度だ。
自分を全面的に信じて、全権を預けて来ている。
それ以上の信頼があるだろうか。
この関係が壊れないようにと、祈るほかはない。
この間まで走っていたトラストがいる大陸とは、別の大陸を走っている。ヨルとしては順番に回っていきたいのだが、今回は少し事情が違った。
ノートに中途半端にいじられた身体が若干不調なのは、旅を続けるか悩むところだ。
ふう、と着いた溜め息にディナが反応した。
「ヨルは大丈夫?」
スカサハが胸にくっついている状態で、ディナが聞いてくる。
視線を下にずらして、ヨルがディナを見る。
「ディナにお願いがあるんだ」
言われた言葉にディナが頷く。
「ヨルのお願いなんて、聞かない訳ないよ?」
その言葉がどれだけヨルにとって貴重か、ディナは知らない。
「身体の調子が戻らない」
「うん」
ディナが顔をしかめる。
診療所を出るまでに、ノートに嫌味交じりで忠告を受けていたから、少しは分かっている。
「だから、本当の主治医の所に行きたい」
「え?」
ディナにお願いの言葉の時から、バイクの周りに小さな光が煌めき出したのは、視覚的に分かっていたけれど、これは内緒話仕様なのだろうか。
「本当の、主治医」
「ああ、俺が信頼できる相手だ」
「…あの人は信頼できない?」
「自分の気持ちを優先させる人は、信用できるが信頼は出来ない」
「彼氏なのに?」
まだ疑っている。
少しハンドルが右に動いたのは、ヨルのせいではない。
「彼氏じゃない」
「でも、何かあったでしょ?」
じっと見上げてくるディナの視線に、ヨルが耐えられない。
「…一時期、付き合っていた。まだノートが女性だった時だ」
「え?ノートさん女性だったの?」
「昔はな」
ヨルが溜め息を吐くと、ディナは何度か肯いてからまたヨルを見る。
「俺の身体の変化を見て、自分も長寿になりたいと、人からパペットに身体を変えた。その技術が丁度成功した時期だったからな」
動くスカサハを押さえながら、ディナが口を開く。
「パペットになると、長生きする?」
「…そうだ。身体は作りかえれば良いし、脳は人工物になる」
「私もそうした方が良い?」
「パペット化には、あからさまな欠点がある」
ヨルが強く言った。
ディナは本気ではない質問をしたのだが、ヨルはディナの質問を危惧したらしい。
「欠点って何?今の話だと便利なだけな気がする」
小さく呟くディナを、ヨルが片手で撫でる。
「パペットメーカーには逆らえない」
「え?」
「パペットメーカーだけが、その技術を持って、作りなおすことが出来る。だから逆らう事が出来ない。逆らったらその瞬間に機能が停止して、乗っ取られる」
「死ぬんじゃなくて、乗っ取られる?」
ディナがぞっとしながら、ヨルに聞く。
「だから、パペットだ」
「それは皆、認識している?」
ディナの質問に、ヨルは首を横に振った。
「便利な機械の身体としか思っていないだろう。説明されないだろうし」
「え、説明しないの?」
「…あいつは、そういうやつだ」
少し諦めが入った言葉に、ディナは納得をした。
パペットメーカーさんは、きっと変わった人だろうと。
「丁度そこを経由していきたい所がある。そこに行っていいだろうか?」
「さっきの話?主治医さんの?」
「そうだ」
「パペットメーカーさんの所を通るの?」
「そうしなければ行けない場所だ」
ヨルが言うと、ディナは頷く
「わたしは、ヨルが行く先に異論はないよ?」
「…そうか」
「だって、ヨルと一緒にいるのだから、何処でも行くよ?」
スカサハを撫でながら、ディナが笑う。
ヨルは少し眩しそうに目を細めて、片腕でディナを抱きかかえる。
「じゃあ、向かおうか」
「うん」
バイクのタイヤが、荒い砂粒をまき散らす。
荒野を走る黒いバイクは、真っ直ぐに大陸の東を目指していた。
変わらない景色が続く中、ディナはだんだん退屈になる。
繰り返し撫でていたスカサハも、服の内側で寝てしまっていた。
「…ディナは神話が好きだといったな?」
珍しく、ヨルから話を振る。
「うん、そう。結構好き。興味ある」
ディナがヨルを見上げながら、話を続ける。
「神様とかは信じていないけど、神話は好き。なんだか空想の歴史書みたいで読みごたえがある」
「何処の神話が好きなんだ?」
「うわっ、それは難しい質問だよヨル!?神話好き界隈では論争になっちゃうよ!?」
大きな声でディナが言って、ヨルは少しだけ目線を下げた。
ディナの顔全部が見えたが、それはぎらぎらしている。
「だいたい、自分の好きな神話体系が一番だからね。その話以外を認知していても好きになれない人の方が多いよ?好き拒否ってやつだね」
「そうか」
頷きながら視線を前に戻すヨル。
これは、よっぽど好きだなと思った。
「わたしはねえ、そうだなあ。北欧が好きだけどケルト、フィンランド、ううん、アルスターかなあ。やっぱり、クー・フラン好きだしなあ。あ、でも、他も興味あるよ?エジプトも好き。体系も読みたい」
随分長く話すなあと、ヨルが思っていると、ディナがハッと気が付いた顔をした。
「ごめんね、ヨル。興味が無い人にはつまらない話を長くしちゃったよね?ごめんね?」
謝る所までが様式美なのかと、ヨルは頷いた。
日が暮れたので自動ハウスを出して、その中に入る。
目的地はもう少し先だった。
家の中で足を延ばしながら、ディナが溜め息を吐く。
「あのね、ヨル」
料理をしながら、ヨルがディナに視線を投げる。
「なんか、神話関係の本が欲しい。駄目かな」
「…そこの、テーブルの上に、ディナ用の注文書がある。それを使えば良い」
「え、どれ?」
リビングのテーブルの上を見たディナは、赤い色をした本を見つける。
注文書?そう思いながら手に取ると、ばらりと本が開いて、ページが光った。
「おお!?」
光ったページには文字が浮き上がった。
そして小さな羽の生えた人物が、笑顔でこちらを見ている。
「え?」
『初めましてディナ様。ようこそヴァサンドハンデルへ。わたくしは案内と相談を請け負います、パパガイと言います。お見知りおきを』
「ええと、パパガイさん?」
『パパガイとお呼びください。ディナ様が望まれるのはどんな商品でしょうか?』
綺麗な羽は常に動き、小さな光をこぼしている。
ショートカットの茶髪と黄緑色の目が、普段着に見える簡易な服を活動的に見せていた。
「…本が欲しいの、神話の本」
『書籍ですね。神話ですと、ベストセラーはこちらですね』
目の前にくるくると回りながら動く書影が浮かんだ。
手の込んだ美しい装丁の書籍は、今にも手に取れそうだ。
『ローマ時代の神話です。初心者にも分かり易くまとめられております』
「ローマかあ」
ディナのがっかり感にパパガイが片眉を上げる。
『ご指定頂ければ、迅速にお調べいたしますよ?』
ディナはパパガイを見て、うんと肯く。その仕草にパパガイが微笑む。
「北欧が良いな」
『かしこまりました。少々お待ちくださいませ』
ほんの2秒ほどで、書影が切り替わる。
濃い緑色の装丁の本が目の前に現れた。
『こちらは、アルスター物語群をまとめた書籍でございます』
「買った!!」
『有難うございます。それではこちらに指を押しつけて下さいませ』
オークションなどには絶対に連れて行けない。
ディナを見ながらヨルは考えていた。
指紋を認証したピロンという音と共に、テーブルの上に本が現れる。
それは確かに今、買った本だった。
『他に、ご注文はございますでしょうか?』
ディナはハッとして目を開く。
今の本も値段が表示されなかった。これ以上は買ってはいけない。少なくともヨルに聞いてからにしなければ。
「今日はいいかな」
『かしこまりました。本日はヴァサンドハンデルをご利用いただき有難うございました。またのご利用をお待ちしております』
とても丁寧なお辞儀で、パパガイが消える。そして本もパタンと閉じた。
ディナがヨルを見る。
見られたヨルはにっこりと笑った。
「欲しい物が買えてよかったな」
「あれ、いくらなの!?」
「…金額は気にしなくていい」
「だって、そんな」
今までの町中の買い物とは違うと、さすがのディナでも分かる。
きっと桁がちがう、物凄く。
「わたしの金銭感覚を保つために、教えて!」
必死の顔のディナに、溜め息を吐いたヨルは、自分の所に届いた請求書を、指先を動かして見せた。確認した途端にディナの顔色が白くなった。
「気にしなくていいのに」
料理を並べながら、ヨルが言うのをディナは真っ白のまま眺めている。
この間買った服が、200タンムで。
あれ、これ、ライムって書いてある?
「これって、何処の通貨?」
何故に気付くのか。ヨルはディナを見てあきらめの溜め息を吐く。
「天空の通貨だ」
「え、天空?今のって?」
「…天空の売買のシステムだ。移動が難しいからこういう形になる。天空だけが使っているわけでは無いが、まあ特殊な買い方だ」
天空の通貨で2万。それはとても高い気がする。
「…読んで良いの?」
「買ったのだから、読まなければ損だろう」
それはそうだ。綺麗な場所で読もう。
「食べないのか?」
「食べる!」
満面の笑みでディナが言えば、ヨルも笑って一緒にテーブルに着く。
二人で食べる食事が何時もの光景になりつつあった。
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