手痛い失敗




 一時避難のような形で、移動する事になった。

 ノートの診療所に転移する。

 バイクごと移動もできるのだと、ディナは感心した。


 ノートの診療所は崖の上に立っている建物で、崖の下には村のような集落がいくつか見えた。

「どうぞ、お嬢さん」

「ありがと」

 ノートにドアを開けて促されたので、ディナは建物の中に入る。


 あまり日が入らない様な静かな建物は、消毒薬の匂いがして。確かに病院だと思われた。そこへナースキャップを被った、白いナースワンピースの女性が二人傍に寄って来る。

 ディナと一緒に入って来たヨルを見てにっこりと微笑む。


「ヨル様、いらしてくださったのですね」

 二人を見て、ヨルが肩を竦める。

「…無理矢理ね」

 二人がノートを見る。グッと拳を胸まで上げた。


「お手柄です」

「さすが医院長」

「お前たちの評価なんかいらねえよ」

 ノートが言うと、女性二人がくすくすと笑った。


「ナナ、ミミ。こいつを部屋に入れて来い」

「はーい」

 ヨルが背中を押されて二人に移動させられて行く姿を、ディナが眺めている。そのディナにノートが話しかけた。

「お嬢さんはこっちに来てくれ」

「うん」


 診察室は綺麗で、その椅子に座ったディナを相向かいに座ったノートが見る。

「お嬢さんも検査させてほしい」

「わたし、は」

「事情は知っている。長様から連絡貰っているからな」

「え」

 ノートは新しいカルテを出して、一枚目にディナの名前を記入した。


 その横顔をディナは見ている。

 この人がヨルの彼氏かなあ。

 嫌な視線を感じ取ったノートは、ディナを見て溜め息を吐く。


「俺は主治医であって、ヨルの彼氏じゃないぞ」

「え、違うの?」

「だいたい、ヨルにそういう気持ちは少ないだろう」

「年取ると少なくなる?」

「うーん。年とっても旺盛な人もいるけどな」


 ディナが首を傾げる。

「ヨルは、少ないって事?」

「そうだな。ここのところ聞いた事がない」

「昔は?」

 ノートがディナを見る。


「それを聞いてどうする?」

「え?」

「なにか、お嬢さんに関係あるのか?」

 手元でペンをクルクルと回しながら、ノートが話す。


 スカサハを抱えたまま、ディナが答えた。

「聞きたいだけ、だけど」

「話すのが嫌な人もいる。聞いてほしくない話もある。言いたくない秘密もある。それを全部質問して、お嬢さんは人に嫌われたいのか?」

「そ、れは」

 ノートが何かをカルテに書きこむ。


「お嬢さんの好奇心は結構。生まれたてだし知識も少ないから、不思議な事が多いのだろう。でも、そのまま質問を続けていたら、多分大多数の人に嫌われる」

「じゃあ、どうすれば」

「質問する前に一回考える」

「考える」

 困惑顔のディナにノートが頷く。


「そう。これを聞いて嫌じゃないか、この話はその人にとって大事な話じゃないか。いろいろ考えてから聞いた方が良い」

「それでも聞きたかったら」

「聞きたい気持ちと、相手の事を考える気持ちとを天秤にかける」

「え?」

 ノートがまた何かを書き込む。


「聞きたいというのはお嬢さんの気持ちだ。欲望と言っていい。それと、相手がどれだけ大事かを考えて、どっちかにする」

「欲望」

「そう。聞きたい欲だな。それと相手とどっちが大事か」

 ディナが黙る。


「そもそも知りたいことをすべて人から聞いて済まそうなんて、努力が足りない。知識は本から吸収するべきだ」

「本」

「ネットワークで調べてもいい。まず自分で限界まで調べてから、聞いた方が良い。その方が賢くなれるしな」

「賢くなれるの?じゃあ、そうする」

 ディナの早飲み込みに、さすがのノートも苦笑を浮かべる。


「ヨルに本でも買ってもらえ」

「うん、分かった。ありがとう、先生」

 もう良いと言われてディナが診察室を出て行く。

 ノートはカルテを書きながら、少し目を細めた。

「身体は健康だが、ありゃあ、どっか足りないな」


 椅子に寄りかかり天井を見上げる。

「いったい、何をベースにして作ったんだ?」



 ディナがヨルを探して病院内を歩いていると、一番端の部屋からヨルが出て来た。何時もの服では無い簡易な白い服を着た姿に、ディナが立ち止まる。

 髪も少しぼさっとしている。


 ディナを見てすぐに口を開かなかった。

「……ディナ?」

「うん。ヨルは何処に行くの?」

「…検査が終わったから、次の検査かな」

「たくさんするんだね?」

「最後はノートがするだろうけど」

 ディナはどうしようか悩んでいる。

 先に聞いた本が欲しかったが、今のヨルに言ってもいけない気がした。

 ディナが遠慮している気配を察知して、ヨルが首を傾げる。


「どうした?」

 ヨルが近寄ってディナの前に屈んだ。

「あのね?本が欲しいの。あの、一般的な事が判る本」

 ディナの話に少し考えたヨルは、手を一回振るって本を取り出した。ディナが驚く。あまり自分の前でヨルが力を使ったのを見た事がなかったからだ。


「後でまた、本をそろえよう」

「うん、ありがとう」

 ディナの頭を撫でて、ヨルが離れる。

 ナナは驚いた顔をしていた。

「薬が効いてるのに、その子は分かるんだ」

 呟きを聞いてディナが首を傾げる。

 何時だってヨルは自分を認識している。それは事実なのだが。

 不審そうな視線に、ナナはふふと笑ってごまかして、ヨルを連れて別の部屋に入った。


 ディナはぽつんと廊下に一人になった。本を持ったまま不安になる。

 慣れない場所で、一人でいるのはあまり無かった。


 頭のスカサハが、なう、と鳴いた。

 ディナは自分の頭の上に手を伸ばして、スカサハを撫でる。

「何処かで座って本を読みたいな」

 小さな待合室の片隅に座り、本を読み始める。


 ヨルがくれた本は、少し難しい解説が書いてある動物図鑑だった。

 美しい挿絵が、ディナを飽きさせない。

 読み続けているディナのいる待合に、お腹の大きな女性が入って来た。


 ディナはその姿を見て驚く。

 あんなに大きなお腹は病気だろうかと、チラッと眺めた。

 座っているディナに気付き、女性が話しかけてくる。


「お嬢ちゃんは誰かを待っているの?」

「うん。お姉さんは診察に来たの?」

 ニコッと笑われる。

「ちょっと早まりそうだから、先生に聞きに来たのよ」

「早まりそう?」

「そう、赤ちゃんが早く出て来そうなの」

 お腹を撫でながら、女性が微笑む。少し顔色が悪そうだった。


 あの場所に、カプセルが入っているのだろうか?

 地上の人間はわざわざカプセルを抱えて移動するのだろうか?

 ディナはしかし、疑問を口にしなかった。

 なんとなく言ってはいけない気がした。


「元気に生まれてくれればいいのだけれど」

「そ、う」

 撫でているお腹は、肉体のように見えた。

 カプセルは何処にもない。


 ノートが診察室までやって来た。

「トゥルペさん、早まるかもって?」

「はい、せんせい。さっきから動いて痛くて」

「どれ」

 ノートが屈むと、トゥルペの足元に水たまりが出来た。


「いた、い」

「ミミ!オペ室を開けろ!」

 ミミが走ってくる。様子を見てきびすを返して、大きな部屋の扉をがんと開けた。ノートは車いすにトゥルペを乗せて急いで運ぶ。


 立ったままのディナはどうすればいいか分からなかった。

 自分は何も出来ないけれど、座っていて良いのか。


 オペ室の中からは苦しそうな叫び声が聞こえてきた。

「大丈夫だからな!」

「先生!頭が出て来そうです!」

「早いだろ!」


 座って立って、座って。

 ディナは落ち着かない気持ちのまま、どうしても好奇心を押さえきれなくて、手術室の開いている扉からそっと覗いた。


 女性の股の間から、水と血と何かが出ている。

 ノートはそこに屈み込んで、小さな人間の頭を手に取って支えていた。


 え、どういう、こと。

 その凄惨な景色が目に張り付く。

 母親の腹の中から、小さな人間が出て来る。

 あれはカプセルでは無い。

 あれは、一体なんだ。


 ずるりと出て来た赤ん坊を急いで、ミミに渡して、ノートが後始末をしている。全員血塗れだ。母親は息も絶え絶えで、それでも赤ん坊を見ている。

 その眼は、何者も冒せないような愛に溢れた目線だ。


 ディナの中で、何かが叫んだ。

 あれは我々と違う生き物だ。それは、全く違うものだ。


「や、あ、ヨル」

 ディナは本を落としてヨルを探した。

 ワタシは、何者なのか。


 近くの扉を次々と開けて、ディナはヨルを探す。

 薬が効いて、寝ているヨルを一番奥の部屋で見つけた。

 ナナが傍に立って、機械を見ていたが、そんな事は目に入らなかった。


「ヨル!!」

「ちょっと、お嬢さん、今のヨル様は」

「ヨル!!!」

 その手に縋ってディナが叫ぶ。

「薬が効いてるから、今は」

「助けて!ヨル!!」

 ディナの叫びに、ヨルが薄く目を開けた。

 その途端に、部屋の機械のすべてがエラー音を出す。


「ヨル!!」

 必死のディナの声に、ヨルが起き上がって首を振った。

 激しい機械の音の中、ディナが起きたヨルの身体にしがみつく。

「私って何!?」

「ディナ?」

 呟くヨルに、泣きながらディナが抱き付いている。


「私は変なの!?」

「…いや、そんな事はない」

 薬を振り切りながら、ヨルが答える。

「私は、生物じゃないの!?」

「…君は生物だし、きちんと命を持っているものだ。安心していい」

「だって、」

 部屋に入って来た真っ青な顔のノートを見てヨルが質問をする。


「なにか、あったか?」

「…いま、村の子が産気づいて、緊急のお産をした」

 それを見たのかと、ヨルが頷く。


「ディナ。君はちゃんと生きているだろう?ご飯も食べるし、気持ちも悪くなるし、眠くなるし、嬉しかったり悲しかったり、今みたいに苦しい気持ちもある。きちんと生きている証拠だ。自分を疑わなくていい」

 まだ涙が零れているディナの頬を、指で拭う。


「でも、生まれ方が」

「違うのは場所のせいだ。天空は母親が少ない。肉体で育てることが出来ないからカプセルに入れているけど、違いはそれだけだ。見た目だけだよ」

「本当に?」

「ああ。本当だ」

 ヨルがディナの頭を撫でる。

 ひくひくと、まだすすり泣いているディナを膝に置いて抱きしめる。


 ディナが寝入るまで、ずっとヨルが抱きしめていた。その間ずっとエラー音は鳴りっぱなしだ。それをディナは気にしない。


「…ヨル」

「もう一度やり直しは出来るか?」

「……深度3まで落とさないとやり直しは出来ない」

 ヨルは周りを見回す。

「深度3は此処では無理だろう」

「…しかし、書き換えが全くできていない。そのままでは」

「お前が心配するほどの事ではないよ」


 溜め息を吐いたヨルを、ノートは青い顔のまま見ている。


「このままでは、また年齢が戻ってしまう。あと数回戻ったらお前は死ぬんだぞ」

「まあ、100年持てばいいから」

「……1回に付き5歳ほど戻る。50年に一度の頻度だから、持ちはするが」

 ノートに、ヨルが笑って見せる。

「俺は長生きすぎだろう。それぐらいで十分だ」

「……そうか」

 笑っているヨルを見ながら、ノートはベッド横の椅子に座った。



 ディナを乗せたまま、ヨルが眠っている。

 椅子に座っていたノートが立ち上がり、ベッドを離れた。


 今回の書き換えは完全に失敗だ。ヨルの細胞がまた暴走をした場合、身体が異常を起こし若返る。今の見た目は20歳ぐらいだが、次には15歳ぐらいになる。


 その時は気が狂うほどの痛みが全身を襲うだろう。

 前回の時は回復に半年かかった。痛み止めも何も効かない痛みが、ずっとヨルを蝕むのだ。深度3の処置が出来るのはこの世界で一か所だが、ノートには使えない。


 今回失敗する要素なんてなかった。

 無かったはずなのに、ヨルを起こされるなんて。



 ノートは外に出て空を見上げた。

「アクワイア。話がしたい」

 ノートの眼の前に、薄暗い霧のような影が現れる。

 影は長い髪の女性の姿を作り、表情は見えないがゆっくりと近寄って来る。


【どうしたの?あなたが私に話しかけるなんて、珍しい】

 柔らかい声が、ノートに話しかける。

 ぎゅっと手を握りながら、歯を食いしばるようにノートが話す。


「…貴女の行動に賛同する」

 女性の影は、首を傾げる。

【ヨルがどうかしたのね?】

 ノートが頷く。

「…これ以上、苦しむ姿を見たくない」


 影の雰囲気は、柔らかく笑っているようだ。

【じゃあ、私達の<禍墜>に入るのね?】

「ああ。天空を落とすことに手を貸そう」

 守り人や守護者とは意見を違える組織。対立はしていないが天空都市に対する意見だけが真っ向から対立している。


【うれしいわ。ヨルの信頼が厚いあなたが参加してくれるなんて】

「くそガキを、排除したい」

【わかったわ】

 肯いて影は消えていく。

 ノートは消えていく影を見ながら、暗い決意を新たにした。

 絶対に、くそガキをヨルから引き離す。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る