英雄かぶれ
深森の町から、両側が海になっている場所を通り過ぎたら、遥かに広い地平線が見えるほどの大陸に入った。
そこをヨルのバイクが走っていく。
ちらりと見えた海は緑と青の混ざった不思議な色をしていた。
ディナは興味があったが、ヨルはそちらに寄らなかった。トラストから”厄災“が浜に行ったと聞いていたので、海の近くに行かないようにしていたからだ。
うっすらと街並みが見えてくる。
ディナはヨルに寄りかかったまま、前を見ている。
街並みの手前に木の柵がたくさん見えてきた。それは内側が草むらになっているもので、街よりもよほど大きく見えた。
柵の中には白いモコモコした生き物がたくさん動いている。
ヨルのバイクはその間にある道を走った。
「ヨル!?これは何!?」
興奮気味のディナの声にヨルが苦笑する。
「これは羊だ。この周りは牧場になっていて、羊をたくさん飼育している」
「すごい、しろい、まるい」
なんだか語彙が少なくなってしまったディナをヨルが抱え直す。
羊の牧場が過ぎると、白黒の生物と、桃色の生物と鶏と、茶色の生物と。多くの種類が柵の内側に飼育されている場所を通り過ぎていく。
「ああ、ここに住みたい」
「…あれは殆んど食用だ」
「え」
ディナがヨルを見上げる。
「食べちゃうの?」
「俺達も何度も食べている」
ハッとした顔でディナが動物を見る。美味しいお肉。しかし、ここに居る動物は可愛い。一体どう思っていればいいのか。
頭を抱えたディナの頭を、ヨルが撫でた。
「今日はこの町に泊まる。牧場を見学したいか?」
「したい」
全力で頷くディナを見て、ヨルは計画を変更しようとバイクをゆっくり走らせている。そのバイクの横に同じようなバイクが並走しだした。
「え?」
ディナの呟きはヨルの唸り声に消される。
「…ここに居たのか」
結構な低い声でヨルが言ったので、ディナは驚いてヨルを見上げる。
少し古い宿屋の前にヨルがバイクを止めると、その横にバイクが止まった。ヨルが降りると隣のバイクからも人が降りた。
ヨルが付いた溜め息は結構大きかったが、相手は気にしなかった。
「よお!久しぶりだな、ヨル!」
「…そうだな。フォニー」
髪の色が黒くて眼の色が黒い。黒いブーツと黒い服。フード付きマントまで黒かった。ディナはヨルを見る。ものすごく苦い顔をしていた。
フォニーはヨルのバイクにまだ座っているディナを見てぎょっとした。
「娘が出来たのか?」
「…まあ、そんな所だ」
フォニーは本気で狼狽えている。
「結婚とか、俺には難しくないか!?」
ヨルの肩をガッと掴んでフォニーが叫ぶが、手を払ってヨルが首を振った。
「俺の知った事ではない」
「冷たいこと言うなよ、俺達の仲だろう!?」
一体どんな仲なのか。ディナはヨルを注視しているが、あまり良い関係ではなさそうだった。
叫んでいるフォニーの声を聞きつけたのか、宿屋の中から人が出て来る。
出て来た人はヨルを見て頭を下げた。それを見たフォニーがにっこりと笑う。
「ああ、今回も世話になるぜ」
「あなたに挨拶をしたのではありません」
冷たい返事にフォニーが困った顔をする。
「なんだよ?ヨルには優しくするのに俺には冷たいなあ?」
中から出て来た人とヨルが同時に溜め息を吐いた。
迷惑な人なんだなとディナは納得をする。ヨルはディナをバイクから降ろして手を繋ぐ。不意にフォニーが反対側の手を握った。
ディナがその手を振りはらう。
「え、こっちは俺の分でいいだろ!?」
笑いながら言ったフォニーに、ディナが怒鳴った。
「気持ち悪い事しないで!!」
ヨルはディナを抱きかかえて、宿屋のボードと目配せをする。
しかしディナはそんなに甘くなかった。
腰の銃をフォニーに向けて撃った。
「あ」
ヨルの声がした。
フォニーの右腕に弾が当たり、緑色に染まる。
「気持ち悪い!!お風呂入りたい!!」
「分かった。すまない」
ヨルが宿屋の二階に向かった。
自分の腕を呆然と見ているフォニーをボードがじっと見ている。
「これ取れるかなあ?」
へらっと笑ったフォニーにボードが首を振った。
「あなたはヨル様の怒りを買うでしょう。まあ、今まで許して貰っていたのが奇跡なのです。しっかりと反省しなさい」
すっかり乾いてしまった緑色のそれは、皮膚と服にぴったりと付着して、爪で引っ掻けても取れる気配はない。困った顔をしているフォニーは、階段を降りてきたヨルを見てパッと笑った。
「なあ、ヨル。これは取れるか?」
「なんで、ディナの手を掴んだんだ?」
ヨルが静かに聞く。フォニーは笑いながら答えた。
「だってヨルの娘だろう?それなら俺の娘と一緒じゃん」
「全く違う」
「はあ?何だよ今更、俺とお前の仲じゃん」
「どんな仲だと言うんだ?」
ヨルが淡々と返している事に、フォニーが気付いて少し小さな声になる。
「同じ守り人としてさ。この大地を守っているだろう?」
「…お前を守り人にした覚えはない」
「はあ?またまた。守り人っていう組織の長のお前が俺を入れないとかないだろう?同じように黒い色に染めているじゃん」
ボードがそっと宿屋の鍵をかける。
「だいたい、世界を守っている守り人の組織なんてカッコいい物が、本当にあるんなら俺が選ばれない訳がないだろう?」
「お前は選ばれない。能力が低すぎる」
「はあ!?」
フォニーが怒鳴るがヨルの目線は変わらない。
「じゃあ、お前は強いのかよ!?」
ヨルは小さく息をつく。それから銃でフォニーの腹を撃った。
「ぶあ」
急に撃たれたフォニーが腹を押さえるがヨルは近寄って、押さえている手ごと足で踏んだ。
「ぐあ、ヨル、おま」
「すぐに反撃も出来ないのか。俺の撃ち方なんて隙だらけだぞ」
フォニーは腰にある自分の銃を探るが、痛くて構えることが出来ない。
「髪を染めて眼はガラス球を入れて、俺に近い色をしたとして。お前に何が出来る?」
ヨルがグッと踏むと、痛みで銃がごろりと手から離れる。
「ただ、真似がしたいだけなら目をつぶっても良かったが、最近は無銭飲食や守り人の組織を批判しているみたいだな?」
溜め息を吐いてから、フォニーの太ももを撃つ。
「ああっ」
床の上でびくびくと動くフォニーをボードも冷たい視線で見ているだけだ。
「許せる範囲を超えてしまっては、始末するしかない」
「ヨル様。あとは私が致します」
ボードがヨルに声を掛ける。ヨルはじっとフォニーを見たまま動かない。
「任せるのは良いが、後でどこかで生きていたら、お前を始末する。いいな?」
「はい。分かっております」
「そうか」
やっと顔を上げたヨルに、ボードが笑いかける。
「お嬢様の所に行ってあげてください」
「あ、ああ。そうさせてもらう」
ヨルが二階に上がると、ボードがフォニーに屈み込む。
「う、く、たす」
「どうせなら、もっとうまくやれよ?」
ボードの囁き声に、フォニーが握っていた左手を開いた。その手はディナの手を握ってから一回も開いていなかった。
ボードがその手の平を薄いシートでぬぐう。ファイルにそれを挟んでからフォニーを肩に担ぐ。外に出してから、ボードは大きな銃を構えた。
「な、はなしが、ち」
轟音が響く。フォニーの身体が千切れて飛んだ。
「バカに用はないんだよ」
眼鏡を直してから、ボードは宿屋に入る。外に転がっているフォニーの遺骸は、沢山いる野生動物に掃除されるだろう。
ヨルは、ばちんとディナに顔を叩かれた。
「すまない」
「あんな事を許すなんて、それでも守っているって言うの!?」
怒っているディナは半泣きで、ヨルを睨んでいる。
その顔を見て、小さく息を吐いたヨルは、ベッドに座った。
「別に住もうか?」
「…え」
勢いがあったディナの声が止まる。
「俺の傍に居ると、危険な事がたくさんある。あれも駄目これも駄目だと、多分一緒に移動しない方が良いと思う」
「でも」
「ああいう行動をしているのは一人じゃない。黒い色が強さの象徴みたいに思われているから、真似をして色を付けている人物は他にもいる。ああいう自分勝手な人物ならもっといる。それらから危険ではない行為も全部防ぐのは出来ないかもしれない」
伏目がちのヨルが話しを続ける。
「何者からも守るというのは不可能だ。危険がある以外はというならばできるけれど。天空のように何処かに囲うのなら、それの方が良いのならば」
小さくヨルが息を吐いた。
「一か所だけ安全な場所がある。けれど、もう二度と会えないかもしれない」
「え、その」
一息に結論までいきそうなヨルに、ディナが戸惑う。
「…手を触られたのが嫌なの、それだけなの」
「俺が不注意だったのは悪かった。あやまるよ。すまなかった」
ディナが手を出す。
「ヨルが触って撫でて消毒して」
意味は分からないが、不快だったのだろうと、近づいてディナの手を撫でる。
「おぞましかったの。なんだか黒い気配がしたの」
「?…そうか」
「でも、ごめんなさい。ヨルと離れたくない」
手を撫でているヨルの胸にディナが寄りかかる。困った顔をしているヨルは、ディナの勘が当たっている事を今はまだ知らなかった。
ヨルは落ち着いたディナの傍に、猫を置いた。
とらじまの模様の猫は、今夜渡そうと思っていた物だ。ディナの枕元に置いてから、ヨルは外に出る。
煙草を咥えた後で、溜め息を吐いた。
トラストのいる都市があるこの大陸は、機械や科学が多く残っている場所になる。この町の周りの牧場も、発達した科学の産物だ。
発達した場所には、あの怪異五体が引き寄せられることも多い。不埒な輩も質の良い武器を入手しやすい。
この先も、困難はやってくるだろう。
それに怯える訳にもいかず。今は一つ一つ対処していくしかない。
取り敢えずは手袋かな。
防具の追加を考えながら、ヨルはかなり凹んでいた。
ボードは手に入れたシートを転移装置に乗せる。
指定数値を入力してから、装置を作動させる。シートがふっと消えた後、残滓のように残った光を見ながら、小さくボードが笑う。
「守護者様には、そろそろご退場願いますかねえ?」
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