第27話 恐るべし……ミスティ
お手洗いは、劇場と同じ煤けた茶色の煉瓦で囲まれており、個室がゆったりとした作りになっていた。
「マスター。大丈夫?」
俺を心配するミスティは、さりげなく男性用のトイレの中に入ってくる。
こいつ、ためらいがなさすぎる。
すぐに二人で個室に入り、ひそひそ声でミスティに命令する。
「ミスティ。今日も引き続きダンジョンマスター『ケン』を探してくれ」
「りょ~。ごめん、マスター。昨日、見つけられなくて」
「謝んなよ。見つかる方が奇跡なんだからな」
ミスティが俺の胸に顔を近づけてきて、「ん?」と顔をしかめる。
これか。
真っ赤に染まったタオルを胸から引き出し、便器の穴にそのまま捨てる。
「俺は赤ワインは嫌いなんだ」
赤ワインを飲んだのは全部このタオルだったって、どうやらばれていないようだな。
その瞬間、足音を立てながら誰かがトイレに入ってきた。
後をつけていた奴の可能性もある……。
個室のドアをノックして、人がいるか確認している。
すぐ隣の個室がノックされた。
ミスティの耳に口を寄せて、俺はあることを指示する。
すぐに意図を理解し頷いたミスティだが、頬は真っ赤に染まっていた。
「も、もう、待てないの~。早くう~」
女性の嬌声に、明らかに外の利用客は驚き、盛んに足踏みをして利用者がいることを知らせてくる。
それでも、ミスティは容赦ない。
「ああ、凄いい!! 大きいのが入ってくるう~」
ミスティ……、お前……。
艶があり、甘えてくる声が強烈だな。
俺の下半身、おっきしちゃったよ。
利用客の走る足音が、だんだんと小さくなっていき、どうやらトイレには誰もいなくなったようだ。
それなのに、ミスティは俺から離れないどころか、ますます密着してくる。
心なしか身体も温かいし、このままではヤバイ。
「マスター。……このまましてもいいよ」
俺の耳にキスしながらささやいてくる。
すごい破壊力だが、時間がないんだ!
「ミスティ。このまま個室を出たら俺と反対方向に走れ。尾行者は俺に目が向くはずだ。それを確認しろよ」
「……おけ」
「行くぞ!」
少し不満そうなミスティを強引に引き離した俺は、トイレの入口から左側の上り階段を走っていく。
入口で周囲を監視していたミスティは、俺の後をつける男に気付いたようだ。
(頼むぜ、ミスティ)
さらに足音を立てながら俺は走っていく。
ちらりと後ろを振り向くと、追跡者と反対方向に走っていくミスティが見えた。
よくやった。
走るのを止め、ゆっくりと劇場併設の植物園の中を歩き、一部ガラス張りの建物内部を興味深く眺める。
追跡者がいるか、さりげなく調べたんだけど、どうやら追跡を諦めたみたいだな。
植物園の端まで歩いて遠回りをしてから劇場に戻り、ノーラ婆さんの待つ二階席へと戻る。
「マスター。息が切れてるようじゃが?」
「どうもこうもねえ。酔っ払ってる俺にミスティが迫ってきて……。必死で逃げてきたよ」
じっと俺を見ていたノーラ婆さんは、特に何も言わなかった。
「クリュティエのステージの幕が開きそうだぜ!」
少しぎこちなく席に着いた俺たちは、クリュティエのステージをゆっくりと楽しむことにした。
この日のステージは、まさに爆発といってもいいくらい躍動感に満ちたステージになった。
とにかく声が響き渡り、舞台狭しと走り回るクリュティエの一挙手一投足から目が離せない。
昨日とはセットリストが変更されていて、元気が出る歌、明日に希望がもてる歌ばかりが選択されていた。
しかも、遠目に俺を連行したあの兵士たちが見に来てるのを発見する。
人のことを散々変態呼ばわりしたくせに、本当はお前らがそうだったんだろう。
ちょっとイラッとしたけれど、お金を払ってくれたことでよしとするか。
3回ものアンコールが要求され、しかも4回目まで求めている観客をギレンが強引に終わりにさせる。
「クリュティエさんの体調を考えて、どうかここで終了とさせてください。次回公演は決まり次第、すぐにお知らせいたします」
「クリュティエちゃ~ん、ありがとう~」
「ずっと応援するよう~」
思い切り吼えた観客はようやく落ち着きを取り戻し、会場の外へ出て行った。
クリュティエの控室へ迎えにいった俺たちは、控室でぐったりとしているのを見つけ、慌てて駆け寄る。
「クリュティエ、大丈夫か?」
クリュティエはゆっくりと目を開き、
「マスター……」
と言いながら身体を起こそうとする。
いいから寝てろと命令すると、クリュティエはちょっと笑顔になり、またコテンとベッドの上に横たわってしまった。
「全力を出しましたから」
優しい眼差しでギレンもクリュティエを見つめている。
そして、俺の方に向き直り、本題を話してきた。
「今日の夜12時にダンジョンへ戻るんですよね。これからも私と専属契約を結んでもらえませんか?」
確かにやり手のギレンとの繋がりは大切だ。
けれども、俺の後を尾行させているのがこいつかもしれないのだ。
ギレンの目が俺の疑惑を見通すかのように、ギラリと光っている。
ただ、遠くで暗躍されるよりは、近くで活動してもらった方が対策を立てやすい。
「是非、お願いします」
笑顔になったギレンとがっちりと握手し、これからも契約を続けることにする。
そこに、ギレンの2人のマネージャーが小さな袋を抱えて入ってきた。
「今回は1208人の入場者がありました。そのため、大銅貨604枚が取り分ですから、金貨6枚と大銅貨4枚が取り分となります」
握り拳くらいの袋を手渡してもらい、中身を確認する。
黄金色の貨幣が確かに入っていて、枚数も間違いがない。
「マスター。ミスティはどこへいったかのう?」
ノーラ婆さんが、周囲を確認しながら聞いてくる。
どうにもミスティが気になるようだな。
「知らねえよ。どうせ、また町をぶらついてんだろ。ほっとけ」
ぶっきらぼうに話す俺の言葉に、ノーラ婆さんは黙ってうなづく。
それよりも俺はギレンにお願いしておきたい。
「ギレン。実は金貨1枚を銀貨100枚と交換してくれないか? 金貨は使いにくいから」
「ええ、もちろんです。ただ、手数料として銀貨5枚をいただきますが、よろしいですか」
「ああ」
無事に銀貨95枚を手に入れる。
うちのダンジョン専属商人ゼニスさんも、これならおつりが少なくて安心だよな。
その後、クリュティエの体調回復を待って、太陽が沈む頃までギレンと話し込んだ。
けれども、ミスティはずっと現れなかったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます