トレンドは偽装婚

渡貫とゐち

これが「いま」


 ある母と娘が向かい合っていた。

 母は着物を纏い、彼女を見た十人に聞けば、全員が第一印象を「厳しい人」、と評価するだろう。実際はどうあれ、そう思わせるくらいにはイメージが固まってしまっていた。


 片や娘は、ふたりが今いる和室には似合わない黒いシャツとジーパンだった。

 服は所々が破け、母はそれをファッションだとは思えないようだ。

「だらしない格好」であり、「開いた穴も塞げない」娘の嫁スキルに溜息をついている。

 ダメになった服も買い替えることができないことも気になったようだが、言い出したらきりがないので母はぐっと言葉を飲み込んだ。

 今、言いたいことはそんなことではないのだ。


 テーブルを挟んで向き合う母と娘。

 座布団の上に正座することに慣れていないのか、娘の方はもじもじと足を動かしていた。

 気づいた母が、畳んだ扇子をぱち、とテーブルに軽く打つ。

 その音に娘が驚き、ぴた、と体が止まる。その音を聞くとしゃきっとしなければならない、と体に染み込んでいるため、体が反応してしまうのだった。



「……あなた、そろそろ結婚しなさい。もういい歳でしょう? まだまだ若いなんて言っていたらあっという間なのだからね……。良い人はいないの? 自分で見つけられないなら私が見繕って連れてきてあげようかしら?」


「はぁ? 結婚自体したくないんだけど……なんでしなくちゃいけないわけ? バンド活動だってあるんだけど……。勢いに乗ってきた今、ここで中断なんてしたくないから」


 派手な赤髪に、母は意外なことになにも言わなかった。

 ファッションに文句を言われるのだから当然、染めた髪にも指導が入ると思っていたが……、母の中では髪を染めることは『不良』ではないようだ。


 染めること自体は大人でもするものだ。染めるのは良くて色で否定するのは、それを言うだけの理由が母の中ではなかったのかもしれない。

 ただ単に後でまとめて言おうと、今は切り捨てただけかもしれないが……。


「バンド? 音痴なあなたがバンドなんて……笑わせてくれるわね。音痴ならいてもいなくても同じでしょう――いない方がバンドとしては良いのではないかしら」


「歌わないギターだから! ……女が花形として前に立つのが決まりでもないのよ、お母様。いつまでも昔の時代を引きずってさ――だから結婚しろ、なんて発想になるのかもねえ。今の時代、結婚しない人の方が多いのに……」


「時代は関係ないわ。結婚は幸せの象徴よ。してくれたら私は安心するの……親を安心させるのも子供の務めよ」


「……安心、ね。お母様はわたしが結婚して安心するの? いや、しないでしょ。今よりさらに心配するはずよ。だって――先方に迷惑をかけてないか、妻としてちゃんとやっていけてるのか……って思うはずだもの。安心なんてするわけない」


「それは――――当然よ。親はね、いつまでも子供のことが心配なの」


 家を出ても、大金を稼いでも。

 立派な大人になって、多くの人から信頼を勝ち取り、人の上に立ったとしても……親は子供を心配するものだ。本当の意味で安心することなんてないだろう。


「ほらね。なら、結婚してもしなくても同じでしょ。それに――結婚した方が人付き合いが増えるものだし……、それってさ、トラブルの種を抱えることになるのよ。幸せになろうとして不幸になっていたら意味がないと思わない? だからわたしは結婚しないわ。お母様が選んだ人なんて……絶対に願い下げだから」


 もう話は終わりね、と言わんばかりに娘が立ち上がった。


 母が、扇子を軽くテーブルに叩きつける。だが、昔から染みついた癖も、確固たる意志があれば跳ねのけることができる。娘は、その音を気にしなかった。


「待ちなさいっ! まだ話は終わってな、」


「わたしはもう話すことはないから。言うべきことは言ったし――。もしも無理やり結婚の話を進めるなら好きにすればいいわ。気持ちが伴わない結婚はお互いを傷つけるだけだと思うけどね……。世間体を気にしてるだけだろうけどさ……。傷つくのは面子かもしれないわよ? お母様の顔に泥を塗ることになるかも……ま、別にいいのか」


「…………よく考えなさい。あなたの今後のことなんだから――――」


「はいはい」


 振り返ることなく、娘が部屋を出ていく。

 感情に任せて襖を強く閉める、ということはなかった。母の昔からの教育のおかげか、娘は襖をそっとしめた。

 ――ツンケンしていても本音では優しい娘だ。売れ残るような子ではない、と母は思っている……親バカではなく、客観視した結果である。


 ただ……、客観視している、とは言ったが、言ったのは母だ。……どこかに主観が混じればその時点で客観的ではなくなるので…………親バカな意見であることは否めなかった。



 母が娘に紹介した男性は知人の息子である。

 ――大雑把に言えば政略結婚だ。

 互いが社会に大きな影響を与える家ではないので、ふたりが結ばれたところで得られる恩恵は小さなものだが……、家ごと距離を詰めるという意味では効果がある。


 近づくどころか一体化するような距離感ではあるが。

 ……ふたりが結婚すれば、の話なので母も期待はしていなかった。期待は薄い。あの娘が、紹介された男性と素直に「はい結婚します」と言うとは思えないからだ。

 よほど、彼がタイプでなければ――――



「この子が遅れてしまって申し訳ありません!」


 お見合い当日。

 大遅刻をしてしまった(もしかして意図的か?)娘の前で母がまず頭を下げた。


 対面に座っている体の大きな男性は「いえいえ」と気にした様子もない。

 ……彼はひとりだった。


 先方の親は……きていないようだ。

 向こうも遅刻? ……ではなく、最初から顔を出すつもりがないらしい。

 先方にとって息子は、あっさりと婿に出すような、特に重要視していない兄弟の中のひとり、という認識であるのでこの扱いも納得できる……納得できるが、他人事だが親として気持ち良くないというのは隠すつもりもない本音だ。


「気にしていませんよ。座ってください……それで――――結婚する意思がある、とのことでしたけれど……よろしいですか?」


「え?」


 と声を上げたのは母だ。

 母を通さず、娘は先方と既に話し合いをしており、結婚をする意思がある、と表明していたようだ。勝手なことを……、と咎めるつもりはないが、お見合いに不満を持っている態度を見てきた母からすれば、なぜ? どういう心境の変化が? ……と気になって仕方がなかった。


 その視線に気づいたのか、娘が答えた。


 彼女は赤髪こそそのままだが、格好は体のラインを見せた正装だ。


 肌の露出は多くないものの、スタイルが良いので色気が溢れ出ている。


 バンド活動はスタイルの維持に役立っていたらしい。


「構いませんよ。お母様があまりにもしつこいので、受け入れることにしました……結婚『だけ』ならしましょう」


「結婚『だけ』、ですか……」


「はい。夫婦にはなりますけどそれだけです。体の関係も心の関係も他人から近づくことはありませんので。……既婚者である、という世間体をお互い受け取る、ということで――。わたしはこれまで通りにバンド活動をしますし、好きな人とデートもします。浮気だ、なんて言わないでくださいね? どちらかと言えばこっちが浮気なんですから」


 一方的な娘の言葉に、母が思わず声を上げた。


「ちょっと!? あなたはなにを言ってるの!?」


「最初に言ったじゃない、お母様……そっちの都合と自己満足で勝手に結婚させるならそれでもいいけど、こっちは夢も好きな人も諦めるつもりないから。たとえ縛られても抜け出すつもり――それでも結婚させたいならどうぞお好きに」


 強い意志が乗った意見だった。

 ……母が深い溜息をついた。


「すみません……こんな子供みたいな娘で――」


「大丈夫です。……事情はどうあれ、結婚してくれるのであればこちらがそれ以上のことを望むことはありませんよ。こちらも世間体だけが気になる点でしたので……。

 結婚していない、というだけで悪く見られてしまうことがありますから。いない人を『いる』と言えば作り話に穴が空きますが、いる人を『いる』と言っても疑われるようなことはないでしょう。疑われたとしても反論できますから、頼もしいです。愛し合っていない、というのは我々にしか分からないことですから、どうとでも言えます」


「………………結婚とは、そういうものじゃ……」


「へえ。わたしたち、意外と気が合うかもしれませんね」


「共同生活をするなら性格の相性は大事ですから。あ、本命の相手とデートをする時は外のホテルでお願いします。これから買う予定の自宅は、我々ふたりだけが入れる家という認識でお願いします……たとえ数分だとしても男を入れるのはなしです。こちらも女性を入れないようにしますので……。厄介ごとはごめんですから」


「そうですか、分かりました」


 とんとん拍子に進んでいく。

 母は、戸惑いながらも、ちゃんと言葉として聞かなければ受け入れられなかった。


「あの…………娘と、結婚を……?」


「はい。するつもりですが、問題でも?」

「わたしもするつもりだけど、ダメな理由でもあるの、お母様?」


「でも――戸籍の上で夫婦になるだけって――――これが……これが結婚だって言うの!?」


「それが結婚するということでしょ? お母様は結婚にどんなことを期待していたのよ。昔みたいに恋愛だけが娯楽の時代じゃないんだから。――結婚しなさい、なんて大きなお世話をしてくるなら、こっちだってお望み通りに結婚だけしてあげる。

 親が選んだ相手と気持ちが通じ合うなんて、どんな奇跡よ――」


「ち、違うわ……違うの……結婚って、そういうことじゃ、」


「紹介を受け入れたんだから。お母様の顔に泥を塗ってないからね? まあ、盛り上がったところで水をかけた感じにはなっちゃったけど」




 …了

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