第44話 風邪②

 真っ白いお皿の上には、茶色く変色したお米と、もはや元の具材がわからないくらいに黒く焦げてしまった何かが混ざっている。これは、きっとチャーハンだろう。でも、それを言い切る自信がなかったのは、盛られた米の中央に生のままの卵が乗っていて、さらに身体に悪そうな油が滲んだ大量のから揚げが乗せられていたからだ。


「あははっ、チャーハンを作ってみようかなーって。失敗しちゃったけど」


 お皿が一枚しかないのにスプーンは二つ用意されていた。なに?  これ、両端から二人で食べていくスタイルなの?


 恐る恐るスプーンを手に取ると、京華はバツが悪そうにお皿を遠ざけた。


「やっぱ、食べなくていいよ。これ食べたせいでまた体調悪くなったら、何しに来たんだよって話だし」


 京華は「これはあたしが責任持って食べるから」と覚悟を決めたように喉を鳴らし、きらりと輝くスプーンには不安そうな表情の京華が歪んで写っていた。


「腹が減ってるんだ。いいからよこせ」


 俺は腕を伸ばして、もう焦げの塊と化した物体をスプーン一杯に掬って口の中に入れた。これはこれで悪くないのかもしれない。およそチャーハンとは思えない何かだが、焦げた米はカリカリとしていて食味が良いし、炭化した卵やネギも水気が飛んだせいか、味が凝縮されていた。


「……まあ、食べられなくはないな」


 俺のことを思って作ってくれたと知っているから、悪く言えないけれど、これ、病人に出す料理ではないだろ。下手すぎやしないか?  夏休みにお留守番している小学生が、冷蔵庫にあるもので昼ご飯作ったみたいだ。


「そっ、そうかな? うん、めちゃくちゃ美味しいじゃん」


 俺の感想(社交辞令)を聞いて気を良くした京華が続けて食べると、どうやらこれが好みの味らしい。満足気に微笑んでいた。


 正直、あまり食は進まなかったけれど、油まみれで見るからに不健康なチャーハンを京華がたくさん食べてくれるので、食べ切るのにはそれほど困らなかった。テレビでは変わらずサッカーの試合が流れていて、赤色のチームが二点差でリードしていた。


「押されてんな」


 興味があるわけではないが、話題として振ると、京華はきょとんとした顔でこちらを見た。


「なにが?」


「何がって、応援してるチームが負けてるから」


「そゆことね。それはママが応援してるチーム。私は強いチームが好きなの」


 なるほど、京華らしい答えだった。


「てゆうか、さっきチャドさんやーとか言ってたけど、あれなんなの?」


 京華がつり目がちな目を細めて言った。本人にその気がなくても、それがどうしても威圧的に感じて、思わずたじろぐと、その動揺が伝わったのか、京華は食い気味に身を乗り出し、更に追求してきた。


「……別に、りんごも昼に来てたんだよ」


「そうなの? 乾いてない土鍋があったけど、もしかしてりんご?」


 俺は頷いた。京華は何故か顔を顰めていた。


「ねぇ、どっちが料理上手だった?」


「…………」


 京華が明らかに不服そうな顔をすると、「じゃあ、あげない」と言って皿を回して唐揚げの山を自分の方に寄せた。



 食事が終わっても、京華は帰らなかった。小説を読んでいる俺の対面に座り、テレビを眺めている。穏やかな時間だった。


「ねぇ、何か弾いてよ」


退屈そうに肘をつきながら、こちらを覗き込むように見上げて京華が言い、俺は小説を閉じた。


「……暇なら帰れよ」


「帰ったって暇なんだもん」


「そうかい」


「ねぇ、いつもこんなに静かなの?」


「テレビが付いてるから、今日はうるさいほうだな」


「なにそれ、気がおかしくなりそう」


 京華は小さく肩をすくめると、俺の部屋の片隅に視線を向けた。立ち上がると、スタンドに立てかけてあるクラシックギターを手に取る。


「これ、誠人の?」


「いや、親父が昔買ってきたやつだ。でも、今は俺が使ってる」


 俺がそう言うと、京華は少し意外そうにギターを眺めた。


「へぇ。誠人ってエレキばっかりじゃないんだ」


 俺はギターを受け取り、軽く弦をはじく。ピン、と澄んだ音が部屋の静けさを切り取るように響いた。京華は椅子に戻りながら、じっと俺の手元を見ている。


「じゃあ、せっかくだから何か弾いてみてよ」


 俺は椅子に座り直し、ギターを構えた。指が自然に動き出し、部屋に「愛の挨拶」の柔らかい旋律が流れ始める。


 京華は目を丸くして、俺の演奏を見つめていた。


「……意外」


「何がだよ」


 俺は軽く肩をすくめると、曲の終わりまで弾き続けた。最後の音が静かに消え、また部屋は元の静けさに戻る。


「こういうのも弾くんだなってだけだよ。悪くない」


 京華は小さく笑った。どこか呆れたようでもあり、ほんの少しだけ嬉しそうな笑顔だ。


「ふーん、なんか誠人って、たまにわかんないね」


「勝手に決めつけてたのはそっちだろ」


 俺がそう返すと、京華はクスッと笑い、肘をついてまたこちらを覗き込むように見た。にやりと笑うとふざけた調子で言った。


「ねえ、もしかして私、告白されてる?」


 その言葉の意味がわからず、俺の思考は停止する。


「は?」


 思わず眉をひそめる俺を見て、京華はさらに笑みを深めた。


「だって、そんなロマンチックな曲を女の子と二人きりの時に弾く?」


「……もういい。さっさと帰れよ」


 俺はギターをスタンドに戻し、ぶっきらぼうにそう言った。


 京華は「冗談じゃん」と口を尖らせたものの、すぐに腕時計に目を落とした。そして、少し寂しげな表情で立ち上がる。


「拗ねちゃった? まあ、でも本当に遅くなったしね。帰るわ」



 玄関で靴を履こうとしゃがむ京華の名残惜しそうな背中を見ると、俺は無意識に口を開いていた。


「……駅まで送る」


 京華が顔を上げる。その表情には一瞬驚きが浮かんだが、すぐに柔らかな笑みに変わった。


「いいの? 誠人らしくない」


「……うるさいな」


 俺はそっぽを向きながら、上着を手に取った。京華はクスッと笑いながら玄関の扉を開けた。


 外の空気は思ったより冷たく、街灯がぽつりぽつりと足元を照らしている。並んで歩きながら京華の質問攻めは止まらなかったが、俺は彼女の歩調に合わせた。

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