第38話 悪者③

 職員室に入って奥にある生徒指導室は、節電の為なのか蛍光灯は二本に一本しか点灯してなくて、どこか陰鬱としていて不穏な静寂に包まれていた。


 つんと鼻につく煙草の香りのする部屋で俺と京華は劣化してクッションのスポンジが覗くパイプ椅子に座らせられる。生徒指導を受け持つ教員の明田は一度部屋を出ていき、少し待つと温かいお茶をおぼんにのせて戻ってきた。


 正面に座った明田のポロシャツは、どっしりとした体格の筋肉と脂肪によって膨れ上がり、いかにも柔道部の顧問らしい風貌を出していた。


「悪いな。これから帰るところに」


 何を言い出すかと思えば、明田は労りの言葉から始まった。


「で、なにがあったんだ」


 机に肘を付いて本題に入る。勝ち負けの世界で生きてきた人間らしい眼をしていた。その双眸で横になぞるように俺たちを見た。


「先生。その前に一本電話してもいいですか?」


「ああ、構わない」


 京華は「どうも」と言ってからスマホを耳に当てると、口元を隠すように身体を外側に向けた。相手はりんごだ。少し遅くなることを伝え、ママとでも話しててと付け加えた。簡潔に内容を話すと電話を切り、身体を正面に戻す。


 明田はその様子をじっと待っていた。聞く体勢が整ったことを確認すると、ゆっくりと口を開く。


「生徒間のトラブルが起きてると聞かされててね。私が着いた頃には既に終わっていたから、聞かされた内容しか分からないんだ。だから、説明してもらえないだろうか」


 明田は中立的な立場として、意見を要求した。ただ、言葉を慎重に選ぶ姿を見て、きっと事実とは違う。俺たちが加害者側と聞かされているのだろうと察した。



 京華の態度は不貞腐れていたというか、どこかあの頃のような尊大な態度で事の経緯を話した。ところどころ棘のある言い回しは、と主張しているようでもあった。


 ただ、苛立ちに任せて山田を貶める訳でもなく、彼女を配慮していた。山田がやったことは褒められたものではない。だから事実をそのまま言ってもいいはずだし、その方が説明も楽なはず。


 ——優しいな。


 京華の声をBGMにしてぼんやりと窓の外を眺めていたが、その心が興味深くて視線を京華に移した。


 俺は内心で笑ってしまった。なんて態度だ。取調べを受けてるとは思えない態度で足を組んでいる。


 瑞々しく健康的な脚を前面に晒していた。それは深いシワの刻まれた明田と対比する事で、無意識に若さを主張しているようでもあった。背もたれに腕をかけ反抗的な態度に、俺は本当に優しさなのか疑わしくておかしかった。


 明田は静かに聞いていた。一通り京華の話しを聞き終えると、目を閉じる。目尻にできた皺は象のように深かった。頭の中で情報を整理しているのだろう。


「そうか。当校でもそのようなくだらないイタズラがあるのだな。お前たちを先にこの部屋に連れてきたことを謝罪する」


 明田は椅子から腰を浮かすと「すまなかった」と頭を下げた。


 正面驚いた。この学校の教師を疑っていた訳では無い。寧ろうちの学校の教員は質が高い。しかし、こうもあっさり謝罪されたことには違和感を感じた。


「しかしだ。お前たちは悪目立ちしてる。その自覚はあるな?」


 俺たちは回答を避ける。質問の意図が分からないからだ。


「嘘か誠か分からない。だがな、近頃お前たちの悪い噂が私たちの所まで上がって来ることが多いんだ」


「私たちが何かしたって言うのかよ」


 京華は苛立って舌打ちをすると、不満げに腕を組んだ。俺自身も明田のどこか含みのある言い方は面白くないと感じた。


「そう言ってる訳ではない。ただ、よく思ってない人間がいることも一つの事実ってことだ」


「話が見えないんですけど、私たちは先程の被害者として連れて来られたと理解してるのですが」


 その通りだ。京華が嫌がらせをされている事実から目を逸らして、俺たちの素行についてになっていた。面白くない。


「教員からもな、お前の授業態度を指導してほしいと言われててな」


 明田は落ち着いた声音で話を進める。京華の質問には答えなかった。そこには、こちらの意見などお構い無しに明田の考えているゴールに話を持って行きたいという意図が見えた。


 そんなの、大人の都合だ。色々な意見があってそれに対処する立場にあるのは知っている。京華の抱えている問題は傍から見ても複雑で簡単に終わらせることの出来ない。だからといって、京華自身を大人しくさせて上から押さえつけることで事態の収拾を図ろうとするのは間違っている。


 明田、お前はあいつの教科書を見たことがあるのか?


「それは今、関係——」


「お前たちは、学園祭でステージをやるそうじゃないか。改善が見込まれなければステージに立たせたくない。こんな極端な意見もある」


 その口調こそ平坦だったが京華の反論に被せた事で妙な正当性を持つ。嫌だったら言う事を聞いて大人しくしてろ。そう言ってるのだ。


「ちっ、私ばっかり悪者かよ!」


 明田はライブを交渉材料に利用しようとしている。京華も馬鹿じゃない。言葉の意味ははっきりと理解しているのだろう。


 立ち上がり、拳は握られていた。強く噛まれた唇は、悔しい感情を心の底に隠すように見えた。


「要件は済んでるなら、帰ります」


 京華の美しい瞳は色を失い、憎悪の火に燃えていた。明田を見下ろす様に睨みつけると苛立つように足音を立てて部屋を出ていく。


 明田は引き止めなかった。俺は取り残される。しまったと思っていると明田は深く息を吐いた。


「もう少しだけ、話をしないか?」

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