第25話 謝罪の仕方

 余計なことを言ってしまった。


 スクールバッグを横に立てかけ項垂れながら横たわる。家に誰もいないのをいいことにうーん唸り声を出した。


 ……こうなるから、必要以上に喋りたくないんだ。今まで何度も繰り返し、その度に俺は後悔し自分を戒めてきた。わかっている。軽率な軽口が誰かを傷つけてしまうことを。わかっていたはずなのに俺は会話を間違えたのだ。


 不要な言葉で京華を不快な気持ちにさせてしまった。冷静になれば、言わなくていいことを言葉にしたとわかる。だけど、それをその場で判断しながら会話ができるほど俺の頭は良くない。


 何をする気になれなかった。暗いリビングで脇に置いたスマホが何度も何度も通知を知らせて振動し、点滅する。スクリーンの明かりが瞼をつきぬけて視細胞を刺激する。それは煩わしく、神経質になっている俺は頭の向きを変えて無視をした。


「——先輩。何かあったんですか?」


 長く振動したのち留守電に繋がり、りんごの声がした。


 京華が部屋を出た後、俺は逃げるように帰宅したのだ。



「ちょっともう。なんで明かりも付けてないのよ」


 パチッとスイッチ入れる音がした後、照明がつく。


 お袋が仕事から帰ってくると、横になった俺を邪魔だと小言を言う。うつ伏せになった俺の背中に鞄を乗せると、ジャケットを脱ぎ捨て身軽な格好に着替え始めた。


 暗い部屋に目が慣れていたから、急激に明るくなった部屋は思う以上に眩しく感じて俺は目を細めた。


「なんて顔してんのよ」


 洗面所から戻ってきたお袋が濡れた手をハンケチで拭きながら戻って来ると俺を見て呆れた表情を作る。


「何かあったの?」


「……」


「もー、言わなきゃわからないでしょ」


 お袋は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、机に移動した。プシュッと気の抜ける音が聞こえる。


「ほら、こっち来て。話してみなさい」


 こんこんと机を拳で叩いて俺を呼ぶ。誰かに話を聞いてもらいたかった。気だるい身体を起こしてお袋の前に移動した。


「……」


「いや、じっと見てたってあげないわよ。これは私のご褒美なんだから」


 お袋ははっとして、目の前のビール缶を手の届かないように自分に寄せる。


 いらないし……。いったいどうして大人はあんな苦いだけの炭酸を好んで呑むのか、俺には理解できなかった。だけど意気地のない話を面と向かって相談するのは幾分恥ずかしく、俺の視線は照明の明かりが反射して輝いている銀色のビール缶に留まった。鏡面のように自分の姿が反射していたがそれは俺の感情のように歪んでいて鮮明ではなかった。


「なにぐずぐずしてんのよ。男の子でしょ、しゃきっとしなさい」


 脛に痛みが走り顔を歪む。何事かと机の下を覗くと、黒のレギンスを履いたすらっとした脚が組まれていた。お袋に蹴られたのだ。


 お袋は昔からこういうとこがある。親父なんかよりずっと短気だ。そうして意気地なしな俺を叱るのだ。


 ただ、痛みを感じてもやもやとした頭が少しすっきりしたのもまた事実だった。整理するように俺は今日のことを一から話していった。



「ふーん、なるほどね」


 俺が話し終えるまでお袋は何も言わなかった。時々ビールをグラスに注ぎながら俺の言葉に頷いた。飲み込む音が聞こえるくらい豪快にビールを喉に流し込むと続けて言った。


「まったく、あんたもくだらない事で悩んでいるわね。そんなの、よくあることじゃない」


 言葉は乱暴だったが、その表情は優しかった。


「誠人は友達がいないから慣れていないのかもしれないけれど、普通人と付き合っていたらよくある事よ」


 いや、優しくなかった。


「昔はね——」


 ビール缶の縁をゆっくりと指でなぞると懐かしむような目で天井を見上げる。


「私もお父さんとはよく喧嘩したのよ。お父さんもほら、結構気ままな性格してるじゃない? 私は気が強い方だし、しょっちゅうすれ違ったものよ。あの人ったら約束をすぐ破るし、私が困難に直面して悩んだり困っていたとても、私より近くで困っている人がいたら目の前の人を助けちゃう。私も若かったからそれに怒ったし嫉妬もした。——でもね、人はそうやって何度も衝突しながら関係を築いていくの」


 そんなのわからないじゃないか。それはお袋と親父がたまたま上手くいっただけかもしれない。人は人とぶつからないように生きている。ぶつかるれば壊れてしまうし、時として面倒ごとを運んでくるのを皆知っているから。


 本当に失いたくないものは、遠ざけておくものだ。


 なんて名台詞もある。寧ろ俺はこの言葉の方が現実に添っているように思える。心や感情は外から見えない。笑顔で挨拶する人の内心なんて本当は誰も知らないのだから。


「……そんなの、物語の中だけの話だろ」


 腑に落ちない。これもまた事実。だけど、お袋と親父が築いてきた関係を否定したくはない。だから俺はお袋の目を見て言えなかった。


 照明の明かりの下で机の上をすっと影が伸びてきて、俺は身構える。


「初めてだから、壊してしまうかもと心配になるかもしれない。でも大丈夫。本当に大切な仲間ならその程度で壊れたりしない。なんなら衝突しないで長くいる方がよっぽど不自然な事なの」


 臆病で不甲斐ない俺に活を入れるのだろうと思ったが、伸びてきた手は俺の頭を優しく撫でた。お袋の温度を感じると幾らか気持ちが和らいだ。俺は素直に聞いてみよう。そう思った。


「俺はどうしたらいいのかな」


 顔を上げると、お袋はにかっと笑って言う。


「こういう時はね、さっさと謝っちゃえばいいのよ」


「……そんなのでいいのか?」


「そんなのでいいのよ。きっと京華ちゃんだって誠人と話したいって思っているはずよ」


「どうだか……」


「もー、まずそのネガティブ思考やめなさいよ。——でもまあ、誠人にも真剣に悩める友達ができたのね。大切にしなさい。今、距離を取るのは簡単だけど離れた分を縮めるのはその倍は大変なのよ」


「信用みたいなものか」


 お袋は少し違うけどと肩を竦めたが「まあ、そんなものよ」と言ってソファーに置かれたカバンを取りに席を離れた。


「ほら」


 手渡れたものを受け取り確認する。屋内プールの無料招待券。


「何これ?」


「二人で行って来たらいいじゃない。あと、冷蔵庫に入ってる葡萄も持って行っていいわよ」


 謝りに行くのに果物はありとして、プールの入場券――それはないな。まるで遊びに誘いに行くみたいじゃないか。


「ありがとう。葡萄だけもらってくわ」


 言うと、お袋はえーと面白くなさそうな顔をした。


 明日は日曜日。尋ねるなら午前中がいいだろう。


 お袋に話してみて、俺の中のもやもやとした気持ちは晴れていた。今なら頭もすっきりしているし何でもできるような自信が湧いてきた。



 京華に会って謝りたい。そしてちゃんと話しをしよう。

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