第23話 暗礁①

「いったんとめて」


 そう言ってりんごはドラムを叩くのをを止めた。基準となるリズムがなくなり俺と京華の奏でる音も往くべき道がわからなくなり、空気中にか細く彷徨い消えていった。


「ごめん。また私だわ」


 京華はTシャツの袖で額の汗を拭うとアンプの上に置かれた水を飲む。


「今のところ、やっぱり難しいですか?」


「まーね。意識しないとベースのフレーズに歌が引っ張られちゃうんだよね」


 今日も放課後の時間を使い、京華の家で練習に励んでいる。結局、全ての曲がカバーとなった。セトリも概ね決まり、いよいよ本番に向けて演奏する曲を磨き上げる段階に移行していた。


 このタイミングで指をぶらぶらと揺らしてストレッチする。りんごと京華が打ち合わせをしている間にボリュームを下げて俺も苦手な箇所の確認をする。


 寄せ集めのこの不思議なメンバーだったが、これが意外にやると決めたこと関して皆のやる気は十分で、集まればちゃんと練習していた。


「マジごめん。集中するわ」


 本格的に曲の練習が始まって数週間。初めはバラバラだった息も次第に揃ってくるようになった。バンド経験もあり一番後ろから俺たちの音を聞いているりんごは気になる点があればその都度止めて、俺たちを遠慮なく指摘した。


 これは非常にありがたい。バンド初心者の俺と京華が初めから完璧に熟せるわけがない。それを一番年下だからと経験者のりんごが指摘することを遠慮すれば、無理とは言わないが上達に時間がかかり過ぎる。文化祭まで遠くない。俺たちに遠回りしている時間なんてなかった。


「じゃあもう一度行くよ」


 りんごの叩くスティックの音に合わせて俺たちはまた練習を開始した。



「ふー、疲れた疲れた。いい感じになってきたんじゃないですか? ぎりぎり人前で演奏できるって感じですけど」


 七時半。窓の外も暗くなり、頃合いと本日の合わせが終了する。


「さんきゅーなりんご。お前がいてくれなかったらちょっとやばかったかもな」


「……先輩」


 頼りにしている。それを伝えるとりんごは熟れたように顔を赤くした。どいつもこいつも褒められることになれてない。


「よーし。じゃあ、これからはもっと厳しくしちゃいますからね」


「これ以上厳しくなるのかよ……。なに? なんですか? コレ。とか言うの?」


「ぷっ。やだ先輩、意外と似てるじゃないですか」


 よし、うけた。ってそんなことで喜んでも仕方ない。こうして俺たちが呑気にいられるのも俺らより明らかに壁にぶつかっているいる奴がいるからだ。


「くそっ!」


 京華はミネラルウォーターのペットボトルを荒々しく飲むと蓋を締め、ぐしゃっと音が聞こえるくらい乱暴に置いた。


 こいつが苛立ちを隠さないものだから、こうしてりんごや俺が少しでも雰囲気をよくしようと頑張っているのだ。


 ここ数日。りんごに演奏を止められる原因のほとんどが京華だった。無理もない。実力も考えずに俺たちは弾きたい曲を選んだ。


 文化祭で演奏する曲は現在三曲で三人が好きな曲を一曲ずつ提案し採用した形だ。京華が英語を話せることで選曲の幅が広がり、結果すべての曲が洋楽となった。


 京華は明らかに苦戦していた。ベースもボーカルもどちらかに専念すれば、どちらも問題ないどころか十分な技術を持っている。しかし、それを同時に行おうとすると本来の実力が発揮されない。器用に見える京華だが、やはりベースとボーカルを兼任することは彼女にとっても難しいことのようだった。


 そして何より停滞してしまう一つとして、京華の完璧を目指したいその性格にも原因があった。確かにベースラインに歌が引っ張られることもあった。だけどそれが別に聞いていて明らかな違和感を感じるほどではないし、寧ろ俺からすればこの短期間でよくここまでのクオリティまで持ってきたと感心するまである。


 だけど、京華的にはそれは許せないことで、原曲に対するリスペクトと本人の頑固な性格も相まって意固地になっているのだ。


「みんなー。夜ご飯できてるわよ」


 見計らったように京華の母が部屋を覗く。


 この部屋を練習場所に使うようになってから、俺たちは毎度のように晩御飯をご馳走になってしまっていた。毎日のようにこの場所で練習していて、その度に京華の母はご飯を用意してくれる。


 俺とりんごも流石に申し訳ないと思い断りを入れたが「いいのよ。京華のお友達なら毎日だって作っちゃうわ」と満面の笑みで押し切られた。それでも悪いと思い、先回りしてコンビニのお弁当を買ってきたこともあったが、その際はひどく沈んだ表情で「私のご飯は口に合わなかったかしら」と落ち込むものだから、いつしか諦めて練習終わりに夜ご飯を食べていくのが当たり前の日常になっていた。


「京華。聞こえてるの?」


「……聞こえてるよ」


「だったらちゃんと返事しなさい」


「はいはい」


 京華は母親に背を向けながら返事する。一度も目を合わせないまま、苦戦していた場所を一人何度も反復している。その背中を見ながら京華の母は「みんな、京華は放っておいて先に食べちゃいましょ」と、呆れた口調でやれやれと腰に手を置いて言った。


 二人が先に部屋を出たので、最後に重い扉を閉める。ゆっくりとぎこちない音を出しながら閉まる扉が一人練習する京華の姿を徐々に隠していく。やがて閉まりきると内臓に響くような重い音は遮られ、俺はこの部屋の防音性の確かさを確認した。


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