第21話 りんごは仲間思いである①
「知ってる? 藤堂さんの噂」
「知ってる知ってる。あの怖い人と付き合い始めたんでしょ」
「らしいよ。その人って中学生の頃、隣の中学校の生徒と喧嘩とかしていたらしいよ——」
藤堂京華に絡まれるようになって一ヶ月が過ぎていた。二学期が始まってから、あの事件、藤堂京華の騒ぎがあってからもうそれだけの時間が流れていたが、京華を取り巻く環境はあの時から何も変わっていなかった。
昼休みになり、いつものように京華に連れられて、屋上に向かうべく廊下を歩いていた。
「だってさ」
京華はくくっと堪えるように笑う。隣を歩き、そこから見える表情は陰口を気にしているというよりかは、その被害が俺にまで及び始めた事を楽しんでいるように見えた。
元から振り返れば京華は被害者である一方で、これまでの自分の行いに対するツケが回ってきているわけでもあって。本当の被害者は根も葉もない噂話を流されて、今こうして巻き込み事故にあっている俺とも言える。
廊下から屋上に登る階段で曲がると、京華は続ける。
「私もすっかり舐められたね。聞こえてるっつーの。陰口なら陰で言えよな」
堂々京華は強い女の子だった。陰口を叩かれようが、自分の生き方を一切変えていない。そんな京華の足取りは今日も軽く、目の前でスカートをひらつかせながらリズミカルに階段を上がっていく。
「それにしてもさ、誠人も色々言われてるみたいだけどなんかしたの?」
「何もしてねーよ。強いて言うならお前に関わったせいだろ」
「あはは。様は無いね」
使用頻度が低く、重くなったノブを回して屋上に出ると、人間関係の悩みなんてちっぽけに思えるような綺麗に澄んだ青空が広がっていた。
京華は膝の上に弁当箱を乗せて蓋を開くと、律儀に両手を合わせて「いただきます」と言った。
今日も京華の母の作るお弁当は似た目こそ庶民的なラインナップでありながら栄養バランスの取れたメニューだった。このお弁当をあのお母さんが毎朝作っていると思うとやっぱり似合わない。
「でさ、誠人の陰口も色々聞くけどどこまで本当なの?」
暴力沙汰、不登校、タバコ、アルコール、女たらし、鬱病、不正入学、特殊な家柄、etc. 。京華は学校で流れる俺の噂話を指折りながら一つずつ言葉に出していく。
本当に好き勝手言われたものだ。自分の話なのに聞いていて笑けてくる。
「なぁ、聞いてるのかよ」
「……聞いてる。その殆どは出鱈目だっつーの」
「じゃあ中には本当も混ざってるんだ」
以降、その本当を聞き出そうとする京華はしつこく本当に鬱陶しかった。
授業が終わった。今日も京華の家でバンド練習だ。ホームルームを終えたら直ぐに学校を出ないと、これが意外にりんごの方が先に到着してしまうので、寄り道せずに真っ直ぐ向かわなければならない。俺はてきぱきと身支度を始めた。
そういった事情もありながら、提出物を出してなかったとかどうとか。ホームルーム終わりに京華は職員室に呼び出されて、出遅れが確定したのだった。
「——急いで、りんごちゃん待たせたら可哀想でしょ」
誰のせいで遅れたと思ってる。なんなら俺が職員室まで付き合う義理もない。先に向かっても良かったのだが、お前が当たり前のように着いてきてと言うからだな……。
京華はそんな俺の気持ちも構いなく廊下を走り、同時に急かす。はぁ、とため息が出るのは仕方ない気持ちだ。俺たちには一秒でも練習時間が必要だった。
「うわっ」
京華が廊下を曲がろうとした時、曲がり角から女子生徒が現れた。京華は咄嗟の判断で止まることが出来たが、無理に速度を止めたものだから体重を後ろに尻もちを着く形で転んだ。
「いててて。ごめん大丈——。……岩沢」
曲がり角から出てきたのは、岩沢と二人の女子生徒。
お尻を擦る京華を岩沢は侮蔑する様な冷たい目で見下ろしていた。俺から見て、その双眸に心配の色はなく、見下す。この言葉が現すその意味そのもののようであった。
何も言わない。笑うわけでもない。人が路上で息絶えた虫を見たとして、一度立ち止まりはしても何もしないように。ただただ無感情に京華を見ている。いや、京華すらその視界に入る景色の一部であって、本当は見てすらいないのかも知れない。
嫌な緊張感が流れ、時間にするとどれくらいだったのだろうか。意外と一瞬の事だったのだろうか。そんな嫌な空気感を断ち切ったのは岩沢で、何も無かったかのように俺たちを背中に向けて歩き始めた。
「……立てるか?」
俺は京華に手を差し出した。
「おい、岩沢!」
パンと俺の手を払うと自力で立ち上がって、歩いていく岩沢を呼び止める。
「なにかしら」
岩沢は鬱陶しそうに息を吐くと、半身だけ振り返る。
「なんか言うことないのかよ」
尻もちも着いて変にシワの寄ったスカートを直さず、京華は鋭い目で岩沢を睨みつけてる。
「藤堂さん。廊下を走ったら危ないわよ」
それはその通りであるが、その口調は明らかに挑発的で侮蔑した言い方だった。
京華はの眉がピクリと反応した。普段、陰口に対しても感情的にならず聞き流していたに、今は感情を剥き出している。やはり口に出さずとも、あのホームルームの事を根に持っているのだろうか。
「てめぇ——」
「京華」
「なんだよ!」
ここまで冷静さを失うのも珍しい。俺は今にも距離を詰めようとする京華の右肩を掴んで制止する。野次馬もいるし事が大きくなっても面倒だ。
京華は俺の目をしっかりと捉えて睨みつけた。黙っていると少し冷静さを取り戻したのか、手にかかる力が軽くなる。
「……もういいかしら」
うんざりとした様子を見せると、次に俺に見た。
「清水くん。君も付き合う人間はちゃんと選んだ方がいいわよ」
続けて言うと、岩沢の後ろに控えていた二人の女子生徒は小馬鹿にするようにくすくすと笑った。岩沢は二人の笑いを止めさせると「行きましょう」と合図を送る。
「おい、岩沢。俺の事は俺で決める。次からごちゃごちゃ言うんじゃねぇぞ」
俺の発言に二人の女子生徒は一歩後ずさり、岩沢は驚いたような表情を見せた。
「そう……悪かったわ。それじゃ、私たちはもう行くから」
一言謝罪し去っていくと、その背中は小さくなっていく。野次馬も徐々に姿を消して、廊下には俺と京華の二人が残された。
「ごめん」
京華はしゅんとして謝った。取り乱したことを反省しているのだろう。
「いいさ。あいつら、嫌な感じだったしな」
「いいの? 誠人の方がよっぽど嫌な感じだったけど」
そう言われてみると、俺は歯茎の下に挟んでいたガムをくちゃくちゃと噛んでいた。
「よくないな。また変な噂が流れる」
これはいけない。反省するのは俺の方だった。野次馬が多かった。明日から俺の悪口が増えたら嫌だな。
「あはは。そんなこと気にする図体かよ。行こう、りんごが待ってる」
京華は元の調子に戻って笑うと落ちたカバンを拾い上げた。
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