第20話 京華の家に⑤
「主人は今海外にいるんです。本当によく喋る人なもので、こうしていざいないと家が静かで寂しいんですよ」
藤堂家でご相伴に預かる運びとなった。六人用の大きな机に俺たち親子は並んで座り、向かえに京華が座った。
「パパがいないと静かでいいと思うけどね」
「ごめんなさいね。うちの子、反抗期なんです」
すかさず京華の母が解説をいれると、京華は「そんなんじゃない」と反論した。
「それにしてもママ。お客さんとの食事にカレーライスってどうなの?」
別に普段食べないようなディナーを期待していたわけではないけれど、確かに目の前のドシンプルで家庭的なカレーライスを見て拍子抜けしてないと言えば嘘になる。豚肉とゴロゴロとした野菜は定番の三品で、ツルリと照明の明かりを反射するらっきょうが、ここが藤堂宅だとしてもそれが真珠に見えることもなく、どこで見ようとらっきょうはらっきょうだった。
「いいじゃない。カレー美味しいし」
あっけらかんとした顔で京華の母が答える。
「ごめんなさいね。大したおもてなしも出来なくて」
「……あなた何もしてないじゃない」
ふふんと、してやったかのように笑う京華に、またしてもすかさずカウンターが入る。それはもっともな言葉だったし、京華もそれが理解出来ないほど馬鹿でもない。ぐぬぬと迂闊に言葉を選んだことを後悔するように顔を赤くした。
京華の母の方が一枚上手のようだ。これ以上つっかからない方がいいのではと、俺は京華に提言しようかと思ったが、これはこれで見ていて面白いので俺は何も言わずにカレーを頬張った。
「仲がいいんですね。うちも負けてませんけど」
お袋がちらりと俺を見て言った。何か話すのを待っているのか、皆の視線は俺に集中する。
口の中のカレーを咀嚼し呑み込む。誰の好みに合わせているのか、それは甘口だった。スプーンの音が鳴らないようにそっと机に置いて水を飲んだ。グラスは飲み口に近づくほどガラスが薄くなっていて、よく冷えた水はすっと口の中に流れ込んだ。口元から離すと立方体の型をした氷がカランとグラスに触れて音が鳴る。
「……」
「って何も言わないんかい。そこはごめんなさいねのくだりを待ってんの」
お袋のつっこみに対面の二人は笑う。俺は俺のノリの悪さを自覚していて、バツが悪くて、誤魔化すようにまたグラスに口をつけた。
きっと正解はこうだ。意味無く張り合う母でごめんなさいね。
「ごめんなさいね。うちの子ったら本当に無口で。緊張してるのかな?」
またぐりぐりと頭を撫でられた。それを嫌がったところでやめてくれる人ではないので、俺は黙ってそれを受け入れた。
食べ終えると、京華の母が食器を片付ける。そして入れ替えるように卓の中央に切った柿が置かれた。明らかに西洋の血が流れる京華の母なのだが、食事は何とも日本的で庶民的である。勝手なイメージだけど、なんかこう晩御飯は洋食で果物はリンゴとかグレープとかそんなイメージをしていただけにどうしても違和感を感じる部分があった。
「景子、明日お休みなんでしょ。これなんてどう?」
社交的な母二人は気が付けばすっかりと打ち解け合い、母親として話が合うのか知らないけど、気がつけば互いを名前で呼び合うようになっていた。元々面識があったとはいえ、この単時間でこれだけ距離が近づけるのは流石だとお袋のコミュ力に脱帽である。
京華の母はキッチンから顔を出し、その手にはワインボトルが握られていた。
「いいね。私もちょうど会社で貰ったスコッチがあるよ」
仕事用のカバンからぬるりとウィスキーを取り出した。京華の母は故郷のお酒だと喜び、それが飲みたいと言ってワインを棚にしまった。これはスコットランドに取材に行った知り合いがお土産として買ってきた物のようで、二人はワインでなくウィスキーで乾杯をして、酒盛りを始めた。
ということは、京華の母はスコットランドが生まれなのか、なんかかっこいい。スコットランド訛りの英語を話すのだろうか。
「ママはパパがいる時くらいしかいつもは呑まないんだよ」
その二人の姿を頬杖を着いて見ながら京華は言った。
「それはお袋もそうかもしれない」
「かもしれない?」
「仕事的に家で一緒になる事少ないから」
「そうだったね」
ゆっくり呑む気のない母親たちを横目に、俺たちは学園祭に演奏したい曲だったり演出だったりと、その構想について話をした。時々意見を求められると俺はその都度答えるが、俺以上に学園祭ライブの意見を出したのはお袋だったりした。京華は京華で学園祭のライブ経験者の意見を聞けて、参考になったと満足気であった。
「リリアン見て見て、ひげ〜」
すっかりと酔い始めたお袋が自分の髪の毛を鼻の下に持ってきて、それはもうつまらないギャグを披露する。
「やだ、景子ったら」
どうやら酔っ払いにはウケるらしい。京華の母も真似をすると二人はお腹を抱えて笑っている。
お袋を連れて帰るのは相当に面倒そうだ。それにしても楽しそうだった。お酒を呑める年になったら俺もこうしてふざけるようになるのだろうか。いや、俺はこのままな気がするな。対面の京華も素面なはずだけど、ふざけ合う二人を見て一緒に笑っていた。
「じゃあ、今日は世話になったな」
「こちらこそママのわがままに付き合ってくれてありがとう。あんなに楽しそうに笑ってるのは初めて見たわ」
京華は見送りに、または戸締りするためかもしれないが玄関の前まで見送ってくれるらしい。
「まぁ、お前のわがままに付き合った結果たけどな」
ふんと鼻を鳴らすと、京華は肩を竦めた。
「それにしても。本当に送らなくていいの、大変じゃない?」
らしくなく、京華が心配してくれていた。視線は背中で寝ているお袋に向けられている。
明日も学校がある。夜が更ける前には帰宅したかった。だけど、何度お袋に呼び掛けても「うーん」と呻くだけで目を覚ます気配はなく、俺は諦めておぶって帰ることにした。
余程楽しかったのだろう。お袋はお酒を呑み、笑うだけ笑うとパタリと机で寝てしまった。それは京華の母も同じで、居間のソファーで横になっている。
「まぁ、駅前でタクシーでも拾うさ」
背中で気持ちよさそうに寝息を立てるお袋を見て、諦念して今の状況を受け入れる。しかしながら、こうして帰ることは実際嫌ではなかった。それは、気持ちよさそうに眠るお袋の顔を見ることができて、俺は嬉しくもあったから。
「じゃあ。また明日」
いつまでも玄関にいては迷惑だろう。それに夜も遅い。遅くなればタクシーもいなくなってしまうかもしれないし。
「誠人」
歩き出すと京華は俺の名を読んだ。
「……あのさ。最後に、さっきの言葉もう一度言ってよ」
「さっきの言葉? また明日?」
京華は腕を後ろに組んでもじもじとしていた。その顔は若干赤く、顔は俯き視線は下を向いて。
「違ぇよ! ……だからその、かわ、可愛いってやつ」
……こいつ。あの時の言葉が自分を弄るためだったと知っているはずなのに、それでもまた可愛いと言って欲しいのか。マゾヒズム?
「嫌だよ。恥ずかしい」
「いいから!」
なんなんだ。しかし、言わなければ帰してくれない気がする。やれやれ仕方ない。覚悟してほしい。面映ゆい気持ちになるのは俺だけじゃないからな。
はぁー、と息を吐いて気持ちを整える。
「……かっ、可愛いじゃん」
なんだこれ。改まって言うとめちゃくちゃ恥ずかしい。昼過ぎまで時間を遡ってノリだとしても可愛いとか言った自分を殴ってやりたい。本当に恥ずかしい。
「あははっ、声ちっちゃ。なに顔赤くしちゃってんの。まじキモっ」
京華は早口で言いたいだけ悪たれ口を叩くと一方的に「じゃあね」と言って扉を閉めてしまった。ガチャリと閉まる音。これはきっと鍵を閉めた音だ。
……なんなんだ。言わせておいてそれはない。
帰路につく俺たちの足元を照らすのは、切れかけの街灯と僅かな星光だった。
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