第19話 京華の家に④

 お袋の到着時刻が近づくと、藤堂家で雇っている専属の運転手は本当に玄関の前で待機していた。黒塗りの外国車。俺はその車に乗り込んで、藤堂家から最寄りの三条駅に向かった。車をロータリーの中に停車させて、俺は降りて駅の前で到着を待つことにした。


 今の時間帯、これから帰宅する人が沢山いた。でも東京の駅前でもあるまい、人を探すことが困難なほど混雑しているわけでもなく、きょろきょろと周りを見渡しているとお袋の姿を発見し、声をかけた。


「あら誠人。迎えに来てくれたの?」


「……まぁ。行けって言われたからね」


「本当に珍しいわね。誠人が放課後に誰かと遊ぶなんて」


 お袋そう言って笑った。そして厄介そうに肩からずれたカバンを肩を上げて元の位置に戻した。カバンは重たそうだった。ショルダーストラップがスーツの肩に皺を作っている。俺が代わりにカバンを持ち、待機させた車へと案内した。車に乗り込むと質のいいシートがきゅっと音を鳴らした。


「立花三条の藤堂さんね。誠人、あなたもまた面白い子と友達になったものね」


 車が走り出すとお袋は俺を見て言った。この後どこの家に連れていかれるのか。立花三条と藤堂。その単語を繋ぎ合わせて、お袋も何となく察しがついているのだろう。


「……別に、友達って仲でもないよ」


 成り行きで一緒にいるだけ。あの日の放課後、俺が掃除当番でなければきっとこうして一緒に行動することはなかっただろう。


「じゃあ、なんなのよ」


 お袋は釈然としない様子で俺の顔を覗き込むと呆れたように「これから女の子の家に行くんだから。もっとはきはきしなさい」と言って、俺の髪をくしゃくしゃと撫でた。


「……やめろ。ただのバンド仲間だよ」


 その台詞が照れくさくて、俺は母から目を逸らして窓を向いた。外が暗くなったせいで窓ガラスに髪の乱れた自分の姿が映っていた。


「なになに? 誠人もバンド始めたの?」


 窓ガラス越しにお袋が迫ってくるのが見えた。次の瞬間には身体を抱き寄せられていて乱れた髪の毛をさらにぐしゃぐしゃにされた。嫌がる俺と俺を放さないお袋で車内が揺れる。運転手は呆れて息を吐くような声で走行中はシートベルトをお付けくださいと言った。


「その子に会うのがますます楽しみになったわ」



 俺と京華が夕方着いた時のように、玄関の前では母と娘が並んでお出迎えしてくれた。まぁ、京華と京華の母の距離感と京華の身体の傾き加減を見れば、いやいや立たされているだけのようだが。


「こんばんは。誠人の母、景子です。本日はお招きいただきありがとうございます」


 先に車から降りたお袋は二人の前に立ち、自己紹介をすると丁寧にお辞儀した。こういった作法は会社に勤めてから身に着けたものらしい。本来のお袋は親父に負けず劣らず、私生活は結構いい加減だったりする。だから、こうした姿を見ると可笑しくて笑ってしまいそうになる。


「いえいえ――あら、誠人くんのお母さまって清水さんのことでしたのね」


「どうもお久しぶりです」


 お袋はいたずらが成功したみたいな笑みを浮かべていた。  


 なんだ知り合いだったのか。お袋は仕事の関係で地元のイベントや祭りにも参加しすることがあるから、きっとどこかのタイミングで会ったことがあるのだろう。


「ってええ! 誠人のお母さんって、あの清水景子⁉」


 不貞腐れたようにじとっと立っていた京華が反応した。京華は母の袖を掴み「嘘、本物?」と母に聞いていた。


「あなたが誠人のバンド仲間の子なのね。お名前は?」


 京華に顔を向ける。お袋は背が高いからか、たじたじの京華と会話する姿は正に有名人と話す機会を得た一般人を絵に描いたようだった。


「藤堂京華です。誠人……誠人くんとは学校でも仲良くさせてもらってて――。てっテレビでいつも見てます!」


 山の斜面に生えている樹木のように傾いていた身体を正して京華は自己紹介すると握手を求めた。学校でだってこんなに姿勢を正す姿を見たことがない。お袋を前に緊張しているようだ。


「ありがとう。誠人ったら本当にしゃべらないでしょ。別に不機嫌なわけじゃないから、これからも仲良くしてあげてね」


 笑顔で握手に答えて一言残すと、母親同士話しながら家の中に入っていった。ガチャリと扉の閉まる音がすると辺りはしんと静かになって、庭のどこかからか秋の虫の声が聞こえた。


「なんで、教えてくれなかったのよ」


 二人きりになり、京華は俺に詰め寄って言った。


「……別に話すことじゃないだろ」


「いいや、私ならする。だってあの清水景子だよ。いつもテレビを見ていて綺麗な人だなーて思ってたんだから」


 いつもながら滅茶苦茶な理由で文句を言う京華だったが、どうやらお袋に対する評価はとても高いようだった。


 お袋はテレビアナウンサーだ。朝のニュース番組の仕事をしているし、時々スポーツ特番やドラマ、バラエティにも出演しているみたいで、それなりに名前が売れているそうだ。


 俺は朝のニュースくらいしかテレビは見ないから、テレビに映る姿はいつだって真面目だった。けれどもバラエティーにも出演するくらいだ。世間ではお袋は話せる面白女子アナ的な枠組みらしい。


「ふん⋯⋯。自慢するにも日常会話すらする人がいねぇよ」


「あはは。そうだったね」


 俺と彼女の母にからかわれた分、お袋に俺の恥ずかしい話をたくさん聞かせて貰うんだと、京華はいたずらっぽい笑顔で言うと二人を追いかけて家の中に入って行った。


 辺りは暗かった。玄関前に一人残されて、俺は星が見える気がして夜空を見上げた。周りに住宅が集中していないからなのか、京華の家から見る夜空は普段より星がたくさん見えたような気がした。


「誠人ー。ご飯できたってよ」


 虫の鳴き声を聞きながらぼんやりと星を眺めていると家の中から京華が俺を呼んだ。

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