第18話 京華の家に③
「お茶とお菓子持ってきたわよー」
何曲か演奏し、少し休憩していると京華の母は現れた。俺が会釈をして、京華は「だから余計なことしなくていいから」と言った。京華の母はそれをはいはいと受け流して、中に入ってくる。ピアノの屋根にマグカップと洋菓子をのせたお盆を置いて椅子に座った。
「二人は仲良しなのね。演奏を聴いててわかったわ」
「なんで、当たり前のようにそこに座るんだよ」
「当たり前でしょ。私たちの家なんだから」
正論にぐぬぬと京華は引き下がる。
目の前で行われる至って普通な家族の口論は、両親が仕事でなかなか帰ってこない俺にとって新鮮に見えた。俺だって、少しくらい夢見たことがある。俺は手のかからない子供だったと思う。大抵の不満は飲み込んだし。そもそも一人でいることが嫌ではなかったから。だけど、母と言い争いをして次の日の朝はごめんなさいと謝って元通り。そんなドラマのようなやり取りをしてみたいと思った事もあった。そんな今、目の前で繰り広げられている些細な口喧嘩を羨ましく思った。
「誠人も笑ってんじゃねーよ」
笑っていたのか。自覚はなかった。だけどきっとそうなのだろう。
「追い出すの手伝って」と京華は俺に言った。京華の母も負けじと味方に着くように唆す。はて、どちらに付くべきか。俺の基本スタイルは中立もしくは無関心なもので、正直どちらの味方になるつもりはないけれど。
散々都合に振り回されてんだ。ちょっと京華をからかってやろうと思った。
「慌てちゃってさ。可愛いじゃん」
「かわっ!? 」
俺の期待に答えるように京華は顔を真っ赤にした。それはまるで真夏の夕暮れのような赤色だった。そして少し俯いたと思えば身体を小さく震わせてすっかり大人しくなってしまった。
「あらあら。初々しいわね」
くすくすと京華の母が笑うと、京華はこっち見ないでと表情を隠すように顔を背けた。
「じゃあ。京華も大人しくなったところで二人で話しましょうか」
「いや、なんかすみません」
こんなにも恥ずかしがられると、俺まで照れくさくなる。
「謝ることなんてないのよ。普段の京華ってこんな感じなのね」
いや、おたくの娘さんのこんな姿初めて見ましたよ。学校ではついこの間まで女王の様に振舞っていたわけで。
「今日は誠人くんに会えて嬉しかったわ。そうだ、今晩はうちでご飯を食べていきなさい」
「⋯⋯いや、今日は久々に母が帰ってくるみたいなので、お弁当を買って帰らないといけないんです」
京華の母は「あまりうちに帰ってこないの?」と心配そうに言った。俺は両親が仕事の都合でなかなか帰って来れないだけだと説明すると、納得したわけではなさそうだったが、一応うちの事情は理解してくれたようだった。
「そうだ」
京華の母はぱんと手を叩く。
「まだお弁当も買ってないのでしょ。だったら、お母さんも一緒に食べればいいじゃない」
名案だとでも言うように、京華の母の表情は明るかった。
「⋯⋯迷惑でしょうし、今回は本当に遠慮しときます。差し支えなければまた日を改めてという形でも?」
「だめだよ。その言い方する人はたぶん次来ないから」
そう言うと、決まったかのように段取りを始めた。どんどん話を進めてしまうその姿を見て、あぁこれは京華の母だな思った。
そうして半ば強引にお袋に電話をかける事になった。数コールでお袋は電話は繋がった。
「どうしたの。もう少しで家に着くけど、もしかして夜ご飯忘れちゃった?」
「⋯⋯いや、まぁまだ夜ご飯買ってないんだけどさ」
上手く濁して逃げ切りたい。けれど京華の母は脇に立って聞き耳を立てている。笑顔のプレッシャーがまた怖い。
お袋はなかなかノリがいい。話せばきっと来てしまう。だから、言葉を慎重に選ぶ必要がある。だけど、どう言えば上手に伝わるのか。これと言う言葉が見つからず、しどろもどろな言い回しになる。
尚もニコニコと脇から離れてくれない京華の母にただならない緊張を覚え、俺はますます言葉が詰まる。しかしながら距離を取ろうにも、肩に腕を回されていて離れることが出来ない。
身体の距離は近く、京華と同じシャンプーの香りがした。いけない、緊張のせいで思考が乱れる。
「もしもーし。電話の無口はわかんないからホントにやめて」
電話越しでもお袋の呆れた顔が浮かんだ。俺だって好きでこうしている訳じゃない。お袋の声は京華にも届いたらしい。ぷっと笑声が漏れる。
「初めまして藤堂と申します。日頃から娘がお世話になってるみたいで、今晩よければお母様もご一緒に私の家で夕食をいかがですか?」
魂胆を読まれたのかじれったく思われたのか、京華の母は隣から話し出す。予想していない女性の声にお袋は初め戸惑っていたが少し話始めると次第に状況を理解したようだ。いや、状況を理解されると困ってしまうのだが……。
「えっ、なに? 誠人が娘と? もしかして彼女? 友達もいないのに?」
きっと文字に起こしたら疑問符だらけになるのだろう。お袋はきっと誰よりも俺のことを理解している。だから誰かといることが珍しく驚いたのだ。
それにしても。そんなに言わなくなって良いでは無いですかお母さま。ほら、また京華さんが笑いを堪えている。腹が立つなと思いながら彼女の顔を見やると目元に涙まで浮かべていた。こいつ……人の事だと思って。
「じゃあ、お言葉に甘えちゃいます。面白そうですし。ちょうど今電車乗るところなんですけど、最寄りはどこですか?」
ダメだった。京華の母と話し出した所からこうなる予感はしていたけれど、やはりお袋はこの誘いにのった。
「三条駅です。立花三条。駅までお迎えに上がります」
「来て下さるって」京華の母がそう言い、スマホが戻ってくる。通話は既に切られていた。
「駅に着く前に連絡してもらいなさい。迎えに行かせるから」
「そこまでして下さらなくても……。自分が行きますよ」
駅からこの家まで歩いて五分もかからないはずだ。位置情報でも送ってやればお袋なら歩いてこれるはずだ。
「大丈夫。今ならまだ専属ドライバーさんの勤務時間内だから」
専属運転手がいるんだ……。その言葉に京華も普通にしているので、それについて問うことさえ恥ずかしい行為のように思た。俺は喉元まで上ってきた言葉を飲み込んだ。
「ねえ、誠人のお母さんってどんな人なの?」
夕食の支度をするからと京華の母は部屋から出ていった。物事が急速に進んでいく事に呆然して立ち尽くしていると京華が俺の隣まで来て言った。
「⋯⋯普通の人だよ。明るくてみんなに好かれるような優しい人」
「真逆じゃん。それは楽しみね」
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